太田述正コラム#5350(2012.3.10)
<大英帝国再論(その16)>(2012.6.25公開)
「・・・<香港>人口710万人中のわずか1,200人の人々が<行政長官>の選挙権を持っているに過ぎない。
しかし、世論は今や舞台の中央に躍り出ている。
北京によって計画されていたところの、何から何まで振付がなされた権力移譲の代わりに、香港では、高級ワインが貯蔵された、不法な「地下宮殿」をめぐる騒々しい政治的喧嘩・・恥ずかしい思いをさせられている妻が彼女の夫の傍らに立ち、嘘、怯懦、裏切りと叫ぶ一面の見出しの洪水<という状況>・・が行われてきている。・・・
英国の統治下においては、香港の指導者たる総督は、ロンドンから送り込まれた。
現地住民は、彼の選任に何の役割も持っていなかったのだ。
彼は、羽飾りの付いた奇妙な帽子をかぶっていた。
中共は、15年前に<香港の>コントロール権を回復してから、この帽子をお払い箱にし、この職の名前を「行政長官」へと変え、遠く離れた首都・・このたびは北京・・で行われた選任を支持するための、現地のお歴々によって構成される委員会を設立した。・・・
<次の行政長官に擬せられているのは、一人は唐英年だが、彼は、>元気のよい、もうお一人の北京のお墨付きの得られた候補者の挑戦を受けている。
その人物は、よりポピュリストで人気がある梁振英(Leung Chun-ying)<(注55)>だ・・・。・・・」
http://www.washingtonpost.com/world/asia_pacific/underground-palace-roils-hong-kong-leadership-race/2012/02/19/gIQAZ0NtQR_story.html
(2月22日アクセス。以下同じ)
(注55)1954年~。香港工芸大学(Hong Kong Polytechnic University )で測量を学んだ後、英ブリストル工芸大学(Bristol Polytechnic)で不動産管理を学ぶ。測量会社を起業。行政会議(Exceutive Council。香港の最高意思決定機関。植民地時代は、英語は同じだが「行政局」と訳されていた)の招集権者(Convenor)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E6%B8%AF%E8%A1%8C%E6%94%BF%E4%BC%9A%E8%AD%B0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E6%B8%AF%E6%94%BF%E5%BA%81
「・・・現地住民は、民主主義化の遅々たる歩みと北京による香港内政の干渉に苛つきながら、彼らが「蝗ども」・・本土人達のこと・・と呼ぶ連中に対する怒りで騒然としている。・・・
半世紀にわたって植民地主義に対して非難を浴びせかけてきたにもかかわらず、北京は、かつて地方自治を与えるとの約束をそれぞれにしたというのに、これらの約束を破り、チベットと新疆に対してはもちろん、香港に対しても、掣肘権を維持することを決意している。・・・」
http://online.wsj.com/article/SB10001424052970204909104577236611712761518.html
「・・・<本土の人々にとって、>元英国植民地で現在は中共の一部だが半自治的な香港が魅力的であることは理解できる。
中共の大部分における医療に比べてここでの医療は質が高い。
ここで生まれた中共の子供達は自動的に香港の永住権を得、彼らは、本土人には享受できないところの、12年間の無償教育その他の便益を享受する権利が与えられる。
便益には、多くの外国へのビザなし旅行も含まれる。
両親達の若干は、子供は一人までとする中共の家族計画の諸ルールを、二人目の子供を香港島でで生むことによって逃れようとする。
これに対し、香港の住民達は、本土人達が病床を占拠してしまっているため、産婦人科病棟から現地の妊婦が締め出されている、と腹を立てている。
非住民に対する妊婦医療については公的に割り当て制がとられているにもかかわらず、香港での昨年の出生の10分の4近くは本土の両親によるものだった。
住民達は、何としろと要求しており、住民権法に厳しい目を向けている。・・・
昨年、香港で売れた住居用アパートの総価格の5分の1近くは本土の購入者達によるものだった。
これが、<住居>価格高騰の原因の一つになっている。
境界線のすぐ北の本土の密集している都市化地区である深センの学童で香港の学校に通学している者の数は、この5年間で3倍にもなっている。・・・
病院が主戦場になっている理由の一つは、香港の病院の方がはるかに優れているからだ。
産褥死亡率は本土の方が香港より15倍も高い。
<また、>乳児死亡率は13倍も高い。・・・」
http://www.nytimes.com/2012/02/23/world/asia/mainland-chinese-flock-to-hong-kong-to-have-babies.html?_r=1&hp=&pagewanted=print
(2月23日アクセス)
「・・・次第に多くの人々が自分達自身を支那人というよりは香港住民と見るようになってきている。・・・」
http://www.nytimes.com/2012/02/20/world/asia/in-race-to-run-hong-kong-scandal-taints-beijings-choice.html?_r=1&ref=world 前掲
「・・・香港での最新の公式の市勢調査報告は、・・・<第一言語が>広東語<であるところの>・・・この特別行政区の住民達の第二言語として、北京官話が英語を上回ったことを明らかにした。・・・
<具体的には、それは>48%であり、・・・英語をしゃべることができる人の46%をほんのちょっと上回った。
前回の2001年の市勢調査の時は、香港住民のわずか3分の1しか北京官話をしゃべれると申告した者はいなかった。・・・
市勢調査によれば、香港住民の96%が広東語をしゃべれるが、本当は北京官話をしゃべれる人はもっと多いのかもしれない。
しかし、このことについて、多く<の住民>は複雑な感情を抱いているように見える。
<ある調査によれば、>北京官話<がしゃべれること>について「誇り」を感じると自分達自身を描写した香港人の数は、2006年に最高の34%になった後、2010年には29%まで落ちていることが分かった。・・・
<また、>中共、マカオ、或いは台湾で生まれた香港の住民人口の割合は2001年に比べて少し下がって32%になった。」
http://blogs.wsj.com/chinarealtime/2012/02/24/mandarin-overtakes-english-as-hong-kongs-second-language/?mod=WSJBlog&mod=chinablog
(2月24日アクセス)
以上が物語っているのは、香港の政界が急速に腐敗しつつある、ということです。
この腐敗は、経済界との癒着によるものであることから、香港の経済界もまた急速に腐敗しつつある、ということでしょう。
そして、このような背景の下、中共の人々との日常的接触が増えたことともあいまって、香港の人々の中共離れ、そしてそれと並行して民主主義実現への熱意の高まりが見られる、というわけです。
中共の経済発展に伴い、もはや貴重な金の玉を生むガチョウではなくなりつつある香港の半自治制を、引き続き中共当局が一応維持しているのは、もっぱら、香港と同じ形で併合することを狙っているところの、台湾を懐柔するためである、と思った方がいいでしょう。
いずれにせよ、もはや香港の民主主義化は不可能だと思った方がよさそうです。
中共当局にその気がないだけでなく、香港住民側の熱意にも疑問符が付くからです。
そもそも、現在の香港行政長官にしても、次の長官候補の2人にしても、(香港大学が東京大学を上回るランキングの大学であるとされている
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E6%B8%AF%E5%A4%A7%E5%AD%A6
上、香港大学以外にも優れた大学が香港に何校もあるにもかかわらず、)その学歴が、いずれも目を覆わしめるものがあることから、香港住民が依然として政治を軽視している姿勢が透けて見えます。
香港住民の植民地時代における、経済至上主義、及びそれと裏腹の関係にあったところの、中共に対する認識の甘さと民主主義実現への無関心のツケは、短時日のうちに取り戻せないほど大きい、と言わざるをえません。
(続く)
大英帝国再論(その16)
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