太田述正コラム#0096(2003.1.21)
<拙著「防衛庁再生宣言」への二つの補足(その1)>
1 在日米軍駐留経費の負担はアングロサクソンの根本理念に反する
拙著『防衛庁再生宣言』(日本評論社、2001年)の中で私は次のような趣旨の指摘をしました。
米国の独立革命は、フランスとの(北米大陸における戦争を含む)7年戦争に勝利はおさめたものの財政難に陥った英本国が、英領北米植民地駐留英軍の駐留経費の一部を植民地側に負担させるべく新税を導入しようとしたために起こった。植民地側のスローガンの「代表なくして課税なし」とは、「代表なくして駐留軍経費の負担なし」という趣旨だった。従って日本が在日米軍駐留経費を負担していることは、米国建国の理念に反している・・・と。
しかし、実は米国の独立革命自体、イギリスでかつて起こったことの二番煎じにほかならなかったのです。
1066年にイギリスはフランス王の臣下であるノルマンディー公ウィリアムに征服され、封建制度を始めとする欧州大陸の制度や思想を押しつけられます。(大陸の思想の押しつけにイギリス人が抵抗し、自らの思想を守り抜いた話については、コラム#46参照。封建制度等の押しつけへの抵抗についても、いずれコラムでとりあげたいと思います)。
このウィリアムの子孫のイギリス王兼アイルランド領主兼ノルマンディー・アキテーヌ公兼アンジュー伯のジョンは、13世紀初頭、外交の拙劣さと軍事的敗北により、兄リチャード獅子心王から引き継いだ領土のうち、フランスにおけるすべての領土(ノルマンディー、アキテーヌ、及びアンジュー)を失ってしまいます。
フランスから敗残の身でイギリスに戻ったジョンは、フランスでの戦いに参加しなかったイギリス諸侯(barons)から、軍隊を再建するための税金(軍役に代わるもの。Scutage)を取り立てようとします。これに対し諸侯は、彼らの同意なくして新たに税金を徴収しないことを約束したと解されていたところのヘンリー1世就任の際の宣誓(1100年)違反だとして1215年に反乱を起こし、苦戦しつつもいわばフロックでロンドンを陥落させるのですが、その際、ジョンにマグナ・カルタ(Magna Carta)への署名を行わせたのです。
マグナ・カルタの意義は、第一に、実態はイギリス王(ジョンの後嗣たる将来のすべてのイギリス王を含む)とイギリス諸侯との間の協定であったにもかかわらず、イギリスの自由人(freeman)一般を名宛人とした協定であったこと(従って、自由人の範囲の拡大により、全てのイギリス人が名宛人となる可能性が開かれたこと)、第二に(内容の大部分は諸侯の「封建的」権利を再確認するものだったが、)自由人一般のコモンロー上の権利を再確認する箇所が含まれていたこと、第三にイギリス王をもコモンロー(法)の支配の下に置いたこと、です。
その後ジョンによってマグナ・カルタは無効とされるのですが、なお苦戦が続いた反乱諸侯によるフランス王ルイへのイギリス王兼摂要請、それに藉口したルイのイギリス侵攻、ジョンの突然の死亡、という緊急時において、ジョン死亡後イギリス王に就任した(ジョンの子息の)ヘンリー3世(の摂政団)が1217年にマグナ・カルタを大筋において追認せざるをえなかったため、マグナ・カルタは世界最初の成文憲法として、歴史に残る文書となったのです。
(以上、参照した米国のサイトはhttp://www.archives.gov/exhibit_hall/featured_documents/magna_carta/、http://www.archives.gov/exhibit_hall/featured_documents/magna_carta/legacy.html、英国のサイトはhttp://www.bbc.co.uk/history/state/documents/magna_01.shtml ??04.shtml。なお、マグナ・カルタそのもの(ラテン語の英語訳)はhttp://www.cs.indiana.edu/statecraft/magna-carta.html等で読むことができる)
この事件は、ウィリアム征服王が築いたフランス系のアンジュー「帝国」(Angevin Empire)からのイギリスの「独立」、しかもそれが、フランスにおける敗戦で財政難に陥った王による「帝国」軍維持費を捻出するための新規課税が、イギリス古来からのコモンローに違背しているとして、イギリス諸侯が行った王との戦争の結果かちとられた「独立」であった、という意味で、その五百数十年後に起こった米独立革命(世界で「二番」目の憲法の制定を含む)の先駆けとなったのです。
(このアンジュー「帝国」が復興し、フランスのブルボン王朝を打倒する一歩手前までの大スペクタクルが展開するのが、後の1337??1453年「英仏」百年戦争です。13世紀におけるイギリスの「独立」こそ世界最初の国民国家(Nation State)の成立であり、15世紀における百年戦争の勝利によるフランスという第二の国民国家の成立を契機に欧州はフランスを模範として国民国家の時代を迎える、と私は考えています。この話もいずれコラムで書くつもりです。)
このように見てくると、米「帝国」の疲弊(ポール・ケネディ言うところのimperial overstretch)による在日米軍の縮小(より正確には、それに伴う米軍基地日本人従業員の解雇)を回避するために自発的に開始された、日本政府による在日米軍駐留経費の負担は、米国建国の理念に反するどころか、イギリス「建国」の理念にも反する、反アングロサクソン的愚行であったと言わざるをえません。日本が米国とは別個の国家であって、米国自身の国家的意志決定に参画することが法的に不可能である以上、米国の軍隊の維持経費を分担することはアングロサクソンの立憲精神に反し、米国を含むアングロサクソン諸国から(口先でいくらアプリシエートされようと)、心底最も軽蔑される行為だからです。
(関連するコラムに、コラム#90(2003.1.7)<コモンローの伝統(アングロサクソン論8)>があります。ただし、このコラムは若干の改訂を予定しています。これまでのコラムは、私のホームページ(http://www.ohtan.net)の(時事)コラム欄で読めます。)