太田述正コラム#5622(2012.7.26)
<米国と黙示録的思想(その4)>(2012.11.10公開)
 (5)最近の米国における黙示録的思想の遍在
 「・・・<米国における>このような黙示録的世界観は、宗教原理主義者達に限られたものではない。・・・
 ・・・<それ以外の人々も、その>多くが、地球温暖化と石油ピークについて、黙示がやってくるというのと同じ類いの熱情と信条でもって語り始めている。・・・
 <フランシス・>フクヤマの楽観主義・・中にはそれを傲慢さと言う者もいる・・がネオコンの間に根を下ろし、二番目のブッシュ大統領の外交政策を形作った<こともあげられよう>。・・・
 <振り返ってみれば、>Y2Kは我が米国及び世界にとって興味深い瞬間だった。
 というのも、それは黙示録的期待に向けての舞台を形成したからだ。
 しかし、Y2K<自体>は回避された。
 その関連で、人々の間で心理学的議論が起こった<ことが思い起こされる>。
 それは、終わりは現実にやってくるのだろうか、それともこないのだろうか<という議論だった>。
 <それはまた、この世の終わりの話>は巨大な陰謀論である<に過ぎない>のか<、そうではないとしても、>容易に回避できることなのだろうか<、という議論でもあった>。
 我々は、10年前に、<この世の終わりの話について、>大いなる懐疑を抱くとともに我々が直面している黙示録的脅威群など余り真面目に受け取ってはならないという気持ちを持ったまま、現在に至っている。
 <要するに、黙示録的>脅威群は冗談だ、ということになってしまったのだ。・・・
 ・・・それが<米国人が>Y2Kから得た誤った教訓であった・・・ことに間違いはない。
 Y2Kは、技術的問題に対処するため、世界全体において協調的努力が行われたからこそ回避されたのだから・・。
 我々は、かかる危機に直面した場合に行わなければならないところの、まさにそのことを行った、ということなのだ。
 もし我々が、地球温暖化と石油ピークに対して、同じ類いのやる気を持ったならば素晴らしいのだが・・。
 我々がこれらの問題と真剣に取り組むならば、我々はもはやこれら懸念事について心配する必要などなくなると言ってよいのだ。・・・
 <すなわち、>我々が目撃させられているのは、<米国人の黙示録的>信条と米国人が進歩と歴史に関して常に抱いてきた信条との間の相克なのだ。
 仮に黙示録的な終わりがやってこないのだとすれば、我々は適切な諸措置を講じることで、歴史上の諸試練を間違いなく回避することができる。
 我々は歴史の進路を変えることができる<からだ>。
 我々は自分達の運命を変えることができる<からだ>。
 我々は、技術とあらゆる種類の素敵な諸革新によってよりよくなることができる<からだ>。
 ところが、この10年間を通じて<米国に>見られるのは、死に瀕しつつある進歩の神話なのだ。<これでは、歴史上の諸試練を回避することも、歴史の進路を変えることも、自分達の運命を変えることもできないだろう。>・・・」(E)
 「・・・彼より昔のヘーゲルやマルクスのように、<フランシス・>フクヤマは、歴史をイデオロギー群の相互競争である、と見た。
 フクヤマの場合、それは、欧米的な自由民主主義とファシズム/共産主義の全体主義との間の相互競争だった。
 ソ連の崩壊は、フクヤマの頭の中では、「人類のイデオロギー的進化と人類の最終的な政府形態たる欧米の自由民主主義の普遍化の終末点」を画した。
 ベルリンの壁の崩壊によって、歴史上の長い闘争は最終的に終わりを迎えたというのだ。
 急速な技術進歩によって力を与えられた(empowered)民主主義と資本主義が、(<自由民主主義陣営の>資力(pocketbook)<を増大させたこと>はもとより<重要>だが、<何よりも、全世界の人々の>)心と頭をとらえる全球的戦闘に勝利した<ことこそ最も重要だ>、というのだ。・・・
 黙示<録的なものの見方>は、核爆弾の出現と次第に高まる冷戦における核全面戦争の諸恐怖の下で、(大いに理解できることではあるが、米国の、宗教原理主義者はもとより、)世俗的な人々の頭の中でも大きくわだかまり続けてきた。・・・
 ・・・<そして、>大きな出来事が起こって現代社会が急速にほころびる(unravel)かもしれないとの予感が、2001年時点までには、陰謀論の領域から抜け出て、大都市郊外に居住する米国人達の居間へとしっかりと入り込み、爾来、そこにとどまり続けて現在に至っている。・・・
 <9.11同時多発テロ直後の、2001年>9月14日に、ワシントンの国家大聖堂(National cathedral)で開催された、全国祈祷・追憶日での彼の発言の中で、<以下のような>新しい神話的な文言を・・その場にはふさわしいものであったと言えるかもしれないが・・ブッシュ大統領が初めて用いた。
 同大統領は、祭壇の前に立ち、この一連の攻撃を行った犯人を捜し出して処罰するだけではもはや不十分なのであって、「歴史に対して我々がなさねばならないことは…はっきりしている。この一連の攻撃に応えて世界から悪を駆逐することだ」と宣言したのだ。・・・
 ブッシュは、この単純かつ強力な黙示録的対決の隠喩を、米国と急進的なイスラム主義者達との間の紛争のあからさまな勃発を説明するために愛用し続けた。
 同大統領の9.11同時多発テロへのこのような対応に賛成するか反対するかにかかわらず、ここで大事なのは、彼のこの枠組みは、黙示に関する共有されたキリスト教文化的理解に本質的に(intrinsically)に拠っていることだ。・・・
 <実際、>ロサンゼルスタイムスによれば、2006年には、「米国人の40%が、終末時の前兆たる一連の出来事が、既に生起しつつあると信じている」のだ。・・・」(C)
(続く)