太田述正コラム#5466(2012.5.7)
<ナチスドイツ降伏直後の欧州(その1)>(2012.8.22公開)
1 始めに
終焉直前のドイツについてのシリーズに引き続き、今度は、ドイツ降伏直後の欧州についてのシリーズをお送りします。
ケイス・ロウ(Keith Lowe)の『野蛮な大陸–第二次世界大戦直後の欧州(Savage Continent: Europe in the Aftermath of World War II)』を、書評をもとにご紹介し、私のコメントを付す、というやり方で進めましょう。
A:http://www.ft.com/intl/cms/s/2/7e5a812e-7812-11e1-b437-00144feab49a.html#axzz1qeIznLHB
(3月31日アクセス)
B:http://www.telegraph.co.uk/culture/books/bookreviews/9200649/Savage-Continent-Europe-in-the-Aftermath-of-World-War-Two-by-Keith-Lowe-review.html
(4月24日アクセス。以下同じ)
C:http://www.telegraph.co.uk/culture/books/historybookreviews/9173835/Savage-Continent-Europe-in-the-Aftermath-of-World-War-II-by-Keith-Lowe-review.html
D:http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/books/reviews/savage-continent-europe-in-the-aftermath-of-world-war-two-by-keith-lowe-7640226.html
E:http://www.newstatesman.com/culture/2012/04/review-savage-continent-europe-aftermath-world-war-ii-keith-lowe
F:http://www.independent.ie/entertainment/books/review-war-savage-continent-europe-in-the-aftermath-of-world-war-ii-by-keith-lowe-3073751.html
G:http://www.history.org.uk/resources/general_resource_5352.html
なお、ロウは、英マンチェスター大学で英語を学んだ、英国の作家にして歴史家であり、
http://en.wikipedia.org/wiki/Keith_Lowe_(author)
連合国によるハンブルグの爆撃によって生じた空襲火災の素晴らしい研究である『インフェルノ(Inferno)』(2007年)で有名になった人物です。(E)
2 ナチスドイツ崩壊直後の欧州
(1)序
「・・・<第二次世界大戦後、>冷戦における欧州の分割への直線的な移行があり、西部においては再建計画がその地域を速やかに再び再生させた一方で、東部においては巨大な集団化と工業化がその地域を一変させた、とかつて信じていた者は誰であれ、この本を挑戦的で考えを変えさせるものであることを見出すことだろう。・・・」(G)
「・・・1945年5月のドイツ降伏直後の、おおむね、1940年代末のスターリン主義的専制政治の押し付けに至る<約10>年<をこの本は扱っている。>・・・」(B)
「・・・ドイツの降伏は紛争の終焉を意味しなかった。
それは、今日のような平和な欧州では想像することができない、欧州大陸における混沌と暴力の期間の始まりだったのだ。
第二次世界大戦は、諸制度や権威だけでなく、更に悪いことに、伝統的な道徳律群も吹き飛ばしてしまった。
それは、復讐の諸行為を正当化し、ギリシャから今日のウクライナに至る諸国において、内戦と民族的暴力を燃え盛らせた。・・・
・・・ロウは、連合国の勝利の日から冷戦の開始までの間の欧州大陸を、寒々とした(bleak)、そしてしばしば無法であった場所として描写する。
1945年の夏、何百万人もの難民が、その多くの場合、もはや面影を残していなかったところの、故郷に戻ろうとして、各地の道路を旅していた。
ドイツだけでその数は1700万人に上った。
それは、ホロコーストの生存者達、占領下の故郷から強制労働目的で連れ去られた人々、あるいは捕虜達だった。・・・」(A)
「イタリアの作家のプリーモ・レーヴィ(Primo Levi)<(注1)>は、彼がアウシュヴィッツにいた時の最も恐ろしい瞬間は、殴打、飢餓、重労働、殺害の脅しに常に直面していたところの、ナチによって投獄されていた年々ではなかったことを思い出す。
(注1)1919~87年。トリノに生まれたユダヤ人。トリノ大学で化学を学んだ化学者・作家。ナチスによるトリノ占領に対してレジスタンス活動を行い、1943年から45年まで強制収容所送りとなった。戦後、イスラエルのパレスチナ占領政策に反対を表明した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3
彼は、衛視達が逃亡してから赤軍が到着するまでの真空<的な期間>において絶望に最も近付いたというのだ。
それは、囚人達が自分達で何とかせざるをなかったわけだが、どれほど不正義であれ、権威、及び供給システムとが完全に崩壊していた、ということでもって特徴づけられた期間だった。
こういったレヴィによる何行かを、私は<この本>を読んでいる時に思い出した。・・・
著者が指摘するように、第二次世界大戦は1945年には終わらなかったのだ。
この大陸の過半の所で、ポーランド、ウクライナ、バルト、そしてギリシャのパルチザン達が東欧と地中海の山々と森々で戦い、抗争(contest)はそれよりもずっと長く続いたのだ。・・・
この感動的な本に出てくる、最も印象的な事実は、最後のエストニアのゲリラ戦士のアウグスツ・サッベ(August Sabbe)<(注2)>が、何と1978年に捕縛を免れようとして殺されたことだ。・・・」(D)
(注2)1909~78年。69歳の時、二人のKGBエージェントに追われ、小川に身を投じて自殺した。
http://en.wikipedia.org/wiki/August_Sabbe
「・・・<この間、>責任を負わなければならないのは、冷酷なるナチスではなく、多くの場合、良い連中たる、勝利を収めた連合国の人々だったのだ。・・・」(F)
(続く)
ナチスドイツ降伏直後の欧州(その1)
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