太田述正コラム#5580(2012.7.5)
<クラシック音楽徒然草–歌劇(その1)>(2012.10.20公開)
1 始めに
一人題名のない音楽会を「クラシック音楽徒然草」なるコラムシリーズに仕立ててお送りしましょう。
最初に歌劇をとりあげます。
歌劇の筋なんて、どれもこれもばかばかしい限りであり、音楽的にも卓越したものは少なく、モーツアルトでさえも、その歌劇作品は、音楽的にそれほど出来はよろしくない、というのがかつての私の見解でした。
いや、それはとんだ間違いであり、そもそも、歌劇は総合芸術であって、出演者たる歌手やオケや彼らが歌い演奏している音楽だけを切り離してそれらに注目するのではなく、(歌手の演技はともかくとして、)筋にも十分目を向けた上で、弁証法的かつ総合的に評価を下すべきである、と最近思うに至っています。
そのあたりのことを、いくつかのネタコラムの記述を紹介しつつ、ご説明したいと思います。
2 モーツアルト
(1)ドン・ジョヴァンニ
では、モーツアルトの『ドン・ジョヴァンニ』から始めましょう。
下掲に目を通して、『ドン・ジョヴァンニ』(Don Giovanni=Il dissoluto punito, ossia il Don Giovanni(罰せられた放蕩者またはドン・ジョヴァンニ) K.527)(1787年)の筋をざっと頭に入れてください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%8B
「・・・スペイン人修道士のティルソ・デ・モリーナ(Tirso de Molina)<(注1)>の1630年上演の劇『セヴィリアのトリックスター(Trickster of Seville)』の中で初めて登場してから、名祖(なおや)となった、バイロン卿の長編劇を演じたモリーナのお別れ巡業<の中でも登場しところの、>ドンファン(Don Juan)物語<(注2)>が、爾来200年間にわたって、欧米のイマジネーションを支配してきたことには理由がある。
(注1)1579~1648年。「マドリッドにて生まれた。アルカラ・デ・エナレス大学で学び、・・・メルセス修道会・・・に入会・・・スペインの劇作家。スペイン[文学]の黄金時代を代表する人物の一人・・・」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8A
ここで『Trickster of Seville』と訳されているのは、『El burlador de Sevilla (=The Seducer of Seville=セヴィリアの女誑し) のことだと思われる。
この劇のクライマックスは、主人公のドンファンが彼が殺し幽霊塑像と化した男と対峙し、この自分の病んだ良心の放射物であるところのものを、強い決意の下、無視する場面だ。
http://www.britannica.com/EBchecked/topic/596889/Tirso-de-Molina
(注2)調べられなかった。
ティルソは強制的にキリスト教に改宗させられたスペインのユダヤ人達の子孫であり、ドンファンを神学的パラドックスとして創作したのだ。・・・
ドンファンは、ユダヤ的ジョークなのであり、・・・ドンファンは、敬虔なキリスト教徒が精神病質者たりうること、従ってその延長線上としてキリスト教世界が精神病質者によって支配されることがありうる、という解釈(construction)を証明するために存在しているのだ。
啓蒙主義によるカトリック信仰への最も陰険な(insidious)攻撃は、ヴォルテールのような無神論者から投げかけられたのではなく、潜在的にユダヤ人的感覚を持ったスペイン人修道士から投げかけられたわけだ。
それから1世紀半後、もう一人のキリスト教改宗ユダヤ人である、ロレンツォ・ダ・ポンテ(Lorenzo da Ponte)<(注3)>として知られるところの、エマヌエーレ・コネリアーノ(Emmanuele Conegliano)が、ティルソの劇をウォルフガング・アマデウス・モーツアルトのためにオペラ劇(libretto)に作り替え、その結果が、まことにもってユニークな芸術作品になったのだ。・・・
(注3)1749~1838年。「<イタリアの>ヴェネト州のチェネダでユダヤ人の家系に生まれた。・・・1763年に一家はキリスト教に改宗し<た。>・・・ダ・ポンテはのちに聖職に就き、ヴェネツィアで暮らした。しかし、放蕩生活を送ったために1779年にヴェネツィアから追放された。ウィーンに移住したダ・ポンテは、アントニオ・サリエリの口利きによって台本作家としての能力を認められ、ヨーゼフ2世の宮廷で詩人としての職を得た。何年もの間、オペラのイタリア語台本を作成する仕事を続け、さまざまな音楽家に膨大な数の台本を提供して成功を収めた。
<彼は、>モーツァルトとの共同作業で・・・オペラ<を>・・・1786年『フィガロの結婚』(原作ボーマルシェ)、1787年『ドン・ジョヴァンニ』・・・、1790年『コジ・ファン・トゥッテ』<と3つ作っている>。
1790年にヨーゼフ2世が死ぬと、宮廷の中で不興を買い、1791年にウィーンを去らなければならなくなった。人気を失ったダ・ポンテは、1792年から1805年までロンドンで過ごした。そののちアメリカに渡り、フィラデルフィアを経てニューヨークに落ち着いた。コロンビア大学の最初のイタリア文学教授に就任し、イタリア語およびイタリア文学の教育に献身し<た。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%84%E3%82%A9%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%86
ちなみに、ヨーゼフ2世(Joseph II。1741~90年)は、「神聖ローマ皇帝(在位:1765年~1790年)、オーストリア大公、ハンガリー王、ボヘミア王・・・父フランツ1世の死後、母マリア・テレジアとともに共同統治を行う。・・・1772年、母マリア・テレジアの反対を押し切り、第1回ポーランド分割に加わる。1780年、マリア・テレジアの死により単独統治を開始すると、翌1781年に農奴解放令を発布した。また、宗教寛容令を発布して、ルター派、カルヴァン派、正教会の住民に公民権上の平等を認めた。一方で国内の多くの修道院を解散させ、その財産を国家が掌握することで財政を富ませた。・・・イタリア人が占めていた音楽の分野で・・・ドイツ音楽を意識してモーツァルトを宮廷音楽家として雇っていたことでも知られる。・・・ヨーゼフ自ら選んだ墓碑銘は「よき意志を持ちながら、何事も果たさざる人ここに眠る」」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%952%E4%B8%96
ティルソの原作では、ドンファンを動機付けるものは、性というよりも悪だ。
ドンファンは、男を殺すことを女を強姦することと同等に楽しむし、売春婦に支払う代金をごまかすことに、彼女と寝ることと同等の愉楽を覚える。・・・」
http://www.atimes.com/atimes/Global_Economy/NE08Dj01.html
(5月8日アクセス)
どうやら、ドンファン(ドン・ジョヴァンニ)は、後に欧州及びその周縁に出現するところの、カトリック教徒のナポレオンや、カトリシズムの変形物たるスターリニズムの教祖のスターリン、同じくカトリシズムの変形物たるナチズムの教祖のヒットラーの先取りであった、と言ってよさそうですね。
このうち、スターリンはユダヤ人を弾圧しましたし、ヒットラーに至っては、欧州におけるユダヤ人の絶滅に乗り出しました。
してみれば、ドンファン像の創作と普及をどちらもユダヤ人が行ったことは、歴史の偶然ではなく、必然であった、とも言えそうです。
ここで重要なのは、戯作者から主人公の人間像や作品のテーマを聞き、それを十二分に理解しなければ、その劇にふさわしい作曲などできないということです。
しかも、『ドン・ジョヴァンニ』に限らず、モーツアルトは、歌劇の作曲を行う場合、その域を超え、主人公の人間像や作品のテーマに心から共感して臨んだに違いないと推察されるのです。
どうして、そう推察できるかは、次回、『魔笛』を取り上げる際にご説明しましょう。
それでは、最後に、『ドン・ジョヴァンニ』のさわりをご鑑賞ください。
序曲
http://www.youtube.com/watch?v=SotSKAYTyDw
騎士団管区長(Il Commendatore)の場面 イタリア語(フランス語字幕)
http://www.youtube.com/watch?v=7cb1QmTkOAI&feature=fvwrel
『ドン・ジョヴァンニ』をリストがピアノ曲化した『ドンファンの追憶(Reminiscences de Don Juan)』
http://en.wikipedia.org/wiki/R%C3%A9miniscences_de_Don_Juan
もどうぞ。ハメリン演奏です。
http://www.youtube.com/watch?v=Wa7B9lGcWdc&feature=related
(続く)
クラシック音楽徒然草–歌劇(その1)
- 公開日: