太田述正コラム#5274(2012.2.1)
<イギリス史とロシア史が共鳴した瞬間(その6))/沖縄防衛局長事件「取材」のドタバタ劇>
<これらのSF小説は、>彼が生涯講釈を垂れてきた話とは全く相いれない教訓を教える。
知識の前進は人類を自分達自身から救うことはできず、仮に人類が進化の道程の方向を科学を利用して定めようとすれば、その結果は、怪物達を生み出すことになるという教訓を・・。
これこそ、ウェルズの本当のヴィジョンだったのだが、このヴィジョンは、いつも<彼によって>小声で否定されつつ、その生涯の大部分において、彼の科学的物語群の中でだけ表明された。
ムーラは、この(後に彼がそう描写したところの)「秘儀的な哲学」をウェルズの意識的自覚の中へと解き放ったのだ。
もはや彼女が信じられなくなったウェルズは、彼女との関係を断とうとした。
しかし、彼は、彼女を余りにも必要としたため、自分は、自分がそう想像したような覚醒した個人ではない、ということを認めざるを得なかった。
<そもそも、>進化をコントロールできるような知的な少数者など存在しないのであって、終わることなき漂流の過程があるだけなのだ、と。
この啓示は彼を希望なき状態へと追いやった。
この心の状況は彼が著した最後の何冊かの本の一つである、『行きづまった精神(The Mind at the End of Its Tether) 』(1945年)に反映されている。
しかし、それが話の全てではない。
なぜなら、ムーラはウェルズにそれまで味わったことのない幸せ・・やはり彼の生涯の終わり近くに書かれた『The Happy Turning』の中で表明された、世界を変えるべく努力することを彼に止めさせ、「美の永遠に最終的なもの」を熟視するところの、澄み切った受容の雰囲気・・を彼に与えたからだ。・・・」(F)
「・・・グレイ、が彼女の人生の物語を<この本の中で>詳述することによって意図したのは、我々が自身と呼ぶところのものは、流動的、遷移的、鍛造可能な構成物であって、中に芯はなく、従って死を免れることができるようないかなる本質も持っていない、ということを明らかにすることなのだ。
言うまでもなく、これはデーヴィッド・ヒューム(David Hume)の極めて有名な諸観念の一つであり、個人的アイデンティティについての哲学的議論の主要部分を再奏したものだ。
ところが、<ウェルズらと違って、>多くの人々は、記憶と連想によって濾されたところの鍵となる諸属性の芯を通して存在するところの、自身を<個人的>アイデンティティとすることで、個人的一貫性の感覚を人生に付与することができる、と信じることがおかしくない、と思っているのだ。・・・」(H)
→魔性の女との交情が、ウェルズをして傑作SF群を生み出させた、というわけです。
我々は、ムーラに感謝しなければなりますまい。(太田)
(続く)
——————————————————————————-
–沖縄防衛局長事件「取材」のドタバタ劇–
<沖縄タイムス女性記者>
はじめまして。突然のメールによる連絡をお許しください。
私は、沖縄の地元紙・沖縄タイムス政経部記者の●●と申します。
すでにご存じかと思いますが、昨日31日、国会で、沖縄防衛局が宜野湾市長選挙をめぐって、市内在住職員や、家族・親類が市内に住む職員のリストを作成し、リスト者に対して2度の局長講話を実施していたことが明らかになりました。
防衛省の関係者調査によると、局長講話は、「市長選挙に行こう」と投票を呼びかけるものであったということで、特定候補者を推薦したわけではないということですが、沖縄防衛局長が職務中に「投票行動を呼びかける」という異例な状況が単なる公正な呼びかけだったと思う人はいないはずです。
関係者の話によると、沖縄防衛局では過去も、名護市長選挙や県知事選挙など、米沖軍基地の存在をめぐって岐路となる選挙に積極的にかかわってきたという証言もでています。このような、行政官庁の、住民自治への関与は、沖縄防衛局独特のものであるのでしょうか。それとも、太田様が過去に指摘された防衛省の体質そのものによるものでしょうか。またこうした関与に正当性はあるのでしょうか。
防衛省に詳しい太田様に、この問題の背景にある防衛省(沖縄防衛局)の体質とその問題点について、原稿をいただきたいです。
必要な資料は可能な限りメールでお送りします。
おいそがしいとは存じますが、なにとぞご検討をよろしくお願いします。
参考までに、原稿フォームと締め切りは以下です。
原稿……1200字以内。顔写真付き。
原稿料……○○円(弊社規定につき、税込み)
締め切り……2月1日締め切り、最短で2日付紙面掲載。(締め切りが厳しいのであれば、若干遅らせることは可能です)
<太田>
拙稿をお送りします。
分量が足りなければ、おっしゃってください。
記
元防衛庁審議官 評論家 太田述正 (写真は、私のホームページに載っているものをご利用ください。)
私の後輩の田中聡君や真部朗君が、それぞれ沖縄防衛局長として、世間を騒がせたことに、残念な思いがすると同時に呆れている。
呆れたのは、自分の言動が不適切なものであるという自覚が両名にはなかったと思われる点だけではない。
田中君の場合はオフレコだからと安心し、真部君の場合は相手が局の職員だからと安心して、自分の言動がリークされる可能性を顧みなかった点にも呆れた。
両名とも、危機管理に携わる役所の幹部とは思えない脇の甘さだ。
いや、そもそも、危機管理に携わる役所であろうとなかろうと、幹部職員ともなれば、自分の役所や個人としてのホンネはホンネとして、時代の進展や自らを取り巻く環境を弁えて言動は慎重に行うことが求められる。
彼らのような役人を育て、彼らのような役人を重要なポストに就けた防衛省は、厳しく批判されてしかるべきだろう。
以上は一般論だが、田中君のケースもそうだったが、今回は、特に沖縄の特殊性が浮き彫りになったケースであるように思う。
というのは、私は仙台防衛施設局長(現在の東北防衛局長)を経験したが、局が地方自治体の選挙に、今回のような形で関与するようなことはなかったからだ。
そのようなことが私の前任者達の時に行われていた形跡もなかった。
恐らく、(当時の那覇防衛施設局は別として、)他局でも事情は似たようなものではなかったか。
ただし、当時、どこの省庁でもやっていたことだが、私が防衛庁(当時)の本庁勤務をしていた時に、国政選挙に立候補することとなった防衛庁の役人OBに対する支援の呼びかけが、時に<(←トル)>官房のしかるべき人物による前書き付きで回覧板で回ってくることが時々あった(同じことを各幕は幹部自衛官OBに対してやっていたと思われる)し、防衛庁長官経験者等の政治家のパーティ券が官房から届けられて、パーティへの出席を促されることはしょっちゅうだった。
米軍基地が集中している沖縄での国政選挙や県ないし基地周辺市町村の選挙の結果が防衛行政に及ぼす影響、及び(逆に)防衛行政が沖縄県やその基地周辺市町村にカネや雇用の面で及ぼす影響が他の都道府県とは比較にならないほど大きいことから、沖縄に派遣された防衛庁の役人が、本庁での経験を踏まえ、これら選挙への関与を、さしたる抵抗感なく始め、それが、時代や環境の変化にもかかわらず、現在まで続いてきた、という可能性が否定できないのではないか。
<沖縄タイムス女性記者>
原稿ありがとうございます。
原稿の最後の部分、もう一文章付け加えると良いのではないかと思いました。
最後の締めの言葉です。
「選挙への関与をさしたる疑問もなく……長く続けてきた可能性がある」というところで文章が終わっていますが、では、沖縄防衛局は、防衛省はどうすべきなのか、など太田様の主張を付け加えていただきたいです。
——————————————–
さきほど、あす、真部局長の参考人招致の動きがでました。
事態が動いたので、識者評論の原稿掲載は見送られました。
掲載は、あす以降になりそうです。もしかすると、掲載形態も変更の可能性も出てきました。
すみませんが、あす、あらためてご連絡さしあげます。
おいそがしいなか、無理して書いていただいたのに、すみません。
新聞社の事情をおくみ取りくださいますよう、お願いいたします。
申し訳ありません。
<太田>
一応、追加分をお送りしておきます。
記
忘れてはならないことは、田中君のケースにせよ、今回の真部君のケースにせよ、その背景に、野田首相が普天間問題を軽視していて、防衛省だけがきりきり舞いさせられている、という事情があることだ。
野田首相が、財政再建等を優先していることには理解できる部分はあるが、一川、田中といった人物を防衛大臣にしたことは理解に苦しむ。
普天間問題を凍結したいというのなら、三度目の正直で、今度こそ、防衛問題に精通している人物を防衛大臣に就けるべきだろう。
——————————————–
⇒結局、紙面には掲載されなかった。(太田)
イギリス史とロシア史が共鳴した瞬間(その6))/沖縄防衛局長事件「取材」のドタバタ劇
- 公開日: