太田述正コラム#5436(2012.4.22)
<人間主義と経営・経済>(2012.8.7公開)
1 始めに
 人間主義の観点から極めて興味深いコラムがNYタイムスに載っていた
http://www.nytimes.com/2012/04/20/world/europe/20iht-letter20.html?ref=world&pagewanted=print
(4月20日アクセス)ので、そのあらましをご紹介し、私のコメントを付したいと思います。
2 人間主義と経営・経済
 「・・・経済学者達は、彼らの分析の基礎を「ホモ・エコノミクス」、という、完全に合理的で完全に私益(self-interest)によって導かれるところの、人間モデルに置いてきた。
 2008年の金融危機は、<たとえ>彼らが百万ドルの給与を稼ぎ、高度の学位を持っているとしても、完全に合理的なアクター達の世界を<我々が>信じることを困難にした。
 そして、今では、次第に増えつつある研究群が、ホモ・エコノミクスの2番目の定義であるところの、ホモ・エコノミクスが純粋な私益によって案内されている、という点に挑戦し始めている。
 <そして、>それに代わる見方が、ボン大学の経済学者であるアーミン・フォーク(Armin Falk)<(注1)>によって・・・提示された。
 (注1)1968年~。ケルン大学卒、チューリッヒ大学博士。ミクロ経済学、行動経済学(behavioral economics)、神経経済学(neuroeconomics)を研究。
http://en.wikipedia.org/wiki/Armin_Falk
 それは、公正(fairness)と信頼(trust)が、人間行動にとっていかに重要かを強調するものだ。
 このアプローチは、その出発点として、我々は社会的動物であって、我々のコミュニティにいかに適応(fit)するかによって強力に動かされている(driven)、という観念を採用している。・・・
 ・・・<実験をやってみると、>最も強力な反応が生じたのは、被験者が、全く同じ仕事を課されている同僚と比較して少なくしか支払われていない場合だった。
 興味深いことに、研究者達が被験者達に低い社会的地位を仮想的に付与していた場合には、不公正な扱いが問題とされる度合いはより少なかった。・・・
 もう一つの実験では、フォーク博士は、<もう一人の学者と共に、>ある論点を調査した・・・。それは、我々の公正に関する認識(perception)が、我々が一生懸命に仕事をする度合いに果たして影響を及ぼすか否かだった。
 その答えは、及ぼす、というものだった。
 少なくしか支払われない労働者達は、一生懸命仕事をしなかったのだ。・・・
 フォーク博士は、同じ結論に導くところの、米国での現実の事例も引用している。
 長期のストとスト破り(scab)雇いを含む、1990年代半ばの、イリノイ州ディケーター(Decatur)でのブリジストン/ファイアストン(Firestone)工場における労働者達と経営サイドの激しい闘争の際、質の低いタイヤの生産が行われたという事例を<(注2)>・・。・・・
 (注2)「1995 年1月13日、クリントン大統領はブリヂストンの米子会社ブリヂストン・ファイアストン(BFS)が大量の工員を雇い、組合の長期ストに対抗したことについて、「スト参加者を新規採用者と入れ替えるのは、労働争議を平和的に解決する米国の伝統に反し、目に余る行為だ」と厳しく批判する声明を発表した。大統領が個別企業の労使紛争に口をはさむことは異例のことで、しかも、「米国の伝統に反する」として、日本の親会社への圧力をねらったという意味でも、前代未聞の出来事だった。BFSは、こうした「政治圧力」にもめげず、組合に対する強硬姿勢を貫き、紛争は同年5月に組合が無条件でストを中止、会社側の勝利で終わる。日本流というよりは、むしろ法律を前面に立てた米国流の荒療治で、BFS は危機を乗り越え、97年12月期には、累積赤字を解消した。88年に26億ドル(当時の換算で約3200 億円)かけてファイアストンを買収したブリヂストンの世界戦略がようやく成功したと評価された。しかし、BFSのタイヤを装着したフォードの多目的車エクスプローラーの事故が多発している問題で<2000>年8月にBFSが650万本のリコールを発表、「欠陥」の原因のひとつに、イリノイ州ディケーター工場の品質管理の悪さが指摘された。これは、長期の労使紛争が工場全体の士気や生産性を低下させ、それが製品の安全度を悪化させた疑いが出てきた。」(朝日新聞アメリカ総局長をしたことがある同新聞元論説委員の高成田享君(コラム#881q、1447、1544q、1670q、1682q、1686、1711、1712、1715q、1718q、1720、1744q、1819、1888、2129、2152、2664、4183.q=Q&A)の2000年9月21日付の文章)
http://www.sml.co.jp/public_files/takanarita-09.pdf
 ひどく扱われていると感じている労働者達は、単に非生産的であるだけでなく、文字通り危険な存在になるわけだ。
 こういったことが分かった場合に、誰もが行いがちである対応は、・・・被雇用者達をより厳格にコントロールすることだ。・・・
 ・・・<しかし、>労働者達の手綱を締めることは、逆効果になる場合がある。
 上司が我々の仕事ぶりを詳細に監視していて、我々に羽を伸ばす機会を与えないと、我々は信頼されていないと感じる。
 常識が示すところのものとは逆に、我々は、厳格にコントロールされればされるほど、一生懸命仕事をしなくなる、というのだ。・・・
 <また、>自分が不公正に支払われたと感じた被験者達は、より高い心拍数を示した。
 高い心拍数は、心臓疾患を予期させるところのストレスの指標だ。・・・
 <すなわち、>我々は私益だけで動かされているわけではないのだ。
 公正さと礼儀(decency)もまた重要なのだ。
 親切さと正義は、宗教者や哲学者にとってだけ有用な概念であるだけでなく、仕事の場においても必須の道具であることが分かった、ということだ。・・・
 次にやるべきことは、社会的動物についてこれらの発見を、より広範であるところの、政治経済に関する我々の思考にあたって採用することだ。・・・
 これは、どのように経済が実際に機能しているのかについての洗練された理解のためには、単に国内総生産について考えるだけではなく、公正さと自治についても考える必要がある、ということを意味するのだ。」
3 終わりに
 企業経営、より一般的には組織経営における人間主義の意義がよく分かりますね。
 つまり、部下に人間主義的に接すること、すなわち、マニュアルと命令だけで部下を動かすのではなく、部下を信頼し、裁量権を与え、公正に扱うことが望ましい、ということです。
 いわゆる日本的経営とは、(エージェンシー関係の重層構造、すなわち委任を中核とするところの、)このような意味での人間主義的経営なのです。
 このことは、経済全体、ひいては政治経済全体を考えるにあたっても、それが人間主義に適った制度設計や運営がなされているかどうか、という視点が必要であることを示唆するものです。
 私の日本型政治経済体制論の数学モデル化を誰かやってくれないか、と期待し続けてきた私ですが、これまで、その実験科学的検証の可能性にまでは頭が回らなかったところ、日本型政治経済体制論の一部について、その実験科学的検証を、いつの間にかドイツの一学者がやってくれていたとは有り難いことだ、と私は受け止めています。