太田述正コラム#5603(2012.7.17)
<皆さんとディスカッション(続x1605)>
<太田>(ツイッターより)
4~5歳の時に一日2時間を超えてTVを見ていた子供は、肥満になるし跳躍力が劣ってしまうんだって。
http://www.bbc.co.uk/news/health-18829131
ヒューレット・パッカード、IBMのCEO、フェイスブックのCOOに引き続き、女性(Marissa Mayer:スタンフォード大学士・修士、37歳、美人!)がヤフーのCEOに就任。
http://www.slate.com/blogs/xx_factor/2012/07/16/new_yahoo_ceo_marissa_mayer_does_she_care_about_sexism_.html、http://en.wikipedia.org/wiki/Marissa_Mayer
日本のIT業界は?
<5DDkrRFSQ>(「たった一人の反乱」より)
たとえ代替わりしても、賄賂を渡していた勢力は、旧勢力にシンパシーを抱いていたわけではなく、便宜への対価として支払っていただけなのだから、新しい勢力が力を持っても、便宜を図る限りにおいては、お金を貰えると判断すると思うのだけどな。
腐敗が酷い有様だとするなら、新勢力も賄賂は貰うことになるだろうし。
そんな事よりも、敵対勢力と癒着していたという心情に基づいて、金銭的な利益を捨ててしまうもの?
<太田>
法治主義ならぬ人治主義の社会がどんなものか、想像ができない人が少なくないと見える。↑↓
「中国企業 米で不信拡大 証券登録、取り消し30社超・・・
米上場の中国企業45銘柄の株式で構成するナスダック中国株指数は6月末時点で、昨年5月の高値から4割近く下落。投資家の中国企業離れは進んでおり、上場200社強の約2割の株が1ドル未満という状況に陥った。・・・」
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM1001Q_W2A710C1FF8000/?dg=1
<hayariki.kakurenn-bo>
–杉本宏之裁判官について–
<コラム#1430>「裁判雑記(続x4)」<を読み>ました。
ここに登場する杉本宏之裁判官は、いじめ事件の判決で不当判決と批判されています。
北本中学校・いじめ自殺裁判 東京地裁判決出る!
http://www.janjanblog.com/archives/76324
「不当判決です!」――判決を言い終えた裁判長が退廷し、傍聴人らも席を立ち始めた時に、提訴以来5年にわたり原告・中井夫妻とともに裁判を闘って来た児玉勇二弁護士は、傍聴席に向かって怒りの声をあげた。
「原告の請求を棄却する。裁判費用は原告の負担とする」
これだけを言って姿を消した舘内比佐志裁判長(他に杉本宏之、後藤隆大、両裁判官)に、児玉弁護士が怒りを向けるのも無理はない。小学校時代、繰り返されるいじめを担任との「交換日記」につづり、2005年10月11日に飛び降り自殺した中井佑美さん(当時中学1年生)のために、弁護団は丹念に証拠を整理し、証人尋問では学校や教育委員会のウソを裁判所に示して来たのである。 」
<太田>
情報提供ありがとうございます。
私の名誉棄損裁判の一審の時も、この裁判の時も、杉本裁判官は陪席ですからねえ。(もちろん、裁判長が一人少数意見だったという可能性も理論上はありますが・・。)
なお、私の裁判の時の裁判長だった加藤謙一裁判官については、かつて怪しげな判決を下したと(コラム#1858で)記したところです。
それでは、その他の記事の紹介です。
まあ、みててごらん。↓
「野田佳彦首相(民主党代表)の内閣支持率が低迷している。14、15両日の産経新聞社・FNNの合同世論調査でも29.1%にとどまり、政権の「危険水域」とされる20%台を脱することができない。ただ、より深刻なのは自民党の谷垣禎一総裁の“支持率”。「いまの日本の首相にふさわしいのは」という質問で谷垣氏を選んだのは、わずか0.8%という不人気ぶり・・・」
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120717/plc12071700440002-n1.htm
清の時に尖閣を清領とする文書があるみたい(コラム#5459)だからねえ。↓
「・・・中国・明から1561年に琉球王朝(沖縄)へ派遣された使節、郭汝霖(かく・じょりん)が皇帝に提出した・・・上奏文に「尖閣は琉球」と明記 中国主張の根拠崩れる・・・
上奏文が収められていたのは、郭が書いた文書を集めた『石泉山房文集』。このうち、帰国後に琉球への航海中の模様を上奏した文のなかで「行きて閏(うるう)五月初三日に至り、琉球の境に渉(わた)る。界地は赤嶼(せきしょ)(大正島)と名づけらる」と記していた。現在の中国は大正島を「赤尾嶼(せきびしょ)」と呼んでいる。
石井・・・望・長崎純心大准教授(漢文学)・・・によると「渉る」は入る、「界地」は境界の意味で、「分析すると、赤嶼そのものが琉球人の命名した境界で、明の皇帝の使節団がそれを正式に認めていたことになる」と指摘している。・・・」
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120717/plc12071708420009-n1.htm
今度はニューズウィーク誌が大きく草間を取り上げてた。↓
http://www.thedailybeast.com/newsweek/2012/07/15/yayoi-kusama-polka-dot-artist-collaborates-with-louis-vuitton.html
心理学はまだ科学になり切っていないとさ。↓
・・・Psychology isn’t science. ・・・
Because psychology often does not meet the five basic requirements for a field to be considered scientifically rigorous: clearly defined terminology, quantifiability, highly controlled experimental conditions, reproducibility and, finally, predictability and testability.
Happiness research is a great example of why psychology isn’t science. ・・・
http://www.latimes.com/news/opinion/opinion-la/la-ol-blowback-pscyhology-science-20120713,0,1641705.story
定期的な歩行とウェイトトレーニングは高齢者においてもいいことずくめなんだと。↓
・・・regular exercise — both aerobic training like walking, as well as strength training involving weights — helps improve memory and reduces the frequency of those momentary hiccups we call “senior moments.”・・・
http://healthland.time.com/2012/07/16/mind-those-reps-exercise-especially-weight-lifting-helps-keep-your-brain-sharp/
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太田述正コラム#5604(2012.7.17)
<戦前の衆議院(その7)>
→非公開
皆さんとディスカッション(続x1605)
- 公開日:
【1/13】(字数制限のため分載します)
コラム#5593でのご回答ありがとうございます。
「朝鮮人は・・・支那人と同じく平気で嘘をつく人種」という私の「思い込み」に対して、
「一つでももっともらしい典拠をあげることができるのならあげてみな」
「支那人については、少なくとも私自身の経験という典拠がある」とのこと。
以下、長文ながらご要望にお応えします。
なるほど、自分自身の経験という典拠なら、私にも書ききれないほどありますが。。。東京、関西、九州の在日韓国人、およびその親戚の半島の韓国人たちから何度ウソをつかれ、騙されたことか、実例は豊富です。彼らのウソの上手さには舌を巻きます。その実例の中には某著名経済人が被害を受けた事件や国連をダシにした詐欺まがい事件もありますし、また別件として2人の在日ジャーナリストAとBのひどいウソの事例もありました(AとBは相互に無関係)。Aは在日であることを自分から吹聴していましたが、そうするとインテリやマスコミ関係者ほど親切に協力してくれることを知っていて、そんな日本人の善意を食いものに寸借詐欺を繰り返していたのです。Bは病的な虚言癖と押しの強さで女をだます詐欺師でした。可哀想だったのは19歳の女子大生。親がおらず自力で働きながら大学の夜間部に通っていた彼女は、アパートを借りるためにせっせと貯金をし、やっと60万円を貯めたのですが、かの在日詐欺師ジャーナリストBは結婚を餌に、彼女の貞操と虎の子の貯金を巻き上げたあげく、別の女と同棲し始めたのです。泣きじゃくる彼女から相談を受けた時は、慰める言葉もありませんでした(その別の女も、次の被害者となりました)。まだ高校生くらいにしか見えない可愛い女の子のからだを弄んだうえに、大切な貯金まで奪ったBに対しては、殺意すら覚えました。いずれも民事と刑事の狭間にある事件で、警察は被害届すら受理しなかったのです。【続く】
【2/13】
私には信用できる韓国人の友人がいました。その友人の友人だからと彼ら(A、B、C、D、E・・・等)を信用し、善意で手助けをしてあげたら見事に裏切られ、その結果、大切な友人知人(日本人)を失いました。多くの人々に被害を及ぼしたのです。被害者のほとんどは在日韓国人に同情した「お人好し」の日本人。一部、在日の被害者もいましたが、この人は日本人だと思われていました。Bの某誌専属記者という肩書にも騙されたのでしょう。Cの韓国の国連大使とは友人関係であるという話も真に迫っていました。いずれにしても韓国朝鮮人の言葉を信じた私がバカでした。
最後に、私の非難を受けて開き直った在日韓国人の1人が、電話で吐いた捨てゼリフ、「詐欺の要諦は、99%の事実と1%のウソにある。ウソを見抜けない奴が間抜けなのだ。日本人は騙されて当然。過去の歴史のむくいだ」(この言葉そのままではないが、要約すればこんな内容でした)。今も日本のどこかで被害者が出ているかもしれません。
太田さんには韓国朝鮮人のそういう裏の顔(というか正体)が見えないのでしょうね。付き合う相手に利用価値がある間は、彼らは正体をあらわさないからね。私の場合もそうでした。多くのウソがボロボロと露見したのは、コトが終わったあとでした。日本社会の、必ずしも底辺とはいえない階層に、こうしたウソつき韓国朝鮮人が食い込んでいる現状を、私は危惧しています。【続く】
【3/13】
もちろん、私や私の友人知人たちがこのように複数の韓国朝鮮人らにウソをつかれ、金品や貞操を奪われたケースが起きたからといって、これらの事例を直ちに一般化することはできません。太田さんが支那人に関するご自分の経験をどのように一般化した結果、「支那人はウソをつく」という結論を得られたのか知りませんが、私は自分の属する某研究会(任意団体)が思想・習俗・歴史・民族性をテーマとして支那・朝鮮を取り上げた際の結論のひとつが「支那人・朝鮮人は良心の呵責を感じることなくウソをつく傾向がある」というものであったことから、それは私自身の経験ともぴったり符合すると思い、以後その考えは変わっていません。支那人については太田さんにも異論がないようですから、ここでは朝鮮人に関して(といっても支那人とも関係が深いのですが)、その一般化にあたって検討された論点を、私なりにご説明しましょう。以下は、私が自分なりに咀嚼した考え方です。
なぜ、朝鮮人は平気でウソをつくのか? またウソをつき通せるのか?
それは支那人と同じ儒教信仰(正確には「儒教に道教や易、風水などがない交ぜになった信仰」。以下同じ)が李朝500年のエートスとして今も韓国朝鮮人の中に生きているからだ──というのが、彼らのウソの文化的な背景を考え抜いた私の結論です。
それを、まず支那と朝鮮の有名な2つの歴史的事件の共通性を手がかりに説明しましょう。【続く】
【4/13】
最初に李氏朝鮮の改革者・金玉均の事例。ご存じのように、金玉均は日本亡命中の1894年に上海に呼び出され、閔妃の刺客に拳銃で暗殺されますが、清国と李朝は、金と親子のように親しかった同行日本人を騙して死体を隠し、金の死体は清国の軍艦の協力で朝鮮へと運ばれました。無言の帰国をした金玉均の死体は、李朝の命令で最も残酷な極刑・凌遅刑によって八つ裂きにされ、バラバラにされた身体各部が朝鮮各地に分散して晒しものにされました。この凌遅刑はもともと支那の伝統的かつ最も残虐な処刑法であり、清の時代が終わるまでは公式の極刑でした。李朝でも同様です。その刑を、金玉均の“死体に対して”適用したのです。
次に中華民国時代の支那です。蒋介石と訣別し、日中戦争を終わらせようと日本の協力を得て新政府を南京に樹立した汪兆銘は、テロ狙撃で受けた傷が悪化し、1944年に来日して治療を受けたものの、ついに死去。その死体は帰国し南京郊外に埋葬されました。その際、墓が暴かれないようにと棺はコンクリートで覆われました。ところが終戦後の1946年、蒋介石の国民党第74軍は、墓のコンクリート外壁を爆破して汪の棺を引きずり出し、死体を焼いて骨灰にし、野外に捨て去りました。支那でもまた、死体に対する破壊・陵辱が当然のように行われたのです。
朝鮮人や支那人は、なぜ死体にまで刑罰や陵辱を加えるのでしょうか? 日本人には理解できない所業です。
腹いせ解消のためか、一般庶民への見せしめのためか? もちろん、それもありますが、根本的な理由は違います。
死体そのものに「激痛や恥辱」を与えるためです。死んでも人間は、それを感じるのだ、という民俗的信仰があるからです。【続く】
【5/13】
その考え方の淵源は、儒教信仰にあります。もっと限定していえば、魂魄信仰にあります。
人間の「たましい」を、支那人や朝鮮人の信仰では「魂魄」といいます。ごく簡単に説明すれば、魂(コン)は人間の精神的な活動を司る「気」で、死後は天に帰ります。魄(ハク)は肉体的・生理的な活動を司る「気」で、死後は地に帰るが、肉体(死体)から離れない、とされます。魂は元来もやもやと立ち昇る「陽の気」を象形化した文字です。一方の魄はずばり白骨死体の象形文字で、「陰の気」をあらわします。魂が帰天してしまえば神(シン)と呼ばれ、魄が地に帰ってしまえば鬼(キ)と呼ばれます。ということは、人間は、生きている間は魂魄の働きで活動し、死んでからは鬼神として活動することになります(ただし厳密にいえば、屍骸がまだ形を残している間は魂魄ということになります)。すなわち「魂魄」と「鬼神」は同じもの(人間に内在する陰陽の気)の異称にすぎないといえるでしょう。死んだことを「鬼籍に入る」というのは魄に着目した表現ですね。また「鬼神を哭(な)かす」という成句があるように、鬼神には感情があると考えられていますので、当然、それ以前の魂魄にも感情があるわけです。
こうした「気」は、支那人や朝鮮人には親しい観念で、東洋医学的な病気治療の基本概念でもあります。また韓国の国旗が儒教経典の1つである『易経』繋辞伝にある「太極-両儀-四象-八卦」という陰陽の気を中心とした宇宙生成論に由来していることもよく知られています。韓国と儒教はある意味で骨がらみです。【続く】
【6/13】
12世紀、南宋の朱熹の「理・気」二元論に立つ朱子学は、直接、死や魂魄をメインテーマとして扱っているわけではない(儒学は本来、「子不語」すなわち「怪力乱神を語らず」とされてきた)が、道教や禅などの要素も巧みに取り込み、宇宙と人間の共通原理、存在論として、理と気に発する壮大な理論体系を構築しました。当時の支那思想の集大成ともいえます(そこでは、人間の死は「気の離散」とされています)。李氏朝鮮はこれを国教として受け入れ、唯一の官学としました。同時に李朝は、死生観の異なる仏教を徹底的に排除したのです。やがて16世紀になると朝鮮朱子学(朝鮮では性理学という)も高度なレベルに達し、李退渓や李栗谷が朱子学の大家として活躍したのは周知のとおりです。彼ら大儒が今も韓国で崇敬されていることは、韓国の千ウォン札には李退渓の肖像が、5千ウォン札には李栗谷の肖像が使われていることからも明らかです。
こうして、支那と朝鮮では、インテリにおける宇宙論・存在論から庶民における死生観・魂魄信仰まで共通の考え方が国民に浸透・定着しました。李朝で500年以上(もっと広く見れば朝鮮で2000年)にわたって定着したその儒教的エートスたるや、たかだか日帝36年の日本文化洗礼の比ではありません。(参考:http://p.tl/dUlE 姜在彦)
現代において儒教の「礼」の思想が形骸化し、強烈な「序列意識」だけが残っていることは、韓国・北朝鮮・中共では厳然たる事実です。私の体験的実感では、支那人より韓国朝鮮人のほうが序列意識は強烈です。清朝皇帝の前では琉球より序列が下だった李氏朝鮮は、底辺に位置づけられていたことにより、トップの支那人より遥かに序列を意識したのでしょう。【続く】
【7/13】
現代の韓国人と何らかの形でビジネスをおこなう人々にとって、韓国人の序列意識の強さは常識です。儒教が鳴りを潜め、キリスト教や仏教や無宗教が表面的な意識を形づくっている現代韓国でも、儒教信仰は彼らのエートスの基底に存在しています。目上の人の前ではタバコを吸わない、同じく酒を勧められても片手でコップを隠して飲む、宴席の序列を間違えるとケンカになる、等々は日常茶飯事。また儒教的な労働蔑視も表面上は影を潜めたものの、企業の最高幹部が日本のように末端労働者と同じ社員食堂で飯を食うなどということはなく、李朝時代のような士大夫優位(労働者蔑視)の風潮は変わっていません。韓国人の黒人蔑視は世界的にも有名ですが、それもこれも強烈な序列意識の賜物です。
朴正煕大統領は指摘します、「特にわが民族には他人を見下げ、賤しめる傾向がある。いわば一種の差別意識、特殊意識からでた差別と不平等の現象であるが、これが道徳的な面でも著しく現れる」、それは「特殊意識、特権意識の発露」であり「平等思想の欠如」であると。また、その裏返しとして「執権者に対する追従と阿諛(あゆ)は捨てることができなかった。これは昔も今もわれわれ民族の悪い習性である」と。(参考:『朴正煕選集』1970年 http://p.tl/dvMv)
日本の満洲軍官学校で軍人教育を受けた朴正煕は、明らかに明治維新と近代日本を最高の手本と考えていましたが、李朝500年で朝鮮人に染み込んでしまった儒教的な悪習や虚礼、利己主義、さらに宗族などの中間組織、縁故や門閥などを打破しなければ、韓国の近代化はないと焦っていました。だから、例えば韓国で一般的だった虚礼を制限するため、大統領令で「祭祀は祖父の代までとし、父母の喪は(従来の3年から)百日に限り、結婚式や葬式の饗応をやめ、葬儀は3日葬にすること」などを命令したのです。【続く】
【8/13】
これは朴大統領の死後、1980年に法律化もされました。法的に強制しなければ、こうした生死にまつわる根強い習俗は改められなかったのです。
また朴大統領は「わが民族ほど奉仕精神の欠けている民族も少ない」と嘆き、統治期間の後期には、国民に嫌われる(=選挙の得票数を減らす)リスクを冒してまでも、日本的な「滅私奉公」の観念を強調し、韓国人に公共意識(公に奉仕する精神)の確立を求めましたが、少なくとも朴正煕の目には満足な成果はなかったようです。朴正煕の死からわずか33年後の現在、韓国人に公共意識が定着したのか、疑問です。
朝鮮語で「ナンプチャ、ツンコジ」とは「一見金持ちに見えるが内実は乞食同然の貧乏人」を意味しますが、今でも韓国人の見栄っぱりは有名です。学校の参観日に親たちが高級ブランドの服を着て、借りてでも高級外車で乗りつけるなどの見栄の張り合いは異常なレベルに達していますし、そんな韓国人の心性においては「見栄とウソの境界線」が曖昧になってしまいます。
儒教的な「序列意識」が、いびつな形で肥大化していることは明らかでしょう。
それと同様に、儒教的「魂魄」信仰も、現代韓国人の心性の基底に蟠居しています(現代支那人もその点ではほとんど変わりありません)。
朝鮮人が金玉均の死体に対して八つ裂きの凌遅刑を加えたのは、支那人と同じ死生観(信仰)を持っていたからです。日本人なら、自分の死体を叩き壊されようが焼かれようが、もう死んでいるのだから痛くも痒くもない、と考えますが、支那人・朝鮮人は違います。死体には「魄」が離れず残っていると信じているからです。魄には感情があり、激痛も恥辱も感じるのです。【続く】
【9/13】
だからこそ、李朝は上海で暗殺した金玉均の死体をわざわざ朝鮮まで運び、残虐な八つ裂き刑を加え、金玉均の魄に激烈な痛みと恥辱を与えたのです。支那の汪兆銘の墓が暴かれ、腐乱死体が引き出されて焼かれ、捨てられたのも、汪兆銘の魄に激痛と恥辱を与えるためでした。要するに、死体に対する刑罰は、死体に苦痛を与えるのが第1の目的であり、腹いせや見せしめは第2、第3の目的でしかありません。
呉善花の諸著書からも分かるとおり、現代韓国人が「金玉均にみる死体の受刑」に対していだく恐れと嫌悪感は、日本人の想像以上のものがあります。私たち日本人には実感できないことですが、彼ら韓国朝鮮人は死体への加虐を本能的に恐れます。それは理屈ではない感覚です。
そのように、韓国朝鮮人は、墓を暴かれ、自分の死体が損壊・陵辱されることを極度に恐れるのです。支那人と同じです。それを守ってくれるのは現世に残る自分の子孫以外にはいません。子孫が祖先を祀り、清明節など節気ごとに死者(祖先)の魂魄を供養してくれることで冥界の自分は救われるのです。
だからこそ、福島香織が指摘しているように、「中国人は墓の中まで嘘を持ってゆく。なぜなら、祖先の不利益は子孫に波及する。あの世の自分たちを祀り救ってくれるのは、子孫であり天上の神ではないのだから、子孫を守るためにも嘘は死んでもつき通す」わけです。彼女の指摘はたいへん鋭いと思いますが、もう一歩、魂魄信仰にまで踏み込めば、同じことが朝鮮人にもいえることに気がつくはずです。支那人も朝鮮人も同じ儒教的な魂魄信仰がエートスの基底にあるからです。【続く】
【10/13】
(その意味で、韓国人のキリスト教信仰は儒教的磁場の上に載っており、儒教的な偏倚をこうむっています。また魂魄信仰は、脱魂・憑依などを特徴とする朝鮮シャーマニズムとも矛盾せず同居しています)。繰り返しますが、ここにいう儒教信仰とは「儒教に道教や易、風水などがない交ぜになった信仰」のことです。儒学ではなく、民俗学的な混合宗教たる儒教です。
韓国の修道女らが修道院に滞在するエイズ患者をだまし、政府の補助金を着服して恬として恥じないのも、在日韓国人の牧師が日本人少女らをだまし、性的な蹂躙(強姦)をして恥じないのも、儒教的な偏倚をこうむったキリスト教ゆえだ、と考えなければ理解できません。ウソを重ねて目下の者や幼い者をだまし、下卑た欲望を満たす、これが敬虔なキリスト教の聖職者のすることでしょうか。儒教的序列意識と儒教的死生観の強力な磁場で歪められているからこそ出来る所業でしょう。
韓国では老婆や障害者に対する強姦事件が後を絶ちません。先日などは飛び降り自殺をした60代女性を、中学生が強姦(屍姦)するという忌まわしい事件も起きました。障害者に対する「いじめ」も日常茶飯事です。「弱者を見下す歪んだ序列意識」のしからしむるところでしょう。同時に、公共意識の欠如(稀薄さ)から欲望に歯止めがかからないものと思われます。
ついでに言えば、中共の周恩来も訒(トゥ)小平も、将来自分の墓が暴かれたり死体陵辱刑を受けたりするのを恐れて、死後、遺灰を空から撒く散骨を選びました。唯物論者であるはずの共産主義者たちも儒教の呪縛から自由ではなかったわけです。北朝鮮の金正日も、金日成の死後3年間は喪に服して(少なくとも公式の場に姿を見せずに)いたのは、朝鮮儒教の伝統に従ったからです。【続く】
【11/13】
李氏朝鮮では、国王(当主)の死後、近親者が3年間喪に服すのは当然の「礼」でした。ただし、王妃の場合もそうすべきかどうかで李朝の儒者たちは数年間、大論争を繰り返しました。傍から見れば、まるで『ガリバー』に出てくるナントカ国みたいな滑稽な話ですが、当事者たちは真剣です。李退渓と奇大升の四端七情論争(参考:http://p.tl/xwXM が詳しい。著者の邊英浩は学問的に有望な在日研究者)も大論争でしたが、それらの諸論争は儒教がいかに深く朝鮮社会に浸透していたか、またいかに広く生活を規制していたかを物語っています。
彼ら支那人・朝鮮人は、みんな伝統的な「魂魄」思想を空気のような生活感覚として身につけており、それゆえに自分の死後を子孫に託し、「ウソを墓場まで持ってゆく」のが当然と考える人々なのです。その典型例が従軍慰安婦と称する老婆たちのウソです。経歴の矛盾を衝かれても、歴史事実との齟齬が暴かれても、決してウソを認めようとはしませんね。韓国の裁判での偽証(ウソ)の多さも、人口比にすれば日本の数十倍といわれていますが、それは「最後の審判」で裁かれるという舶来の信仰より、在来の儒教的「魂魄」信仰のほうが実感として定着しているからでしょう。日本人のような「誠=真言=真事=まこと」を至上価値としウソを罪悪とする価値観も韓国では希薄です。泉下の朴正煕の嘆きが聞こえるようです。
なお、支那人と朝鮮人がウソをつくモチベーションには若干の違いがあります。程度の差でしかありませんが、支那人は主に「利益」のためにウソをつき、朝鮮人は主に「見栄(プライド、面子)」のためにウソをつく、という傾向があります。もちろん、両方の要素が混じり合っているケースも多いわけですが。【続く】
【12/13】
以上が、「朝鮮人は・・・支那人と同じく平気で嘘をつく人種」という私の「思い込み」の「典拠」です。うち、儒教的魂魄論は前述の研究会で討議された問題と結論の一部でもあります。同会代表の了解を得て、私なりの表現に書き改めました。
なお、韓国政府がつく代表的なウソについて。国定国史教科書では、日帝の植民地時代(正確には併合時代)に徹底的な収奪(略奪)がおこなわれた、とされています。太田さんはこういうウソを「朝鮮人が平気でつくウソ」とは認めないんでしょうね。国定教科書には「朝鮮総督府の土地調査事業により全国土の40%が日本人のものになった」とか「食糧の半分を日本が強制的に持ち去った」とか「創氏改名で名前を日本式に変えることを強制された」とか「日帝時代を除けば韓国は一貫して独立国だった」とかの、いわゆる「七奪」が事実であるかのように記述され、教えられています。これらは全部ウソです。これは2008年以降の検定教科書でもあまり変わりはない。反日アジテーター朴殷植の史実無視の対日批判内容が、あたかも事実であるかのように教科書に掲載されていますね。(↓)
http://www7.plala.or.jp/juraian/ktextbook.htm
http://p.tl/TeOa
http://p.tl/Wjk6
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4094023763/ref=pd_bxgy_text_1/250-3623094-7030642
その他、韓国の歴史教科書はウソだらけですね。少しでも歴史をかじった者なら唖然とするでしょう。幸い、敗戦までの朝鮮の史料は日本語と漢文ができればほぼ読解可能ですから、日本人にはとっつきやすい。けど、ハングルしか読めない現在の韓国人には大変でしょう。そのせいか、韓国内ではデッチ上げの歴史がバレにくいようです(むろん中には良心的な学者もいることは否定しません)。【続く】
【13/13】
どうもウェブ上の典拠というのは探すのが面倒ですね(私が書いているものの典拠はほとんどが書籍や論文ですが、多すぎて書ききれません。文中、代表的な本だけURLを記しました)。下のブログなどは「帯に短しタスキにも短し」ですが、まあイイ線いってるかな。このブロガーも「従軍慰安婦問題は,竹島,歴史教科書と並んで,けっして韓国人と議論してはいけない三大テーマの一つ。とにかく結論が最初から決まっているから議論にならない」と書いていますが、まったく同感。私の友人の韓国人(上記の詐欺師らとは別人)も、ふだんは理解力のあるインテリなんですが、あるとき彼が火病(ファビョ)ったのを初めて見て、ああこの話題にはもう触れまいと思いました。
このブロガーのもう一つの「名言」=「韓国では、「反日」のためには真実を曲げてもかまわない、誤報をしても訂正しなくてよいという不文律がある」も、なるほどと頷かせます。現地で長年生活していた人ならではの実感ですね。
http://blog.goo.ne.jp/bosintang/e/53b9ee37216774cd4b3f336a44d898eb
http://blog.goo.ne.jp/bosintang/e/83d83a0158c1601b8749ea7bdcf8cec3
http://blog.goo.ne.jp/bosintang/e/2caf0e0f2a6f3942b3e9b6249a73cf2d
http://blog.goo.ne.jp/bosintang/e/9094bfe384a40b987412f021efd6c344
上のブログには韓国の新聞がつくウソも出ていますね。作為的に女子挺身隊を従軍慰安婦と混同させようとした朝鮮日報のウソに触れた文章もどこかにあったと思いますが、見失いました。それこそ今回のクリントン発言(?)の「合成のウソ」に似ています。
(以上です。閲読いただき、ありがとうございました。なお私は議論の「勝ち負け」のために回答したのではありません。そんな小児病的な動機は持ち合わせていません。真実を極めたいだけです。考え方に誤りがあればご指摘ください)【終り】