太田述正コラム#0107(2003.3.14)
<雑誌「選択」の戦い>

 「選択」という月刊誌をご存じでしょうか。
 店頭に並ぶことがない、会員制の郵送雑誌で毎月1日発行です。
 たまたま、一昨年と昨年、同誌に執筆をしたことがあり、そのご縁で時々「選択」を読んでいます。
 広告が殆ど載っていないA-4版130頁のスリムな雑誌ですが、国内外情勢の分析や国・政党・政治家・特定の企業等に対する批判がぎっしりつまっていて、中央官庁や一部上場の会社の殆どで購読されています。(蛇足ながら、年間購読料は12,000円。公称8万部出ているそうです。)

 その「選択」がよりにもよって日本経済新聞(正確に言うと同社社長の鶴田卓彦社長)相手に戦いの火ぶたを切りました。
 なぜ「よりにもよって」かというと、日本経済新聞(以下「日経」という)は私の友人である「選択」編集著の阿部重夫君の前の職場であり、彼の手になる(と断定してよい)「選択」3月号の記事(126頁-)の中で彼自身が書いているように、「筆者の揺籃であり、教場であり、戦場であり、半生の喜びや哀しみをともにした古巣に斬りつければ、返り血なしでは済まない」からです。「選択」の有力ニュースソースは阿部君の日経がらみの人脈である可能性が高く、今後この人脈へのアクセスが困難になるおそれがあるという点も付け加えておきましょう。
被害は早くも生じており、かねてから「選択」は日経(の毎月の一日付けの紙面)にだけ広告を掲載してきたのですが、その広告掲載を断念させられたとのことです(71頁)。
阿部君の思い切った決断に対しては、二年前に吉田ドクトリン批判を旗印にして「戦後日本的なもの」と戦う決意の下で古巣の防衛庁にいわば三行半をつきつけて退職した私として、他人事とは思えず、心からエールを送るものです。

しかし、いくつかの懸念を覚えます。

第一に日経(社長)批判の中身です。
3月号の記事を読んだ限りでは、大衆週刊誌並の鶴田社長の(会社の金を使った?)豪遊・愛人スキャンダルの暴露にとどまっており、日経そのものの批判にまで踏み込んでいないことが気になります。
彼が言うように「九0年代・・は編集部門で日本経済新聞協会賞を七回も受賞する日経の黄金時代」で、この時期にずっと日経の社長だったのが鶴田氏というのでは、日経そのものの批判がやりにくいのは理解できます。
しかし、それならば、社会的公器とも言える有力雑誌である「選択」を大きな危険にさらすような決断を今下す必要はなかったのではないか、と言いたくなります。
実は私の自宅でも日経をとっています。それは、日経が他の全国紙に比べて、経済記事のみならず、私の専門である安全保障関係の記事でも一番クオリティーが高いからであり、かつ経済を中心に、切り抜いて保存するに値するデータ類が一番豊富に掲載されているからです。
しかし、常識的に考えて、経済日刊紙として日本で事実上独占状態にある新聞に問題がないはずがありません。日経が全国紙の中で一番優れているといっても、それは日本(日本語)の他の全国紙に比べてというだけの話であり、目を世界に広げれば、例えば英国のファイナンシャルタイムズに比べて格段に差があります。クオリティー面ではもちろんのこと、分量面でもそうです(注1)。このことは、1988年の一年間、ロンドンでファイナンシャルタイムズを購読した私が痛感させられたことです。

(注1)毎日、特定の国やテーマをとりあげた数頁にわたる特集版がおまけでつく。

同様に経済誌をとってみても、英国の本家エコノミストと日本の(毎日新聞社の)エコノミストや(東洋経済新報社の)東洋経済等とはクオリティーの面で月とスッポンの差があります。
この英国と日本のメディアの実力差は、伝統や環境の違いに由来する部分も大きい(注2)ものの、基本的には英国のメディアが他の英語諸国のメディア、とりわけ米国のメディアと熾烈は競争状態にあるためだろうと私は考えています。

(注2)海外(英国以外)にかかわる記事・論説について言えば、(世界はかつて英国領と英国領の隣国(隣接地域)だけによって構成されていたことから、世界中に親戚や知人がいて、)世界の様々な国や地域について国内並の知識と関心を持つイギリス人読者が主たる購読者であるため、否応なしに記事・論説の水準が高くなる。また、英国国内にかかわる記事・論説についても、日本のように記者クラブ制が存在せず、取材先との癒着関係がないため、客観的かつ情け容赦ない書き方ができる。また、お国柄からして安全保障・軍事問題を常に念頭に置いて取材していることから、経済問題でも複眼的で鋭い記事・論説が生まれる。

とまれ、「覆水盆に戻らず」である以上、次号以降の「選択」による日経(そのものの)批判に期待したいと思います。
 
 第二の懸念は「選択」自身のことです。
 戦いに臨むときは、自らの体制を一層引き締めなければなりませんが、その「選択」に最近、凡ミスやボケ記事が目につきます。
 私の一番身近な防衛問題に限定して指摘をしてみましょう。

 凡ミスの例ですが、1月号巻頭の「特別レポート」(これも阿部君が書いた可能性が高い)の中で「入省年次が大森<内閣官房>副長官補の一級上で、とかくウマがあわない伊藤康成防衛事務次官が内局のトップにいることもあって<対イラク戦終了後のイラクへの自衛隊の派遣に係わる特別措置法の>案文作成は難航している。」(9頁)のくだりで、「一級上」は「一級下」の間違いです。(大森氏は昭和43年、伊藤氏は44年採用。)
 「選択」の無署名記事は、ニュースソースを一切(新聞等に出てくる「・・首脳」「・・筋」といった表現も含めて)明らかにしておらず、これはこれで一つの見識だと思いますが、それだけに記事の信憑性は、事実についての明白な誤りが一つでもあれば音を立てて崩れてしまいます。常識を働かせつつ、慎重の上にも慎重に事実の誤りなきを期して欲しいものです。

 次にボケ記事の例ですが、3月号の下の記事(「政治○情報カプセル」内。49頁)をご覧ください。

 「アメリカのイラク攻撃を前に、政府・与党内でにわかに防衛庁への「評価」が高まっている。
 二月上旬の段階で、政府筋に対し「開戦の時期は二月下旬から三月上旬。戦闘期間は四週間から六週間。戦争終結後は、米英を中心とする占領軍が、イラクの国政を変革させる」(同庁幹部)との見通しを述べているのだ。
 さらに、国連安保理などで仏独が「戦争反対、査察の継続」を主張、ロ中も同調しつつあるものの、「フランスは既に、空母を中心とする機動部隊を中東に派遣。開戦なら、米英と即時協力態勢がとれる。ドイツも、防衛の中心となりそうなトルコへの軍隊派遣を、実は内諾している」と指摘する。
 表舞台の国連活動や華やかな首脳会談の推移とは別に、「現地では、各国とも軍事活動が頂点に達しつつある」との分析だ。近年は、その情報収集力が向上したとされる同庁の分析だけに、「外務省とは大違い」(自民党幹部)と好評だ。日陰の花もやっと日差しを浴び、「次期国会で防衛省への昇格は当然」という声が官邸筋からも聞こえてくる。」

 発行からわずか二週間、記事の原稿が確定してからも恐らく三週間程度しか経過していませんが、この記事がいかに大ボケであるかは、誰の目にも既に明らかでしょう。
 対イラク戦開戦の時期は三月下旬以降にずれ込みそうですし、フランスもドイツも対イラク戦に関与するどころか、対イラク戦の実施絶対反対の錦の御旗をおろすことなどありえないことがはっきりしたからです。(自画自賛しても仕方ありませんが、私のコラムを読み続けている読者の中で、二月上旬の時点で防衛庁のごとき情勢判断ミスを犯すような人は一人もいなかったはずです。)
 防衛庁、とりわけ防衛庁内局に批判的である「選択」のかねてよりのスタンス(あえて正しいスタンスと言わせてもらいます)からしても、本来の阿部君であれば、こんな記事を看過することなく、アブナイ防衛庁の情勢判断を血祭りに上げ、それを信じ込む政府・与党の政治家連中の愚かさを嗤い飛ばす記事に仕立て上げ直しているはずです。(ちょうど記事の原稿が確定した頃の直後の2月25日、その前日に北朝鮮が行った対艦ミサイル発射訓練を防衛庁内局が防衛庁長官や官邸等に報告しなかったことが問題になった(http://www.sankei.co.jp/news/030225/0225sei150.htm(2月25日アクセス))のは皮肉です。)
 好漢阿部重夫編集長のなお一層の自重と努力を祈る次第です。