太田述正コラム#5468(2012.5.8)
<ナチスドイツ降伏直後の欧州(その2)>(2012.8.23公開)
(2)ドイツへの復讐
「・・・推定で1100万人のドイツ人が容赦なくポーランドとチョコの領域内から1945~49年の間に追い出された。
彼らの多くはドイツの英国占領区域に到着したが、<過去に係る>痛みと<将来に係る>虫の知らせの<二つの>気持ちに引き裂かれつつ、彼らは新しい人生を開始しようとした。・・・」(C)
「・・・ドイツ降伏直後の何日間ないし何週間かにおける女性に対する攻撃の規模、とりわけ、連合国の兵士達によるドイツ人の女性に対するそれの規模は空前だった、とロウは主張する。
彼は、マリー・ナウマン(Marie Naumann)の証言をとりあげる。
彼女は、当時ポメラニア出身の若い主婦だった。
ソ連の兵士達の一群に強姦された後、彼女の夫と子供達が絞殺されるのを目撃させられ、次いで、戦後、解放者と見られていたところの攻撃者達を<彼女が>非難したことに対し、ポーランド人の一般市民達に殴打された。
逃げ出した後、再び一人のロシア人将校と最終的に更に4人の兵士に強姦された。
その後更に2人が彼女のところにやってきたが、その時点では、「私はほとんど死んでいた」と彼女は語る。・・・」(A)
「・・・東プロイセンの、グロス・ヘイデクルグ(Gross Heydekrug)と呼ばれた場所では、「現地の教会の祭壇の十字架に一人の女性が磔にされ、その両脇にドイツ人兵士達が同様の姿で絞首されてぶらさげられた」・・・」(F)
「・・・<興味深いことに、ドイツ占領下の>デンマークでは、女性達の間で、侵攻してきたドイツ人男性達を自分の国の男性達より好む者が51%にのぼった、という戦時世論調査結果がある。・・・」(E)
→戦争末期から戦後にかけてドイツ人女性がかくも大量かつ執拗に凌辱されたのは、このエピソードに象徴されるところの、戦時中の・・いや、恐らく戦争前からの・・、ドイツ人に対する欧州の他民族の人々のコンプレックスの裏返しなのでしょうね。(太田)
「・・・ある英国人将校が、赤軍の兵士が、その時計と鎖を盗むために老人のドイツ人男性を刺すのを目撃した。
彼がこのロシア人をソ連の司令官達に引き渡すと、彼らは証拠に一瞥をくれた。
「君はこの男がドイツ人を殺したと言うのかい?」と彼らは微笑むと、この下手人にキスをし、彼の外套に赤星を装着した上で放免した。・・・」(B)
「・・・米軍の諸部隊は、何万人ものドイツ人兵士達を急いで設けた収容所群に入れたが、そこは実のところ吹き晒しで建物も便所もなく、無数の者が亡くなった。
ロウによれば、フランスの収容所では24,000人のドイツ人兵士が亡くなった。・・・」(F)
(3)ユダヤ人の受難
「・・・ドイツの修正主義歴史家達・・その中で最も著名なのはエルンスト・ノルテ(Ernst Nolte)<(注3)>だが・・とは違って、ロウは、ヒットラーのユダヤ人絶滅と、それより昔のスターリン主義者達による富農(kulaks)の絶滅とを道徳的に同値とするような主張には与しない。
(注3)1923年~。ドイツの歴史家・哲学者。フライブルグ大でハイデッガーに師事。ベルリン自由大学の現代史名誉教授。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ernst_Nolte
この英語ウィキペディアは長文だが、日本語ウィキペディアは存在すらしていない。
この英語ウィキペディアを興味ある方はぜひ読んで欲しい。
私は、スターリン主義とナチズムを等値とするノルテの結論・・ドイツ以外では総スカンを食らっている・・には賛成だが、その結論に至る方法論には強い違和感を覚える。
遺体とその灰を工業的に活用したなどという話は、ヒットラー的汚名(infamy)における、他に例を見ない話だ。・・・
ドイツの下でユダヤ人達があれほどの苦しみを味わされたというのに、欧州の多くの地域で反ユダヤ主義は、戦後<むしろ>増大した。
ハンガリーとポーランドのいくつかの場所では、ユダヤ人をなぶり者にする人々によって、<第二次世界大戦という>紛争によって故郷を失った人々<たるユダヤ人>が、迫害され、時には全滅されられたのだ。・・・」(C)
「・・・ロウは、ホロコーストから生き残ったユダヤ人達をして、イスラエルや米国に渡らざるを得ないという気にさせたのは、ホロコーストそれ自体によるというよりも、ポーランドやハンガリーのような場所における反ユダヤ主義の持続による、と指摘する。・・・」(D)
→ドイツ人だけでなく、(外延のロシア人等を含む)欧州の人々一般が心の中に闇を抱えている、と受け止めるべきでしょうね。(太田)
(続く)
ナチスドイツ降伏直後の欧州(その2)
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私はドイツ人が米英ソの決定およびソ連の直接的暴力でポーランドやチェコから追放され、その過程でポーランドやチェコの人々から凄惨な暴力を受けたのは当然の報いだと思います。
トンネル会社(メフォ)を作って確信犯で借金しまくって踏み倒して戦争するというバカな指導者を熱狂的に支持したバカな国民の末路。
個別の被害事例については、それはそれはお気の毒にと思いますが、それはやられても仕方のないことであり、また「ドイツ人追放」ということ自体全く正しい措置だったと確信しています。
つまりドイツは日本ではないということ。単純にドイツ=日本、ポーランド・チェコ=韓国などというバカバカしい単純比較がネット上に溢れていますが、衆愚とはどういうものかをつくづく感じます。
二点目、ポーランドからユダヤ人が戦後に大量移住していったのは、戦中のホロコーストで殺されていたと思われていたユダヤ人の家が戦後に政府の決定で公有化し、間に合わせの公営住宅として市民に提供されていたことが原因。もっと言えば、ドイツ人がポーランド市民の住宅を破壊しつくしたこと。
殺されていなかったユダヤ人たちが帰ってみるとなぜか住人がいる。住人の言い分は国から支給されたものだから占有は正当なものだ、と。ところが現にここに旧オーナーが帰ってきている。当然あちこちで揉め事が起き、暴力事件に発展する。キェルツェ市では暴動になりユダヤ系と非ユダヤ系双方で数十人が亡くなる事件に発展する(ユダヤ系の人々は自分たちユダヤ系の被害のみ強調し、これを反ユダヤ主義の典型的事件だとする直情的傾向がある。この事件むしろ当時の国の行政上の不手際による不動産トラブルが原因ではないか)。ユダヤ系の人々はもはやポーランドの政府を信用しない。だったらいっそのこと不動産なんかもういいからアメリカやイスラエルなどへ移住してしまおう。そうして外国へ移民していったのです。
連投でも申し訳ありませんが、
スターリン主義とナチズムをある次元で等値とすることは、ノルテのオリジナルではなく、カーター大統領の安全保障担当補佐官をやっていた「ポーランド人」ズビグニュー・ブレジンスキーが若い頃(1956年)に書いた論文Totalitarian Dictatorship and Autocracy(カール・フリードリッヒと共著)が初出です。ブレジンスキーは「全体主義」という用語でまとめています。
しかし、同じく「ポーランド人」の著名な経済学者ミハウ・カレツキは、Political Aspects of Full Employment(1943)のなかで、ナチス・ドイツのような類の政体やイデオロギーが、社会主義のとは異なり民主主義によって形成されることを指摘、その過程を説明しています。これはPolitical Economyの分野では、おそらく世界で最も有名な論文のひとつでしょう。