太田述正コラム#5620(2012.7.25)
<米国と黙示録的思想(その3)>(2012.11.9公開)
(4)黙示録的思想の陥穽
「・・・<黙示録的思想の第一の陥穽は次の通りだ。>
・・・進歩に対する不動の信条が、正教徒達が、その明白な使命(manifest destiny)を<抱くことを>実現し、フランシス・フクヤマが措定した、歴史の終わり(The End of History)・・人間文明の最終形態たる資本主義的民主主義の共産主義ないし他の可能な代替物に対する勝利・・の先触れをするところの、丘の上の都市(City on a Hill)<という観念の成立>を可能にした。・・・
この黙示的物語への過度な依存が、我々をして、<本来恐れるべきものとは>異なった事柄群を恐れさせ、潜在的な未来の出来事群と現在の観察できる諸趨勢とを誤って等値させている。・・・
第二<の陥穽>は、仮に、<このような我々の>社会が、ある時点で・・・現実にやらなければならないこと(real task)に焦点をあて<るに至ったところで>・・・重要かつ緊急を要するところの準備を<彼らが>行う際においてさえ、我々は、なお、平静を保たなければならない<、ということを忘れさせてしまうこと>だ。
<というのも、>状況は悪いかもしれないが、思ったほど悪くない可能性が高いからだ。
<この本の共著者達>が指摘するように、歴史上最悪の大災厄の一つであった黒死病でさえ、明るい面(upside)があった。
当時、腺ペストの蔓延によって欧州の人々の4人に1人が殺されたのは確かだ。
しかし、残された人々は、高くなった賃金と豊富な安くて空いている土地を見出した。
そしてさほど時間を置かず、<彼らは、>ルネッサンスの始まりをも見出すことになったのだ。・・・」(A)
「・・・前回、黙示録的不安が<社会の>主流に非常に拡散して歴史の進路を変えたのは宗教改革の時だったが、それは印刷という革命的な新しい交信技術に依存した。
同様な形で、黙示録的不安の現在の高まりを、我々自身の交信技術における革命に部分的に帰することができるのだろうか。
メディアは、・・・長らく、かすかな可能性群を緊急の脅威群であるかのように装わせる公式を習得している。
我々は、全員、「君が思っているより事態は悪い」という公式に慣れ親しんでいる。・・・
「人々は、愛にではなく恐れに反応(react)する」とリチャード・ニクソンはかつて述べた。
「そんなことは日曜学校では教えてくれないが、真実なのだ」と。
そして、世界の終わりなどは、最も恐れをかきたてる事柄なのだ。・・・
メディアによる黙示録的諸シナリオの合成の危険性は、それが、我々をして、自分達の実存的脅威群がもっぱら我々がコントロールできない出来事群から生じ、かつまた、それが未来において、それらが到来した暁には誰もにとってかかる脅威群を普遍的に認識することができる形で待ち構えている、と信じ込ませるところにある。
地球に向かって隕石が疾走してくる場合に、それが黙示録的でない<出来事である、>と誤って判断する者はいないだろう。
<しかし、>・・・地球温暖化のような現実の脅威群は、瞬時に我々を普遍的認識に到達せしめつつある、とは言えない。
それどころか、この脅威群は、多大なる否定と、なお続いているところの党派的議論の渦中において、到来しつつある。
例えば、旱魃、嵐、洪水といった気候に関連した毎年の災害はこの10年間に劇的に増大し、1990年代と比較して平均して75%も増えたが、これは、多くの気候モデルが、温暖化への警告が無視され続ければそうなると予想したまさにその通りのことに他ならない。
しかし、かかる自然災害の増大は、景気変動の危険の普遍的認識の瞬間を生み出してきてはいない。
それどころか、<我々が、>次第により異様なものになりつつある気候に適応してしまって、それを「新しい正常状態」であるとみなすようになったり、より容易にケーブルTVやインターネットが活用できるようになったために手品が濫用されて<、あたかも災害の>頻度が増えたかのように思わされていると感じるようになった結果として、気候変動<が起きると>の信条は現実には減ってきている。・・・
この類いの話は前にも聞いたことがある、と<気候変動>否定者達は固執するのだ。
歴史を通じて、世界の終わりは近いと宣言した者は、いつも間違っていたことが証明されてきたではないか、と。・・・
・・・<しかし、>全球的気候変動は、未来において生じるであろう黙示録的出来事ではない。
それは、現在進行形の、人間が起こしている趨勢なのだ。
そして、我々が、この趨勢が、将来、黙示<(=神が悪の支配を破壊<する>宇宙の大改革)
http://ejje.weblio.jp/content/apocalypse
>をもたらすかどうかについて、恐れおののきつつ想像するか激しく否定するか、に時間をより多く費やしつつある中で、科学者達は、この趨勢が加速していることを我々に告げている。
気候変動ないし石油ピーク<(注7)>について、黙示録的な修辞をもって語ることは、良いテレビ<番組>や注意を惹きつける論説群を成立させるかもしれないが、かかる黙示録的枠組みの営為は、世界を行動に向けて動員することに成功していない。
(注7)「一般に1つの油田における石油の総産出量は・・・、ロジスティック分布曲線<を描き、>・・・石油ピークに至るまで指数関数的に増加、ピークに達した後は石油が枯渇するまで減少する(時に急激な減少も見られる)。この概念は・・・油井・油田単位だけの指標ではなく、一国の石油総生産量や全世界の石油総生産量にも同様に適用することができるとされている。P.R.オデール・・・の研究では2030年頃に在来石油が、2060年<頃>に石油生産量がピークに達すると報告されている。・・・<ちなみに、>この概念はM.K.ハバート・・・が1956年3月8日に・・・発表した・・・。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%B2%B9%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%AF
我々の大部分は、「持っている道具が金槌だけの場合は、あらゆるものが釘のように見える」という決まり文句を良く知っている。
同じような形で、我々の黙示録的な物語の筋への過度の依存は、我々の前にある諸問題の正しい評価を行う我々の能力の発揮を阻害している。・・・」(B)
(続く)
米国と黙示録的思想(その3)>
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