太田述正コラム#5576(2012.7.3)
<米国の心理学の問題点(その3)/ピアノ>(2012.10.18公開)
 (4)症状と病気の取り違え
 「・・・心理学者のデヴィッド・ローゼンハン(David Rosenhan)がやった有名な1973年の突飛な実験<(注1)>がある。
 (注1)1部と2部に分けて結果として行われた。1部は以下の紹介参照。2部は一杯食った診療所群がローゼンハンに挑戦状をたたきつけ、ニセ患者を見つけてやると宣言し、193人の新規患者中、41人が怪しいとされ、そのうち19人がニセ患者の可能性が高いとされたが、実際にはローゼンハンは誰も送り込んでいなかった、というもの。
http://en.wikipedia.org/wiki/Rosenhan_experiment
 彼は、人々に精神病診療所群に行かせ、<誰もいないのに誰かの>声が聞こえるかのように装わせ、みんなに同じようなことを言わせたのだ。
 ローゼンハンのこの「ニセ患者達」の大部分は、統合失調症と診断され入院させられた。
 一旦、精神病診療所内に入り込むと、ニセ患者達がやることなすこと全てが彼らの「病気」の徴候であると解釈されるに至った。
 例えば、看護士達は、日記をつけている患者を「病理的な筆記行動」に耽っていると描写した。・・・」(D)
 「・・・心理学者達もまた、「症状群」を評価する際に、しばしば、社会的階級を無視するし、原因(origin)や個人的差異を無視して、余りにも簡単に、ある特徴やふるまいを病気に分類してしまうことがありうる。
 このことは、深刻な副作用群がある薬が簡単に処方され、高揚した気持ちが活動亢進(hyperactivity)とされ、悲しみが鬱と宣告され、恥ずかしがりが社会不安障害(social phobia)とされ、そんな薬が、若干の子供達にほとんど強制的に投与される現在にあっては、より危険なこととなっている。・・・」(B)
 「・・・第三章及び第四章の「誰が精神的に患っているのか」と「精神病者を助けるにはどうしたらよいのか」で、ケーガン氏は、精神医学的診断と治療が硬直化しているという問題(intransigent problems)を論じている。・・・
 <米国の>「精神障害の診断と統計マニュアル(Diagnostic and Statistical Manual)」・・・<すなわち、>「DSMは、「あらゆる悲しみや不安の激しい発作について、その原因にかかわらず、それが精神障害の徴候である可能性がある、と見なしている」とケーガン氏は嘆く。
 「しかし、これらの病気の諸範疇の大部分は、頭痛や痙攣に準えるべきものだ。医者は、頭痛の原因(cause)を見極めた後に初めてその最良の治療法を決定することができるのであって、症候のみでは<治療法の>指針(guide)としては不十分なのだ」と。
 ところが、DSMは、主として症候群のコレクションであり、不安や低い性的欲求といった症候が生じた文脈、及び、その症候が当該個人にとっていかなる意味を持つのか、を見極めようとしない。
 そんな症候には何の意味もないかもしれないのだ。
 <例えば、特定の症候は、>米国人にとっては意味を持つとしても、日本人にとっては何の意味も持たないかもしれないのだ、・・・」(A)
 「・・・ケーガンは、精神病医の過半、及び多くの心理学者は、適切な実証的根拠(empirical evidence)なしに、不安と鬱を含む精神的諸障害は化学的諸不均衡や欠陥遺伝子群によって生じた異常な脳状態群(profiles)を反映したものである、として、マラリアや糖尿病に準えうる、と見なしている、と主張する。
 近年においては、彼らは、キチガイ(madness)という広範な概念を、(統合識失調、双極性、自閉、ADHDといった)たくさんの病気群でもって置き換えてきた。
 その理由だが、おおむね、健康保険会社達が標準的な診断票(label)を要求するからだ。
 病気や失業や愛する人の死によって引き起こされたところの、1~2か月の鬱期(episode)は、正常な反応なのであって精神障害ではない、とケーガンは我々に注意喚起する。
 サミュエル・ベケット(Samuel Beckett)の戯曲の『勝負の終わり(Endgame)』<(注2)>に登場するナッグ(Nagg)が、「お前が地球にいる以上は、それは治しようがないのさ」と喝破した<ことを想起して欲しい。>・・・」(C)
 (注2) 『Fin de partie』<(1957年)>。『ゴドーを待ちながら(<En attendant Godot=>Waiting for Godot)』<(1952年)>とともにベケットの戯曲の双璧。1957年ロンドンでフランス語で初演。後にベケット自身が英訳。ナッグは、足がなくゴミ箱の中に住んでいる人物であり、立つことができず盲目の主人公の父親。
http://en.wikipedia.org/wiki/Endgame_(play)
 なお、ベケットは、「アイルランド出身のフランスの劇作家、小説家、詩人。不条理演劇を代表する作家の一人であり、小説においても20世紀の重要作家の一人とされる。ウジェーヌ・イヨネスコと同様に、20世紀フランスを代表する劇作家としても知られている。1969年にはノーベル文学賞を受賞している。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%99%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88 (<>内も)
(続く)
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                –ピアノ–
<shihouen>
≫<私のピアノの修理については、>とにかくオヤジ供養にはなるな、といったあたりがまあ正直な気持ちです。なお、敵は、外装(ひび割れている)の修理も・・・円でぜひどうぞ、と重ねて言ってきていますが、こちらはやりません。≪(コラム#5572(永久非公開)。太田)
 外装を施し、御子息三代~へと供養を重ねるのは選択肢に無いでしょうか・・・お節介ですね多分。
<太田>
 お心づかい、恐縮です。
 いくら何でも修理総額が大きくなり過ぎるということはもちろんなのですが、音には影響がないというふれこみ・・バイオリン等弦楽器の場合は音に影響ありと認識しているので若干疑っている・・であること、外装の塗装に亀裂が生じたことについては、入り組んだ事情があって、その事情を肝に銘じておきたいこと、かつまた、その事情が生じるに至った経緯についてはオヤジ自身の責任もあること、も踏まえました。
 なお、私自身の息子に関しては、これまた、諸般の事情から、本件に関しては、現在のところ、全く考慮する必要がないと思っています。
<ピアノ修理業者>
 お客様のピアノは、昨今のデジタル的な硬質な音とは違って柔らかい音が出ます。
 ビートルズがぞっこん惚れ込んだ音色です。
 同じメーカーがもはや同じつくりのピアノをつくらなくなったのは、みんながデジタル的な音を求めるようになったからです。(ただし、通常のピアノと違って一音を3つの弦ではなく、4つの弦で出す点は変わっていません。4弦目を共鳴弦としては使わなくなったということです。)
<太田>
 なるほど。
 昔の欧州の人々が好んだ音色のピアノだというわけですね。
 ヤマハの音色に馴染んでいた私が、小6の時にこのピアノを初めて弾いた時にピンとこなかった理由が分かりました。
 でも、私も年輪を重ねたので、今度弾く時は、ひょっとしたら、受け止め方が変わるかもしれませんね。
<ピアノ修理業者>
 外装は修理しないということですが、実は、外装に関しては、修理するとすれば、昔のように○○・・聞き漏らした(太田)・・貝の粉末を溶かした染料をたんぽで何回も塗り重ねて行くという方式ではなく、一旦この昔の塗装を全部剥がした上で、タール性塗料を一挙に塗るという方式です。
 ご参考まで。