太田述正コラム#0088(2002.12.26)
<個人主義(その1)(アングロサクソン論6)>
(これは、1979年に作成したメモに若干手を加えたものです。時事問題を取り上げて欲しいと思っておられる読者の方は少なくないと思いますが、ちょっとお待ちを。)
1 シェークスピアの世界
シェークスピアの劇をイギリスで観ることには格別の趣があります。
1987-88年のイギリス滞在中、ロンドンのバービカンで「じゃじゃ馬ならし」と「ベニスの商人」、そしてシェークスピア生誕の地ストラットフォードでは「マクベス」、を鑑賞する機会がありました。
前々から 私は、16世紀という昔に、現代にそのまま通用する戯曲を次から次へと生み出したシェークスピアに驚異の念を抱いていました。
しかし、実際に英国人俳優によって演じられる出し物を見て改めて強い感動を覚えつつも、目の前で展開される殺伐、苛烈な人間劇にいささかへきえきさせられました。
「じゃじゃ馬ならし」は、舞台はイタリア。金持ちの親の言うなりの結婚を考えている女性らしい妹と、そのような結婚に反発する男まさりの姉がいました。父親は、困ったあげく姉の方の結婚相手を捜してくれた者に妹をやると宣言します。そこで、候補者捜しが始まりますが、なかなかうまく行きません。ところが、あるバンカラで荒々しい男が、高圧的な態度でアプローチしてくると、ついに彼女の心は射止められてしまう・・・という話です。
その観劇の際に買った「じゃじゃ馬ならし」のプログラムに載っていた文章が今でも印象に残っています。
「[イギリスの]16から17世紀初めにかけての社会各層の家庭において、共通にみられる情的関係につき、自信を持って言い得るほぼすべてのことは、互いに敬して遠ざけあい、あやつりあうという心理が蔓延していたことである。高い死亡率は、人間関係をまことに索漠としたものにしていた。結婚話は、本人たちとほとんど相談されることなく、両親や親類たちによって、もっぱら経済的社会的理由に基づいて進められた(といっても、イエ同士の見合い結婚であったわけではなく、本人の積極的了解のもとに、進められたとお考えください。(太田))。両親と子供たちの間の強い絆について記したものは、皆無とは言わないが、ほとんどこれを見いだすことができない。夫と妻の間の細やかな愛情について記したものもまれであり、やっと見つけたと思っても、決め手にはならない曖昧な例ばかりである。しかも、[キリスト教から来る、]霊魂は不滅で、救済が可能であるという観念は、子供、配偶者または親との死別の悲しみを軽減するのに大いに貢献したのである」(ローレンス・ストーン「イギリスにおけるセックスと結婚」)というくだりです。まさに「じゃじゃ馬ならし」の世界そのものではありませんか。
中野好夫さんの『シェークスピアの面白さ』の中の、「[シェークスピアは、もっぱら舞台を昔(の外国やイギリス)に設定しているが、]なにも外形ばかりでなく(俳優たちは、16 -17世紀当時のイギリスの服装をして演技を行ったという。(太田))、精神、考え方、人間感情の動きにおいても、あくまで・・・[イギリスの]当時の「現代人」を頭においていることは当然であり、時代物という枠はある意味で第二議的なものにすぎなかった」というくだりの意味が、その時初めてよく分かった気がしました。
結局、シェークスピア劇にわれわれが「現代性」を感じるとすれば、それは16 -17世紀のイギリスの忠実な模写であるからであり、当時のイギリスが、すでに「現代的」であったことを意味しているのです。
そもそも、シェークスピアの詩人、劇作家としての才能の偉大さには瞳目すべきものがあるとしても、その他の点では、シェークスピアはチューダー朝のイギリスにいくらでもいた、フツーの人だったと考えられるのです。
例えば、シェークスピアの恐るべき博識ぶりについては、「こうした知識は、当時は広範な公衆の知識だった。特にロンドンではそうだった」(アンドレ・モロア『英国史』)のであって、基礎的な教育しか受けたことがなく、ストラットフォードとロンドンしか知らない一介の俳優だった彼が、博識であっても何の不思議もないのです。
中野さんが同じ本の中で、「シェークスピアが私たちに提出しているのは、まずなにを措いても The play’s the thing なのであり、[彼の]哲学も人生観も、すべては芝居という媒介を通じて表現されている。決してなまの思想としては出されていないのである。」とされているのも、シェークスピアを買いかぶり過ぎているような気がします。シェークスピアの哲学、人生観もまた、当時のイギリス人として、ごくありふれたものにほかならなかったと考えられるのです。
いずれにせよここでは、シェークスピアが描いたところの殺伐たるイギリスの心象風景こそ、現代文明の原風景なのだということを頭にとどめてください。
そのイギリスは、極め付きの個人主義社会なのです。
2 個人主義社会イギリス
(1)個人主義の「生誕」
『アメリカにおける民主主義』で有名なトックヴィルは、もう一つの著書『アンシャンレジーム』のなかで、「(フランス人の)祖先は、個人主義という言葉を持っていなかった。われわれは、この言葉を自らの使用に供するために作り出した。というのは、彼らの時代には、集団に属さない個人はいなかったし、自分が完全に一人ぼっちであると考えることができた者も存在しなかったからである。」といっています。(Alain Macfarlane, The Origins of English Individualism, Basil Blackwell 1979(以下『個人主義』)より孫引き)
同じ主旨のことを、マルクスは、「歴史をさかのぼればのぼるほど、個人は、集団に埋没し、それに依存する度合が大きくなるように見える。」(『経済学 批判序説』、『個人主義』より孫引き))とより一般的な形で言っています。
では、集団に埋没していない「個人」はいつ頃出現したのでしょうか。
ダニエル・デフォーが「ロビンソン・クルーソーを書いたのは、1719年です。「ロビンソン・クルーソー」の人間像は、・・・単に小説の無人島におけるフィクションではなしに、当時のイギリスには広範にそういう人間が存在したと いわれております。・・・社会、共同体にしばられない、また身分制度から解放された独立の個人・・・であります。」(福田歓一『近代の政治思想』)というわけですから、18世紀初頭にはいたようです。
17世紀中ごろはどうだったでしょうか。1642年に出版された『レヴァイアサン』において、「(ホッブスは、)自然を人間の感性によって知りうるものに限るという立場(をとります。)社会、共同体というものは自然のレヴェルにおいては、実はないわけでありまして、自然のレヴェルではただ複数の個人が見出されるにすぎないわけでありますから、自然としての人間は、生物としての個人にまで還元されてしまうのであります」(福田、同上)。というところからみると、この「個人」は、ホッブスの想像上の産物ではなく、当時のイギリスに実在していたと考えるほうが自然です。
また、シェークスピアの活躍したのは、16世紀の終わりから、17世紀の初めにかけてですが、シェークスピアの劇の中に、われわれが「現代性」を見出す以上、「個人」はすでに16世紀末には出現していたことになります。
言うまでもなく、このころは、フランスは、「アンシャン・レジーム」のまっただなかであり、「個人」はまだ生まれていませんでした。フランス以外ではもとよりです。イギリスにおいて、世界で最も早い時期から「個人」が存在していたことは、争いがたい事実でしょう。
問題は、「個人」がいつイギリスに出現したかということです。
アラン・マクファーレーンは、イギリスは、13世紀には個人主義、すなわち「個人」からなる社会だったし、恐らくどれだけさかのぼってもそうだったであろうと指摘しています。(この点については、マクファーレーンの資本主義起源論と併せ、いずれ詳細に論じたいと思います。)
(2)ナウな結婚観
イギリスが個人主義社会であることは、結婚制度の面からも裏付けることができます。
モンテスキューは、『法の精神』の中で、「イギリスの娘達は、しばしば、両親に相談することなく、自分達の望むがままの結婚をしている。というのも、法がそれを許しているからである。一方、フランスでは、法によって、父親の同意がない結婚は、禁じられている。」と述べており、エンゲルスは、『家族、私有財産及び国家の起源』の中で、「ドイツや、フランス法を採用している国々では、子供は、結婚にあたって、両親の同意を得なければならないものとされている。しかるに、イギリス法の下にある国々では、両親の同意は、いかなる意味においても結婚の条件とはなっていない。」としています。この点も、いくらイギリス史をさかのぼっても変わらないようです。(Alain Macfarlane,Marriage and Love in England 1300-1840, Basil Blackwell 1986(以下、『結婚』)より)
この、結婚が、ウジとウジ、あるいはイエとイエの結び付きではなく、個人としての男女の自発的な結び付き=契約以外の何物でもないという、イギリスに始まる革命的な考え方こそ、日本国憲法第23条、「婚姻は、両性の合意の みに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」のよってきたる淵源なのです。
「個人主義者」であるイギリス人にとっては、結婚は、熟慮の末に踏み切るべき事業といったものだったのですが、いったん結婚すると常に仲むつまじく一緒に行動するというのが、昔の大陸諸国からの訪問者にとっては、大変奇妙な習慣に写ったようです。まさに、個人主義社会に生きる、孤独なイギリス男性にとって、「妻は、若いときには情婦、中年では友人、老年では看護婦」(ベーコン『随想録』)であるのでしょう。(『結婚』)
このイギリスの「奇妙な習慣」が、やはり次第にヨーロッパのみならず、世界を席巻しつつあることは、ご承知のとおりです。