太田述正コラム#5584(2012.7.7)
<クラシック音楽徒然草–歌劇(その3)>(2012.10.22公開)
(3)シピオーネの夢(Il sogno di Scipione)
一転、今度は、モーツアルトが15歳の時に作曲した『シピオーネ(=小スキピオ)の夢』(1772年)です。
筋は日本語なら下掲↓に載っていますが、余りお奨めできません。
http://www.and.or.tv/operaoperetta/147.htm
きちんと筋を把握したいのなら、下掲をどうぞ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Il_sogno_di_Scipione
小スキピオ(注7)がカルタゴ攻略を期して北アフリカに赴いた時に、夢の中で、二人の女神に結婚を迫られ、更に、自分の義理の叔父の大スキピオ(注8)や実父に会ったりし、結局、小スキピオは、奔放な女神フォルテュナ(Fortuna)ではなく貞淑な女神コンスタンツァ(Constanza)を選んだ上で、その2年後にカルタゴ攻略戦を開始する、というのが簡単な筋です。
(注7)スキピオ・アエミリアヌス(Scipio Aemilianus。BC185~BC129)。「第三次ポエニ戦争時、・・・派遣され、紀元前146年にカルタゴを陥落させる。・・・紀元前147年及び紀元前134年の2度執政官に選出され、紀元前142年には<もう一人>と共にケンソル(監察官)を務めた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%94%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A8%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%8C%E3%82%B9
なお、「執政官(・・・consul コンスル)は、古代ローマでの政務官のひとつ。都市ローマの長であり、共和政ローマの形式上の元首に当たる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%B7%E6%94%BF%E5%AE%98
(注8)スキピオ・アフリカヌス(Scipio Africanus。BC236~BC183?年)。「グラックス兄弟<(コラム#5374)>の外祖父にあたる。・・・17歳の時に第二次ポエニ戦争が勃発し<し、参戦するが、>・・・25歳になったスキピオは・・・、特例として・・・元老院<から、>・・・プロコンスル(前執政官)待遇でインペリウムを授けられ、新たに派遣される軍団の指揮官として就任する。・・・異例の抜擢であった。・・・<そして、ヒスパニア(イベリア半島)遠征を経て、>紀元前205年、・・・31歳にして執政官に選ばれた。・・・紀元前204年、・・・北アフリカに渡航<し、>・・・紀元前202年<、現地でのザマの戦いの>・・・勝利によってスキピオは事実上第二次ポエニ戦争を終結させた・・・。・・・<その功により、彼は、>「アフリカヌス」の尊称を授かり、以降スキピオ・アフリカヌスと名乗った。・・・彼には、他にも終身執政官、さらに終身独裁官の提案が何度もなされたが、スキピオはそれらを全て断っている。そして紀元前199年にケンソル(監察官)に選ばれ<ている>。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%94%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%8C%E3%82%B9
なお、「インペリウム(Imperium)とは、古代ローマにおいて、ローマ法によって承認された全面的な命令権のことをいう・・・
共和政ローマではコンスル(執政官)、プラエトル(法務官)、およびその職務の経験があり元老院の承認を経た者が持つことを許された。これは白紙委任状であり、戦場での権限だけでなく講和を締結し(批准は元老院、市民集会が可決して発効)、さらに講和後の戦後処理、関係再構築までも託される広範な権限を持つ。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%83%A0
この歌劇の存在を知ったのは、下掲の記事によってであるところ、この歌劇に登場する曲はみな似たようなものばかりであり、退屈させられる、とその筆者は記していました
http://online.wsj.com/article/SB10001424052702304432704577347632800469656.html?mod=WSJ_Opinion_MIDDLETopBucket
(4月19日アクセス)が、下掲を視聴してみてください。
歌唱:Louise Fribo
http://www.youtube.com/watch?v=OnJgZY_sh7s
歌唱:Jed Wentz&Daniel Reuss,
http://www.youtube.com/watch?v=33N1V2l3LKg
この両者が似たようなものだとは言えそうもありませんし、いずれにせよ、どちらも15歳の少年の作品とは到底思えぬ完成度に達しているのではないでしょうか。
しかも、(この歌劇の戯作者は当然別にいて、この戯作者は、キケロの『スキピオの夢(Somnium Scipionis)』(注9)
< http://en.wikipedia.org/wiki/Somnium_Scipionis >
をタネ本にしているところ、)配偶者に求めるべきものは、果たして徳なのか快楽なのか、という、この歌劇のサブテーマを、きちんと理解していなければ作曲などできない、ということを考えると、この点だけとっても、モーツアルトの早熟振りには端倪すべからざるものがあります。
(注9)ラファエロの絵画、『騎士の夢』(1504年頃)はキケロのこの本の光景を描いたものである、という説が有力だ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Vision_of_a_Knight_(Raphael)
しかも、この歌劇には、このサブテーマと重なり合っているところの、より深刻なメインテーマがあるのです。
大スキピオは、小スキピオに対し、他者達のことを考え、共感を抱き、彼らのために尽くす者は永遠の命を与えられるのに対し、自分自身のためだけに生きている者は永遠の命を与えられる資格などない、と語りかけますし、父親は、小スキピオに対し、地上が小さくみじめで雲に閉ざされているのは、それが他者達の痛みに無関心な迷える人々の住まいだからだ、と語りかけます。
http://en.wikipedia.org/wiki/Il_sogno_di_Scipione 前掲
つまり、この歌劇は、まさに、本性であったはずの人間主義を忘れてしまっているところの人間に対し、人間主義に立ち返るよう促しているのであり、15歳のモーツアルトは、この点についても完全に理解した上で作曲した、と考えられるのです。
(続く)
クラシック音楽徒然草–歌劇(その3)
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