太田述正コラム#5408(2012.4.8)
<日本・法王庁「同盟」(その3)>(2012.7.24公開)
3 法王庁の反ナチズム
ここで、銘記すべきは、共産主義(ソ連)を非難した回勅『ディヴィニ・レデンプトーリス(DIVINI REDEMPTORIS)』は1937年3月19日に発表されたところ、同じ月の14日に、ナチズム(ナチスドイツ=第三帝国)を非難した回勅『深き憂慮に満たされて=ミット・ブレネンダー・ゾルゲ(Mit brennender Sorge)』が策定され、21日にドイツの全カトリック教会の説教壇で朗読・発表されていることです。
つまり、法王庁は、欧州の外延に位置するロシアにおける民主主義独裁と欧州に位置するドイツにおける民主主義独裁の双方に対して、全く同時に、攻撃の火蓋を切ったということです。
この回勅発表の背景は次の通りです。
「プロテスタント教会ではナチスに対する態度は賛成、是々非々、拒否と枝分かれしていた・・・
これに対してドイツのカトリック教会は・・・・・・ナチスの人種的反ユダヤ主義や旧約聖書攻撃<を踏まえ、>・・・全体としてほぼまとまって、抬頭するナチスへの拒否の姿勢を堅持していた。・・・
<しかし、>フランス革命以来のカトリシズムの伝統の中で培われていた反自由主義、反民主主義、反社会主義、反共和主義の精神風土もあって、ヴァイマル共和国の終焉はドイツ・カトリシズムにとってスムーズに受けいれられた。ついで、これまでのドイツ司教団によるナチス拒否の姿勢を転換させる直接のきっかけとなったのは、ナチス政府による1933年2月1日の親キリスト教的声明であり、また同年3月23日の全権委任法(授権法)採決の数時間前に行われた首相ヒトラーの議会演説であった。
その中で彼は「両キリスト教宗派にわが民族性保持のための最も重要な要素を見出し、両宗派の権利は侵害されず、国家に対する教会の地位は不変であること」を公約したのであった。
一国の宰相が公式声明と議会演説とにおいて表明したキリスト教会尊重の公約は、プロテスタント、カトリックの両教会指導者やまじめなキリスト教徒を大いに喜ばせ、安心させ、これまで大なり小なりナチスとヒトラーに対して抱いていた猜疑心を溶解させるのに役立った。こうして1933年3月24日、中央党とバイエルン人民党・・・という二つのカトリック政党・・・もまた、全権委任法案に賛成票を投じることになった。社会民主党の反対に抗して(共産党の全議員は、すでに逮捕され、議会から排除されていた)、同法案はカトリック両政党の賛成票に助けられ、3分の2以上の多数を得て採択された。ナチス独裁の法的基礎はこのようにして与えられ、議会政治は自ら終幕を引いたのである。
ついでその4日後の3月28日、ついにドイツ司教団は従来のナチス拒否の姿勢を転換する共同教書を発表したのである。・・・
ヒトラー政権は連立政権として誕生したが、急速に一党独裁の色彩を強めていく。ナチ党以外の諸政党は次々と禁止され、あるいは解散に追いこまれた。・・・バイエルン人民党と中央党もまた、7月4日と5日に相次いで解散した。1870年以来、63年にわたるドイツ・カトリシズムの政界における利益代表は消滅した。ビスマルクの文化闘争<(コラム#5228)>を持ちこたえたカトリック政党は、ナチス政権の下であっけない幕切れを迎えたのである。
折しも1933年4月、ドイツ政府の側からローマ教皇庁に対して「政教条約」締結交渉が申し入れられた。ドイツ側の全権代表は副首相のフランツ・フォン・パーペンであり、教皇庁側の代表は国務長官エウジェニオ・パチェリ(のち1939~1958年の教皇<ピウス>12世)であった。中央党とバイエルン人民党の消滅によってドイツにおける利益表出のパイプを失ったヴァチカンはカトリック政党にかわるものを求めなければならなかった。こうして1933年7月20日、ヴァチカンにおいて「政教条約」(Reichskonkordat)が調印されたのである。・・・」
http://www.seinan-gu.ac.jp/jura/home04/pdf/3402/3402kawashi.pdf
カトリック教会は、かつてプロト欧州文明のイデオロギーたるプロト近代全体主義(=プロト民主主義独裁)の担い手であったわけですが、脱キリスト教(世俗化)運動で基本的にあったところのプロテスタンティズムには反対しつつも共存するに至ったという歴史があります。
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<脚注:コーポラティズム>
当時、カトリック教会は、コーポラティズム(corporatism)(コラム#1165、3758、3766、4362)を掲げ、中世には存在していなかったところの、ブルジョワ階級と労働者階級を取り込んだ形での中世的秩序の回復を図っていた、というのが私の理解だ。
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従って、どちらも近代全体主義/民主主義独裁を旨とするところの、無神論たる共産主義、及び、キリスト教以前のアーリア人の諸宗教にシンパシーを示したナチズム、といえども、カトリック教会は、両者に反対しつつも共存することもありえなかったわけではありません。
実際、カトリック教会は、ドイツのカトリック系2党がヒットラーに全権を与える全権委任法案に賛成票を投じることを黙認したわけです。
ところが、共産主義は、ボルシェヴィキ革命後、(カトリック教会が存在しないと言ってもよい)ロシアはともかくとして、メキシコ、スペインにおいてカトリック教会絶滅政策をとっていたところ、ナチズムも、以下のように、次第にそのカトリック教会絶滅政策を顕在化させるに至ったのです。
「・・・政教条約は確かに法律上、カトリック教会とその関連活動の存続を保障していた。しかし現実にはナチスの政府・警察・党による弾圧・迫害・制限措置、妨害行為は衰えるどころか、ますます強化されていった。・・・
1934年6月・・・ナチスに敵視されていたカトリックの三人の有力な民間指導者が暗殺された。・・・この事件は、起訴や裁判なしに・・・<ナチス>批判者<を>政治権力<が>抹殺<したものであって>、第三帝国が法治国家の仮面をかなぐり捨て、無法国家・テロ国家へ転換したことを示す重大な節目となった。・・・
ローゼンベルク<(注8)>は、ユダヤ人の書=旧約聖書を継承するキリスト教を攻撃し、北方ゲルマン神話に依拠した北方人種の崇拝とユダヤ人排斥との世界観を展開していた。しかも1934年1月、ローゼンベルクはナチ党の世界観教育全国指導者に任命された。・・・
(注8)アルフレート・ローゼンベルク(Alfred Rosenberg。1893~1946年)。ドイツの政治家、思想家。ナチス対外政策全国指導者。先の大戦期には東部占領地域大臣も務めた。ニュルンベルク裁判で死刑判決を受け処刑。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF
人種論、ユダヤ人迫害、生存圏(Lebensraum)、ヴェルサイユ条約破棄、退廃(degenerate)現代芸術反対、等のナチスのイデオロギーの核心部分の主要作者の一人。その、キリスト教排斥論でも知られる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Alfred_Rosenberg
1934年2月7日付けでローマ教皇庁の教理聖省がローゼンベルクの『20世紀の神話』<(注9)>を《禁書》に指定してしまった 。・・・
(注9)Der Mythus des zwanzigsten Jahrhunderts(The Myth of the Twentieth Century)。
「1930年に公刊された・・・ナチス・イデオロギーの根本文献。[百万部以上売れ、]ヒトラーの『我が闘争』に次いで、党員に影響を与えた書物[。ただし、この本を、ヒットラーは読もうとしなかったとされ、読んだゲッペルスとゲーリングはこき下ろしている。]・・・
ローゼンベルクはアーリア人種が、その道徳への感受性やエネルギッシュな権力への意志によって優れ、他の人種を指導すべき運命にあると論ずる。アーリア人とは北ヨーロッパの白人種[及びベルベル人と古代エジプトの上流階級]を指す。ところが現代の芸術や社会道徳を支配している[ユダヤ人等の]セム系人種の悪影響が広く蔓延し、アーリア人種は堕落しつつある<とし、>アーリア<人たる>ゲルマン人種<の>・・・ユダヤ人に代表されるとする劣等人種との混交の危険性を説き、「人種保護と人種改良と人種衛生とは新しい時代の不可欠の要素である」と断言し<た>。
[また、イエスはアーリア人であり、アーリア的宗教を興したが、それがパウロの追従者達によって汚染されて成立したのがカトリック教会であったところ、これをルター等のプロテスタントが不十分ながら是正しようとして現在に至っている、と説いた。]」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%8D%81%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%81%AE%E7%A5%9E%E8%A9%B1
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Myth_of_the_Twentieth_Century ([]内)
ローマ教皇庁は、こうしたドイツ国内の反キリスト教的・反カトリック的措置・行動を政教条約の諸規定とその精神とを侵害する重大な違反行為と判断し、1933年から37年にかけて約50通の外交書簡を発してドイツ政府に対して抗議し、事態の改善を申し入れてきた。・・・
教皇ピウス11世は次のようにコメントしたという。「ナチズムは、その目標と方法においてボルシェヴィズムと異ならない。私はそれをヒトラーに言うつもりだ。・・・」
http://www.seinan-gu.ac.jp/jura/home04/pdf/3402/3402kawashi.pdf
この回勅の核心部分は、次の通りです。
「・・・ここ数年間<、ナチスによって>行われてきた世界観教育なるもの・・・は、はじめから・・・<カトリック>教会<の>・・・根絶闘争以外のいかなる目標も知らない策謀を露呈した。・・・
神を信じる者とは、神の言葉をことば巧みに操る者ではなく、ただこの高貴な言葉にふさわしい真の神概念を身につけている者だけである。汎神論的なあいまいさの中で神を宇宙と等置し、神を世界の中で世俗化し、世界を神において神格化する者は、神を信じる者の中には入らない。
いわゆる古代ゲルマン的・前キリスト教的観念に従って、人格的な神のかわりにあいまいな非人格的な運命などというものを押し出す者は、『知の果てから果てまでその力を及ぼし、慈しみ深くすべてを司り』(知恵の書八・一)、すべてを良き結末に導き給う神の知恵と摂理とを否定する者である。そのような者には、神を信じる者の一人であると主張する資格はない。
人種あるいは民族、国家あるいは国家形態、国家権力の担い手あるいは他の人間的共同体形成の基礎的価値を……偶像崇拝的に神格化する者は、神によって命じられた物事の秩序を倒錯させ、偽造する者である」
http://www.seinan-gu.ac.jp/jura/home04/pdf/3402/3402kawashi.pdf 前掲
「・・・<上掲の最後のセンテンス>を読んだ者は、この中に盛られた言葉の一つ一つがすべて当時のドイツのアーリア人種(ゲルマン人種)やドイツ民族、第三帝国、全体主義体制、総統ヒトラーなどをまさに意味しており、それらの神格化ないし絶対化が批判されているのだということを、直ちに理解することができたであろう。・・・」
http://www.seinan-gu.ac.jp/jura/home04/pdf/3402/3402kawashi.pdf 前掲
というわけです。
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<脚注:ナチスドイツの反法治主義>
ナチスドイツは、授権法の成立によって議会機能を停止し、政府をして自由に法律を制定、改正させることができるようになったにもかかわらず、なおかつ、法律を無視して以下のようなことを行った。
「1934年6月・・・ナチスに敵視されていたカトリックの三人の有力な民間指導者が暗殺された。・・・この事件は、起訴や裁判なしに・・・<ナチス>批判者<を>政治権力<が>抹殺<したものであって>、第三帝国が法治国家の仮面をかなぐり捨て、無法国家・テロ国家へ転換したことを示す重大な節目となった。」(前出)
「警察は、・・・<回勅を印刷した>印刷所<を>・・・当時の刑法で<は>責任を問われないはず<なのに、>・・・厳しく捜索し、回勅の配布に従事した人物を捕えた。・・・また、補償なしに没収<ママ(太田)>された印刷所は全国で12カ所にのぼった。」
http://www.seinan-gu.ac.jp/jura/home04/pdf/3402/3402kawashi.pdf 前掲
つまり、ナチスドイツは、法治主義を弊履の如く捨て去った、ということだ。
他方、日本においては、日支戦争中はもとより、先の大戦中も議会機能は維持されたし、法治主義も維持された。
当時の日独両国は、この点だけとっても、全く異なる。
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この回勅が「・・・注目されるのは<、下掲のくだりの>人権の不可侵性の強調であ<り、>従来、「人権」は、神を排除する人間のエゴイズムの表現として、しばしば歴代の教皇たちによって非難されてきた・・・ところ・・・この回勅は・・おそらくナチスによる壮絶な人権侵害に直面して・・むしろ人権を神によって与えられた不可侵の権利として、はっきり承認し、強調している・・・」
http://www.seinan-gu.ac.jp/jura/home04/pdf/3402/3402kawashi.pdf 前掲
ことです。
「・・・人間<は>人格として神によって与えられた権利を所有し(der Mensch als Personlichkeit gottgegebene Rechte besitzt)、その権利は共同社会による侵害廃棄あるいは無視をめざす一切の介入から免れ続けなければならない・・・」
http://www.seinan-gu.ac.jp/jura/home04/pdf/3402/3402kawashi.pdf
すなわち、カトリック教会は、それまでの反自由主義政策を180度改め、自由主義を採用するに至ったわけです。
私に言わせれば、この瞬間に、カトリック教会は、プロト近代全体主義イデオロギーを捨て去り、自由民主主義陣営と親和性を持つ存在へと大変身を遂げたのです。
(続く)
日本・法王庁「同盟」(その3)
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