太田述正コラム#5332(2012.3.1)
<松尾匡『商人道ノススメ』を読む(その2)>(2012.6.16公開)
 「500円もらえて他人が10万円もうかる選択肢と、300円しかもらえなくて他人が何ももうからない選択肢と、どちらを選ぶかという問題<を被験者に示してみる。>
 合理的に考えれば200円分余計にもらえる方を選んだ方がトクに決まっているのに、わざとそれを捨てて他人の足をひっぱるかどうかということである。
 日本人とアメリカ人で比較実験すると、日本人はアメリカ人に比べて、自分が少しぐらい損をしても、他人の足をひっぱる選択を自らすすんでする傾向が多い。この一見不合理な行動にも、実はちゃんと意味があったのである。」(51)
 この実験についての注には、「T.R.Beard, R.O.Beil, Jr., 又賀喜治,”Cultural Determinants of Economic Success; Trust and Cooperation in the U.S. & Japan”,1998. 日本経済学会1998年度秋季大会(於, 立命館大学)報告。このような行動は「スパイト<(supite)>行動」と呼ばれる。」(277)とあります。
 続けましょう。
 「なぜなら、集団のメンバーみんながこのような性質を持っているならば、集団を裏切って自分だけトクをした者が現れたとき、みんなが自らすすんで足をひっぱってくれるからである。それが制裁になるのだ。すなわち、自分にコストがかかるのをいとわずに、みんなが制裁に貢献することになる。これがわかっている限り、仲間を裏切ることはできないということになる。こうして、この「人の足をよろこんでひっぱる」性質は、身内集団原理の社会において、集団の秩序を維持する働きがあったのである。
 このことを示した西條辰義らのグループの実験がある。この実験では、相手不明で組んだペアの間で、各自がまずゲームに参加するかどうかを決め、参加すると決めたら利得を得るための自分の貢献額を決める。相手が参加しないならば自分だけでも参加しなければ大損するのだが、相手が参加してくれるならば自分は参加しない方がぬれ手に粟でもうかる。このとき、どの程度参加するかは、実は合理的に計算で出てくる均衡の参加率があって、ゲームを何度も繰り返すうちに損得にあわせて少しずつ手を変えていけば、その均衡の参加率に落ち着く。これを「進化的に安定な均衡(=ESS)」と言う。
 これを日米で共同実験して比較した。すると、アメリカ人を被験者にした場合、相手が参加しようが参加しまいが、それぞれのケースで自分が一番トクをする貢献額を選ぶ傾向が観察された。その結果、参加率は実験を繰り返すうちにESS付近に落ち着いた。
 それに対して日本人を被験者にした場合、相手が参加しなかったならば、相手がぬれ手に粟でもうかるのを阻止するために、自分は一番トクにはならなくてもいいから、相手に打撃を与えるような貢献額を選ぶ傾向が観察された。その結果、参加率は実験を繰り返すうちに、ESSを超えてどんどんと高まっていった。すなわち、自分は少しぐらい損してもいいから他人の足をひっぱる行動が、不参加を選ぶことへの制裁として働き、協力を引き出していったのである。」(51~52)
 この実験についての注には、「Saijo, T., T. Yamato, K. Yokotani, T.N.Cason,”Voluntary Participation in Pubic Good Provision Experiments: Is Spitefulness a Source of Cooperation?”・・・1998,(
http://www.iser.osaka-u.ac.jp/~saijo/researches-e.html
).『経済セミナー』1997年11月号, pp.42-47 に紹介がある。」(277)とあります。
 続けます。
 「しかし、この性質がこのようにうまく働くのは、メンバーが決まった集団<(身内集団原理社会))>に限られる。メンバーが固定しない、不特定多数の人々からなる社会<(開放個人主義社会(43))>では、みんながこのような行動を取れば、みんなで足をひっぱりあって最悪の結果になる。・・・
 ・・・従来の日本人が他人の足をひっぱる性質は、裏切りを防ぐ制裁として機能していたと<申し上げた>が、逆に言えば、この制裁が働かない条件のもとでは、日本人は平気で集団を裏切りかねないということになる。実はこれも実験で証明されている。
 山岸俊男は、被験者を互いに相手不明の4人1組のグループにして、全員に定額の元手のお金をわたし、グループの他のメンバーのためにお金を提供したら、実験者によって2倍にされて他のメンバーに渡されるというルールのゲームをさせた。これは4人が同時に行うのだが、他人に提供させて自分はなにも提供しなければ丸もうけできる。しかし誰も1円も提供しなければ何ももうからない。みんながたくさん提供すればするほどみんなもうかることになる。これを、日本とアメリカで比較実験した。
 その結果、日本人被験者は、最初にわたされた元手のお金のうち、平均44%しか提供しなかったのに対して、アメリカ人被験者は、平均56%を提供したという。常識とは逆に、日本人の方が集団主義的でないということになるのだが、結局、人目がなくて制裁が働かないならばアメリカ人よりも利己的に振る舞う傾向があるわけである。」(特に断っていない限り、52、55)
 この実験についての注には、「山岸<俊男>『心でっかちな日本人』<日本経済新聞社, >pp.18-23」(277)とあります。
 二番目の実験については、「相手」が指しているのが、ペアの相手なのか、このペアが勝負をするところの「敵」たる相手ペアなのか、松尾の説明がヘタクソで分かりません。
 また、三つの実験についての見解部分が、この二つの実験を行った研究者達の見解なのか、松尾の見解なのか、定かではない個所もあります。
 とまれ、これらの点には目をつぶってコメントをすることにしましょう。
 やはり、これら一連の実験を行った研究者達も引用者たる松尾自身も、日米それぞれの文明の違いについて、余りにも鈍感である、と言わざるをえません。
 そのことと裏腹の関係にありますが、彼ら全員が、冒頭で言及したような近代主義者であって、人類の歴史は、一様に、共同体に閉じ込められている状態から個人が解放されて行く過程を辿る、という単線的なものであると見ており、このような意味において、米国は先進社会、日本は後進社会である、という思い込みに囚われているように思われます。
 他方、私は、人類はかつてはほぼ全員が人間主義者(例外的に利己主義者と利他主義者)からなっていたけれど、農業社会の到来を契機として、日本人や、日本の人間主義度には及ばないけれど、人間主義的なアングロサクソンを除いて、大部分は非人間主義的な利己主義者(例外的に利他主義)へと「堕落」して現在に至っている、と見ていることはご存じのとおりです。(コラム#省略)
 この私の物の見方に従って、これら一連の実験の結果をざっと解説してみましょう。
 日本人は大部分が人間主義者であるのに対し、米国人は大部分が利己主義者であること、その一方で、米国人の場合、世界の中でもユニークにも、アングロサクソン的規範とキリスト教的規範という人間主義的規範が二つも外から注入されている(注2)ことと、米国人達が移民ないし移民の子孫であることから彼らが世界中で最もリスク選好度が高い人々である(コラム#307、676、4899)こと、が前提となります。
 (注2)ただし、カリフォルニア大学バークレー校の研究者達による最新の研究(コラム#5330)は、(アングロサクソン的規範とキリスト教的規範注入されてはいても、内面化されていないため、)米国人の人間主義度(=ルール順守度や倫理度)は、状況対応的であることを明らかにした、と言ってよかろう。
 これに対し、日本人のルール順守度や倫理度は、人間主義が内発的なものであるだけに、状況によって左右されないのではないか、と思われる。
 その上で、まず、一番目の実験ですが、以下の実験結果を見てください。↓
 「正直で他人を信頼しやすく、普段は温厚な人ほど、不公平に憤って結果的に損をしやすい・・・
 正直な性格傾向が強い人ほど、脳の中脳と呼ばれる部分で情動や記憶などの機能調節を担う神経伝達物質「セロトニン」が消えにくいとみられる・・・」
http://news.livedoor.com/article/detail/6319052/
(2月28日アクセス)
 もはや、解説する必要がないくらいですね。
 人間主義者たる大部分の日本人は、第一の実験で、実験に何の貢献もしていない第三者がたなぼた的利得をする「不公平に憤って結果的に損をし」てしまう、ということなのです。
 それに対して、利己主義者(裸の個人主義者)たる大部分の米国人は、自分の利得だけを考えているので、「結果的に」得をしてしまう、というわけです。
 次に、三番目の実験ですが、これは、利己主義とか人間主義とかとは直接関係がないのであって、米国人一般の方が日本人一般よりもリスク選好度が高いことから来る必然的帰結である、ということでしょう。
 米国人は、他の米国人もリスク選好度が高いことを知っていることもあり、リスクは高いけれど、平均的期待値がより高い選択肢を選ぶわけです。
 最後に、二番目の実験ですが、(中身がイマイチよく分かりませんが、)これは第一の実験と第三の実験の組み合わせの実験であると理解できそうなのであって、そうだとすれば、それぞれの実験に対する私の解説を組み合わせればよいのです。
 理数系に強い読者の方、検証していただければ幸いです。
(続く)