太田述正コラム#5284(2012.2.6)
<イギリス史とロシア史が共鳴した瞬間(その11)>(2012.5.22公開)
(5)グレイ批判
「・・・共産主義と自由市場への信条は博物館行きだ・・・」(D)
「・・・というアリアも、その指揮者<たるグレイ>も同じで、オーケストラだけが新しい<、と言いたくなるのがこの本だ。>
グレイは以前、もっと上手にこの旋律を奏でたものだ。
彼の内なる哲学者のために、<新たな地平を目指して>前進すべき時来たれりだ。・・・」(C)
「・・・グレイは、登場人物たちの愛憎生活に憑りつかれ過ぎて、人類の死(mortality)と折り合いをつける試みという、中心的主題と目されるものが雑談の寄せ集めの中でぼかされてしまった。・・・」(E)
「・・・ウェルズとザクレフスカヤ(Zakrevskaya=ムーラ)の複雑な関係についての物語は、かなり面白いが、<この本の>第二部の残部はこの哲学的主題を扱う本にとっては場違いに思える。・・・
彼が、例えば、トルストイの有名な考え・・人間の平均的知能をアリストテレス並の水準まで高めること・・とか、スターリンの、人間と類人猿を交配する科学的実験を認めることで超人(ubermensch)を創り出そうという試み、をもっと詳しく議論することを回避したのは驚くべきことだ。・・・」(H)
3 終わりに代えて
さて、本当にグレイが示唆しているように、イギリス史とロシア史が共鳴した瞬間はあったのでしょうか。
19世紀末から20世紀初頭にかけては、自然科学は全般的に急速に発展したものの、そのうちの生命科学(含む人間科学)の発展は相対的に遅れ、社会科学に至っては、いまだ疑似科学に毛が生えた程度にとどまっていた時代です。
このような時代背景の下、アングロサクソン文明の国として自然宗教と経験論科学の伝統のあるイギリスでは、エリート達が、己の自然宗教的心情を自然科学的に解明し、充足しようとして心霊論者が出現したのに対し、欧州文明の外延の国としてキリスト教(正教)と合理論疑似科学の伝統のあるロシアでは、エリート達が、キリスト教の変形物としての無神論的宗教を構築しようとし、その一環として神構成論者が出現した、ということである、と私はとらえています。
すなわち、当時においても、イギリス史とロシア史は、表面的にはともかくとして、実態的には決して共鳴などしていなかったのであり、両者は似て非なるものであった、と思うのです。
だからこそと言うべきか、ソ連の崩壊とともに、というか、既にそれ以前に神構成論は死に絶え、そのいわば残骸たるレーニンのミイラ入り霊廟だけが赤の広場に残っている(注47)のに対し、イギリスでは、心霊論の新バージョンとも言うべきものが、トランスヒューマニズムやシェルドレークの説として、20世紀末から21世紀初頭にかけて相次いで出現しています。
(注47)「1953年に・・・スターリンが死去すると、その遺体も保存処理されレーニン廟に安置されたが、1961年の「第二次スターリン批判」にともなって撤去され、赤の広場に埋葬された。・・・2011年1月にロシアの政権与党である統一ロシアがレーニン廟撤去の賛否投票を行えるサイト・・・を立ち上げた。これにより、このサイトの投票結果と2011年12月のロシア下院選挙、2012年3月のロシア大統領選挙の結果次第(例えば、統一ロシア現党首であるウラジーミル・プーチンの当選)では、レーニン廟の撤去が現実味を帯び始めている。ちなみに、サイトのURLも「グッバイレーニン・ドット・アールユー」であり、レーニン廟の撤去を推進しようという政権側の狙いが見て取れる。
また、1993年秋まではレーニン廟の入口にも衛兵が立っており、クレムリンの鐘の音に合わせて1時間毎に交代をしていたが、現在ではそういった光景は無くなっており見ることが出来ない。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E5%BB%9F
(この関連で、私は、ニコライ・フョードロフをトランスヒューマニズムのはしりと見ることに疑問を抱いています。)
というわけで、付言すれば、私は、このグレイの新著の価値は、その「主題」よりは、「登場人物たちの愛憎生活」の叙述にこそある、と思った次第です。
さて、トランスヒューマニズムについては、既に取り上げたことがあるので、ここでは、シェルドレークの説について、彼の新著に係るガーディアンのインタビュー記事に拠って、簡単に説明しておこうと思います。
「ルパート・シェルドレイク(Rupert Sheldrake)<(注48)>・・・は、(彼がかってそうであったところの)ケンブリッジ大学の生化学のドン、彼の世代の最も輝かしいダーウィン主義者の一人、大学植物学賞受賞者、王立協会の研究者、ハーヴァード大学の学者、そしてクレア単科大学(Clare College)フェロー、としか今でも見えない。・・・
(注48)Alfred Rupert Sheldrake。1942年~。イギリスの生物学者、超心理学者(parapsychologist)。
http://en.wikipedia.org/wiki/Rupert_Sheldrake
シェルドレイクの「直接的な接触が無くても、ある人や物に起きたことが他の人や物に伝播する」とする形態形成場仮説ないしモルフォジェネティク・フィールド(morphogenetic field)仮説や、「記憶や経験は脳ではなく、種ごとサーバーのような場所に保存されており、脳は単なる受信機に過ぎ<ない>」とする仮説については、下掲参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%81%AE%E4%BB%AE%E8%AA%AC
同い年・・・<であるドーキンス(Dawkins)と>私が共通にしているのは、進化が自然の中心的様相であることに確信を持っている点だ」とシェルドレークは言う。
しかし、あえて言わせてもらえば、彼の進化は生物学で終わっている。
「例えば、宇宙論(cosmology)になると、彼は言うべきことがほとんどない。
私は、そこにも進化原理を持ち込む。
私は、「自然の諸法則」もまた進化する傾向があると考えている。
私は、「自然の諸法則」なるものは、諸法則というよりは諸慣習(habits)であると考えているのだ。
我々が理解し始めようとしているものの多くは、宇宙のことなった部分において異なった進化を遂げてきたのは明白だということだ」と。
シェルドレークは、宇宙の83%が今や「暗黒物質(dark matter)」に占められており、それが「暗黒エネルギー」的諸力によって支配されているものの、「我々の科学ではそれを説明する糸口さえ掴んでいない」・・・ことについて、大いに語る。・・・
「記憶は、時の関数であって空間の関数ではないので大脳に蓄えられるわけではないというベルグソンの考えに出会った時、私は、自分が格闘してきた問題を解く潜在的可能性があるのは自然に置ける記憶原理であることに気付いた」と。・・・
「私は、いつも死は、目が覚める可能性ない状態で夢を見るようなものだと考えている」と彼は言う。
そして、この夢の中で、我々が生きている時の夢の中でのように、みんな自分が欲していることをある程度得ると。・・・
「私のこの<新>著書が、これまでのところ、好意的に受け止められている理由の一つは、時代が変わりつつあるからだと思う」と彼は示唆する。
我々にとってかつて絶対正しいとされていた、特にネオリベラル資本主義の価値は真逆になった(turn on one’s head)。
ドーキンスとヒッチェンス(Hitchens)とデネット(Dennet)<(注49)>の無神論復興運動は、多くの人々にとって狭く教義的過ぎる。
(注49)ダニエル・クレメント・デネット(Daniel Clement Dennett。1942年~。米国の哲学者、著述家、認知科学者で無神論者。ドーキンス、故ヒッチェンス、サム・ハリス(Sam Harris<。1967年~:米国の著述家、哲学者、神経科学者で無神論者>)とともに、「新無神論の4人の騎手(Four Horsemen of New Atheism)」の1人。
http://en.wikipedia.org/wiki/Daniel_Dennett
http://en.wikipedia.org/wiki/Sam_Harris_(author) (ただし、<>内)
私は、今や、独特の開かれた時代になったと思う…」と。
彼は、科学における「カミングアウト」の時期が来ると期待している。
「それは、1950年代の同性愛者達みたいなものさ」と彼は示唆する。・・・」
http://www.guardian.co.uk/science/2012/feb/05/rupert-sheldrake-interview-science-delusion
(2月5日アクセス)
(完)
イギリス史とロシア史が共鳴した瞬間(その11)
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