太田述正コラム#5276(2012.2.2)
<イギリス史とロシア史が共鳴した瞬間(その7)>(2012.5.18公開)
 (4)ロシア
 「・・・この本の後半の「神の構築者達(God-Builders)」は、「1920年9月、作家のマキシム・ゴーリキーの示唆に従い、レーニンからの手紙をポケットに入れて、H.G. ウェルズはロシアに到着した」で始まる。
 その数年前、ウェルズは、野心的な計画を提案していた。
 それは、「知識人たる少数者・・科学者、エンジニア、飛行家(aviator)、人民委員(commissar)・・が進化のコントロール権を掌握し、人類をより良い未来へと導き、最終的に、人間達は神々のようになる」というものだった。
 ウェルズの偉大なる諸幻想は、ブラヴァツキー(Blavatsky)夫人<(注27)(コラム#2870)>、G.I. グルジエフ(Gurdjieff)<(注28)>、P.D. ウスペンスキー(Ouspensky)<(注29)>、そしてとりわけ、チエホフ(Chekhov)、トルストイ(Tolstoy)、そしてレーニンと親しい関係にあったゴーリキー、のような神秘主義に魅かれていた知識人達の蓄電池を充電した。
 (注27)ヘレナ・ペトロヴァ・ブラヴァツキー(Helena Petrovna Blavatsky。1831~91年)。母方の祖先はノヴゴロドに最初のロシア国家を建設した、北欧人(Norse)のルーリック(Rurik)、父方はバルト地域のドイツ人貴族の家系。
http://en.wikipedia.org/wiki/Helena_Blavatsky
 (注28)ゲオルギイ・イヴァノヴィチ・グルジエフ(George Ivanovich Gurdjieff。1866~1949年)。「ギリシャ系の父とアルメニア系の母のもとに当時ロシア領であったアルメニアに生まれ、・・・「ワーク」として知られる精神的/実存的な取り組みの主導者として、および著述家・舞踏作家・作曲家として知られる。・・・20世紀最大の神秘思想家と見なされることもあ<る。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%82%A8%E3%83%95
http://en.wikipedia.org/wiki/George_Gurdjieff
 (注29)ピョートル・デミアノヴィッチ・ウスペンスキー(Pyotr Demianovich Ouspenskii=Peter D. Ouspensky。1878~1947年)。「ロシアの神秘思想家。モスクワでジャーナリストとして活躍する傍ら、神秘学、数学、哲学などの研究を行い著作を著す。神秘思想家グルジエフとの出会いは彼に多大な影響を与えた。・・・イギリスを拠点に講義などの活動を続け、1940年にはアメリカにわたっている。1947年イギリスに戻ってきてからまもなく死去する。イギリスでは多くの文化人に影響を与えた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC
http://en.wikipedia.org/wiki/P._D._Ouspensky
 彼より前のシジウィックのように、ゴーリキーは、「思考エネルギー」を生み出すと彼が信じていたところの、人間の人格は永遠のものであって、<それは>本質的に宇宙の構造(fabric)に編み合わせられていることを確信していた。
 逆に、シジウィックとは違って、ゴーリキーは、人間は、「神々」へ進化し、最終的には宇宙の発展それ自体に影響を及ぼすと信じていた。
 この観念は、「神構築(God-building)」<(注30)>と呼ばれたところの、<ロシア>革命以前の運動を生誕させた。
 (注30)何名かのソ連の著名マルキストによって提案された考えだが、採用されることはなく、公式イデオロギーによって抑圧されることとなる。
 この考えは、フォイエルバッハ(Ludwig Feuerbach)の「人類の宗教(religion of humanity)」の考えに鼓吹され、フランス革命の時の「理性のカルト(cult of reason)」<(コラム#5240参照)>を一つの先例とする。
 従来の宗教は廃止されるべきであり、超自然的存在は認めないとしつつも、人類を崇拝し組織的宗教の文化的諸様相の多くを保持するところの、新しい宗教が作り出されるべきである、というもの。
http://en.wikipedia.org/wiki/God-Building
 ちなみに、ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ(Ludwig Andreas Feuerbach。1804~72年)は、「ヘーゲル哲学から出発し<たが、>・・・ヘーゲルの<、>抽象的な精神・理念を主体として捉え<、>その自己展開の過程<として>歴史や自然・世界を見る考え方に疑問を抱<き、>・・・<かかる>抽象的な精神は元々人間の働きであるものなのに、ヘーゲル哲学では独立して考えられていると考え「人間の自己疎外」という表現で批判<した。>・・・<また、>当時のキリスト教に対して激しい批判を行った。また現世的な幸福を説くその・・・人間主義的唯物論・・・思想は、カール・マルクスやフリードリヒ・エンゲルスらに多大な影響を与えた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%92%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F
 「一種の世俗的神秘主義カルトであった神構築<運動>は、オカルト主義と科学が手を携えて行進した19世紀末の欧州の潮流の一支流だった」とグレイは記す。
 「神構築運動家達は、真の革命家は、死の廃止を含むところの、人類を神性化する営みを企図しなければならない、と信じたのだ」と。
 ボルシェヴィキ達が、ゴーリキーの友人のアナトリー・ルナチャルスキー(Anatoly Lunacharsky)<(注31)>・・この名前は彼が就いた仕事にぴったりだった・・を教育人民委員(Commissariat of Enlightenment=文部大臣)にした時、彼は、革命の目的は、「人間精神の「全精神(All-Spirit)」への発展」であると宣言した。
 (注31)アナトリー・ワシリエヴィチ・ルナチャルスキー(Anatoly Vasilyevich Lunacharsky。1875~1933年)。「ウクライナ北東部ポルタヴァに生まれる。生家は貴族。・・・<初代の教育人民委員として、>識字率の改善を目指し学校体系の整備に努めた。1927年アメリカカリフォルニア州立図書館カリフォルニア郡図書館司書ハリエット.G.エディーをモスクワに招請し1930年に彼女が帰国するまで文教政策について諮問している。この他、ルナチャルスキーは、ソビエト政権がイデオロギー上、破壊を目論んだ多くの歴史的宗教的建造物の保存、芸術品、文化財の保護、収集、海外への流出阻止などに努力した。」スペイン大使の時に死亡。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC
http://en.wikipedia.org/wiki/Anatoly_Lunacharsky
 「これは、ヘーゲル<(注32)>の精神(Geist)の発展という概念の、容易には信じ難いかもしれないけれど、斬新な文学的解釈だ。
 (注32)ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel。1770~1831年)。「8歳のときシェイクスピア全集をもらい読む・・・ヨハネス・ケプラー(出身が同じ・・・シュトゥットガルト・・・であった)こそが惑星の運動法則の本質の発見者であり、アイザック・ニュートンは数学的に発見したのみであるとニュートン批判を論じた。・・・<その著作は、>言葉の定義があいまいだという不満も多いが、そもそもヘーゲルの弁証法においては概念の自己運動にあわせて言葉が動いていくものであるから、言葉の定義を問うこと自体が無理な構造となっている。・・・「精神現象学」は学問としての哲学というより、個人の魂がどのように成長していくかを説いた書であるとして、ゲーテ等に見られる「教養小説」として読むほうが正しいという意見<があるし、>・・・<イギリスの哲学者の>バートランド・ラッセル・・・<に至っては>、ヘーゲルは当時の現在誤っているとされている・・・ヘーゲル独自の弁証法・・・論理学に基づき、壮大な論理体系を作り上げたのであって、そのことがかえって多くの人に多大な興味を持たせる結果になったのである<、とヘーゲルを切り捨てている>。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%AB
 この概念は、究極的には、世界、歴史、そして人間意識の、ヘーゲルが「絶対精神」と描写したところのものへの一種の偉大なる拡張として展張していく」というわけだ。
 しかし、我々がせいぜい言えることは、ヘーゲルが、このプロセスに人間自身が影響を実際に及ぼすことができるなどとは見ていなかった、ということだ。
 むしろそうではなくて、我々は偉大なる目的論的な展張の一部である<とヘーゲルは見ていたのだ>。
 ヘーゲルは、代表作の『精神現象学(Phenomenology of Spirit)』の中で、あえて、神の眼から物事がどのように見えているかを忖度した物の見方を提示しているのであって、彼は、レシピ本を提供したわけではないことだけは確かなのだ。・・・」(G)
→ヘーゲルもまた、対イギリス・コンプレックスから、せめて観念の上だけでもイギリスを超えようとして、演繹的(観念的)であるがゆえに検証不可能な著作・・しかも彼の場合、言葉の定義も曖昧で論理も無茶苦茶なトンデモ著作・・をものしたところの、典型的なドイツの、ひいては欧州の知識人の一人であったと言えそうです。
 このヘーゲルから、まず、フォイエルバッハやマルクスのようなヘーゲル左派が、次いで、アレクサンドル・コジューブ(Alexandre Kojeve。1902~68年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B4
やフランシス・フクヤマ(Francis Yoshihiro Fukuyama。1952年~)のようなヘーゲル右派が、世迷言を書き散らして世に害悪を撒き散らす、ということにあいなったわけです。(最後のくだりは、ヘーゲルに関する日本語ウィキペディア前掲を参考にした。)(太田)
(続く)