太田述正コラム#0093(2003.1.13)
<原理主義化するキリスト教(その1)>

 20世紀がイデオロギーが終焉を迎えた世紀であり、或いは私の言うところの、アングロサクソン文明と欧州文明のせめぎ合いに最終決着のついた世紀だとすれば、21世紀は宗教原理主義と脱宗教主義のせめぎ合いに最終決着のつく世紀になるのではないかと私は考えています。
 ここでいう「宗教原理主義」とは、「宗教によって社会、そして時として政治を律しようとする思想」をさしています。
 原理主義的傾向がある宗教としては、ユダヤ教、イスラム教、そしてヒンズー教がすぐ思い浮かびます。
 (仏教については、日本の現在の仏教には日蓮宗系の一部宗派を除いて、ほとんど原理主義的傾向は見られませんが、小乗仏教の一部(タイ)やかつてのラマ教(チベット、モンゴル)には原理主義的傾向が見られます。)
 総じて、現時点では「北」の国々では脱宗教的傾向が強いのに対し、「南」の国々では宗教原理主義的傾向が強いと言っていいでしょう。
 その「南」の宗教原理主義の中で、かねてから一番話題になっているのがイスラム原理主義であり、パレスティナ紛争、カシミール紛争、対テロ戦争やインド国内でのイスラム教とヒンズー教徒との間の殺し合いには、すべて何らかの形で現時点ではイスラム原理主義由来のイスラム過激派が関わっているといってもいいでしょう。

 ここで、世界最大の宗教であるキリスト教におけるキリスト教原理主義の存在を忘れていやしないかと声を大にしているのが米ペンシルベニア州立大学歴史学・宗教学教授のフィリップ・ジェンキンスです。

 彼の論旨を、私見を織り交ぜつつ要約すると次のようになります。
(Philip Jenkins, The Next Christianity The Atlantic Monthly, October 2002(http://www.theatlantic.com/issues/2002/10/jenkins.htm。1月7日アクセス)及び Interviews――Christianity’s New Center, Atlantic Unbound , September 12, 2002 (http://www.theatlantic.com/unbound/interviews/int2002-09-12.htm。1月9日アクセス)を参照した。これ以外の典拠によった箇所はその都度典拠を明示した。)

欧州諸国もイギリスも、ますます非宗教的な社会になりつつあります。例えばポーランドでは、宗教敵視政策がとられていた共産主義時代が終わったというのに、むしろ現在の方がカトリック教会に行く人は減っています。(他方、ロシアではロシア正教が活性化しています。この点だけをとっても、ロシアは欧州には属さないように思えます。なお、イギリスの脱宗教化の度合いは欧州諸国に比べれば「遅れて」います(太田)。)
米国(北米と言い換えてもよろしい)では中南米系とアジア系の人々がどんどん増えており、その大部分はキリスト教系なので、米国は従来にも増して一層キリスト教社会になりつつあります。ただし、キリスト教社会とはいっても、米国は二つに分断された社会であって、イースターやクリスマスを祝うだけの習俗化(=脱宗教化)したキリスト教徒である少数のエリートと、キリスト教原理主義の敬虔な信徒である圧倒的多数の大衆に分かれています。
 目を「南」(基本的に第三世界の地域と言ってもよろしい)に転じれば、現在、中南米に4億8千万人、アフリカに3億6千万人、アジアに3億1千3百万人にものぼるキリスト教徒がいます。(これに比べ、北米ではわずか2億6千万人です。)この「南」のキリスト教徒は、人口増加率を超えるスピードで増え続けています。例えばアフリカでは、キリスト教人口は1900年には総人口の9%に過ぎなかったのに、現在では46%も占めています。
しかも、これら「南」地域の人口増加率は「北」に比べて大きいので、キリスト教人口の南北格差は今後開く一方なのです。2025年までにはキリスト教人口の三分の二をアフリカ、中南米、そしてアジアが占めることになるでしょう。とりわけカトリックでは、現在でも「北」が少数派に転落しており、2025年までには「南」が四分の三近くを占めることでしょう。更に、米国(北米)のところでも触れたように、「南」から「北」に移民が押し寄せており、これら移民の子孫を含め、北米のみならず欧州(及び英国)においても、「南」のキリスト教のバックグランドを持った者の相対的な数がどんどん増えていることを忘れてはなりません。

これら「南」のキリスト教は、その大部分が既に原理主義であるか原理主義化しつつあるといっても過言ではないのです。原理主義とは、キリスト教発生時の原始キリスト教の姿に戻ろうということであり、終末論的色彩が強く、貧困や病に対し奇跡(ないし悪魔払い)による解決を期待し、宗教上の指導者(就中「預言者」)に絶対的に帰依・服従するということです。
カトリックでも、英国教でも、「南」では原理主義化しつつありますし、20世紀初頭に米国で生まれたペンテコスタル派は原理主義キリスト教であり、「南」にもすさまじい勢いで広まりつつあります。同派の信徒は現在4億人ですが、2040年までには10億人に達する勢いであり、その時点で同派だけで仏教徒の総数をはるかに上回り、ヒンズー教徒の総数と拮抗する可能性があります。

なぜ「南」のキリスト教は原理主義化するのでしょうか。それは、今日の「南」地域がキリスト教生誕当時の中東と環境が似通っているからです。その環境とは、国家的秩序の未成熟ないし弛緩、それに伴う戦乱、病、貧困の猖獗、そしてこれらと同時並行的に進行する広範な都市化です。このような環境下では、人々は地域、種族、文化等の紐帯を失ったデラシネ状態で裸で艱難辛苦の中に投げ出され、個々人が己の「救い」を求めざるを得ません。国家に代わって、このような「需要」に最も適切な形で応え、そして現在もまた応えているものこそキリスト教なのです。

(ゾロアスター教にせよ、この「二神論」が「純化」したとも言いうる、(キリスト教と同根の)一神教たるイスラム教にせよ、それぞれ時期は違いますが、中東において都市化が急速に進展等の条件をみたした地域で生まれた「世界」宗教です。にもかかわらず、真に世界的な宗教として「勝利」をおさめたのはキリスト教でした。それはなぜか、ということは、ローマ史、欧州史、アングロサクソン史全般と関わる巨大なテーマであり、別の機会に論じたいと思います。)

(続く)