太田述正コラム#5318(2012.2.23)
<大英帝国再論(その9)>(2012.6.9公開)
 私が、ここまで、ほとんどコメントらしいコメントを付してこなかったことに奇異の念を抱かれた方もおられると思いますが、クワルテングの言うことにことごとく同意なので、当然です。
 ただ、隴を得て蜀を望むような話ではあるものの、クワルテングが触れなかったことに若干不満があるので、最後に補足的にそのお話をすることにします。
3 各国(地域)の現状
 (1)序
 その前に、クワルテングが取り上げた6つの地域が現在どんな状況にあるかを押さえておきたいと思います。
 西から東へという順序に配列しました。
 (2)ナイジェリア
 「・・・ナイジェリアは、アフリカ一の産油国だが、一日1米ドル未満で生活しているナイジェリア人の数は2004年の51.6%から2010年には61.2%に増えた。・・・
 ナイジェリアはアフリカ一人口の多い国だが、1996年から2004年にかけては貧困率は減少していたので、上記数字は退行以外のなにものでもない。・・・
 ナイジェリア経済は2003年から2010年にかけて年平均7.6%成長を遂げた。・・・
 <しかし、>ナイジェリアの36の州の各政府は、大きな権限を持っているところ、彼らはそれを公共財のためではなく、個人的利殖のために使用しており、地方的な政治的利害と抵触するイニシアティヴを妨げがちだ。・・・
 ・・・貧困率は、この国の北部、とりわけ北西部において最も高い。・・・
 ナイジェリアの1億6,000万人の国民は、主としてイスラム教徒からなる北部と圧倒的多数のキリスト教徒からなる南部におおむね分かれている。・・・
 「北部においては、我々は、文盲、無智、そして人々を貧困から脱出させることができる近代的諸観念に対する抵抗感、という問題を抱ている。」・・・」
http://www.taipeitimes.com/News/world/archives/2012/02/21/2003526026
(2月21日アクセス。以下同じ)
 「・・・ナイジェリアは、その指導者を警察に殺されたことへの復讐に熱心なボコ・ハラム(Boko Haram)として知られる<集団の>叛乱によってズタズタにされつつある。
 この集団は、雇用創出諸プログラムとこの国で一番貧乏な北部・・そこからこの集団は9年前に残忍性を帯びて出現した・・へのイスラム法の賦課とを要求している。
 15日の夜、、役人達によってこの叛乱集団に属すると目されたところの、約20人の小銃手が、ナイジェリアの首都アブジャ(Abuja)の南部の牢獄を襲撃し、少なくとも囚人119名を解放した。・・・
 諜報報告によれば、アルカーイダがこの集団に車載爆弾、コンデンスミルク缶製手りゅう弾、その他の即製爆発装置の製造法を教えた。
 武装叛乱者達は、<爾後、>ナイジェリア全体で少なくとも935人の人々を殺害してきた。・・・
 ボコ・ハラムは、「欧米から学ぶことは罪である」という意味だ。<(注40)>・・・
 (注40)Western education is sacrilege。ただし、この集団の正式名称は、「預言者の教えと聖戦の普及に一身を捧げる人々(People Committed to the Propagation of the Prophet’s Teachings and Jihad)」のアラビア語。
http://en.wikipedia.org/wiki/Boko_Haram
 <この>ナイジェリアは、2050年には世界で4番目に人口の多い国になると推計されている。・・・
 <また、>この国は、2014年にも南アフリカを抜いてアフリカ大陸における最大の経済大国になるかもしれない。
 石油輸出は2009年から7%増えて一日250万バレルに達しており、ナイジェリアはアフリカ一の原油生産国であるとともに、石油の米国市場への供給国としては4番目だ。・・・
 南部ナイジェリア人は北部人の2倍の一人当たりGDPを享受している。・・・
 マリ(Mali)では、リビアの指導者の故モアマール・カダフィ(Moammar Gadhafi)によって訓練され傭兵として雇用されたところの、ツアレグ(Tuareg)族<(コラム#5021、5024、5075、5283)>の叛乱者の一つの軍が郷里に戻り、そこで、彼らは、ツアレグ自治を掲げる作戦を行い、政府の役人達を駆逐している。
  そして、マリのモーリタニア(Mauritania)との西の国境沿いには、アルカーイダの一派(franchise)・・長らくアルジェリア政府転覆に大わらわだった・・がいて、自分達がイスラム的マグレブ(Islamic Maghreb)と呼ぶ旱魃だらけの領域から外国人達を追放する努力へと力点を移して現在に至っている
 役人達は、これらの叛乱諸集団が提携するのではないか、いや既に提携しているのではないか、という心配をしている。・・・
 <こういう次第で、>ナイジェリアは、その予算の5分の1を保安関係機関に投じてきた。・・・
 ナイジェリアは、石油収入から裨益するための作戦の一環として、石油作業員を誘拐し、石油生産施設を攻撃したところの、石油武装叛乱者達と10年を超える期間、戦った。
 この暴力は、2009年の恩赦合意の後、おおむね非活発化した。・・・
 <そこへ代わって出現したのがボコ・ハラムだったわけだが、>ボコ・ハラム創設者のモハメド・ユースフ(Mohammed Yusuf)<(注41)>が拘束中に射殺されたことへの不平不満が、この集団の反警察暴力の核心にある。・・・
 (注41)1970~2009年。2002年にボコ・ハラム創設。進化論を否定し、雨が太陽によって蒸発した水から来ていることも否定。4人の妻と12人の子供がいる。監獄から集団で脱走したがナイジェリアの治安部隊によって射殺された。
http://en.wikipedia.org/wiki/Mohammed_Yusuf_(Boko_Haram)
 <ナイジェリアの>政府指導者達は、ボコ・ハラムが、後援容疑者であったカダフィが昨年死んだ後、資金不足に陥っているのではないかと疑っている。
 保安関係の役人達は、ナイジェリアの石油武装叛乱者達を含め、西アフリカ全般の諸叛乱にカネを提供していたカダフィが、ボコ・ハラムの最も敵対的な指導者達にカネを送り込んでいたことの証拠を握っていると語っている。・・・」
http://online.wsj.com/article/SB10001424052970204642604577214964214090958.html?mod=WSJ_World_MIDDLENews
(2月18日アクセス)
 「・・・<ナイジェリア北部等には、>ツァンガヤ(tsangaya)と呼ばれるイスラム教学校が<たくさん>ある。・・・
 アルマジリ(almajiri)達と呼ばれるところの<この学校に預けられた>少年達は、マラーム(mallam)達、つまり宗教教師達の指導の下にあることになっている。
 しかし、現実には、アルマジリ達は日中に「日課中断」をして、何十人も外出して街中でプラスチック製のお椀を持って乞食行の長い一日を始める。・・・
 <北部は、上述の>貧困に加えて一夫多妻社会であり、一つの家族と両親の下に何ダースも子供ができることがあり得るところ、他方で彼らを養う手段がほとんどないので、自分達の子供達を、隣の諸州や場合によっては諸外国の、しばしば何百マイルも離れたところにあるツァンガヤに送り込む。・・・
 アルマジリ達は、南部のキリスト教徒が率いる政府を掘り崩そうとする北部の政治エリート達のために暴力を恒久化していると長らく非難されてきた。
 今では、ボコ・ハラムの容易なる募集対象となっているのではないか、と彼らに対して疑惑の目が投げかけられている。・・・」
http://www.time.com/time/printout/0,8816,2107102,00.html
(2月20日アクセス。以下同じ)
 大英帝国による(白人植民者を対象とするものを除く)植民地統治の共通の問題点の一つは初等中等教育施策の軽視ないし無視です。
 キリスト教が普及した地域では、宣教師達がそれなりに教育機会の提供も行ったけれど、それ以外の地域は、教育空白地区であり続けたわけであり、それが今日のナイジェリアの地域間格差、そしてそれに由来する不安定性をもたらしたということでしょう。
(続く)