太田述正コラム#5624(2012.7.27)
<米国と黙示録的思想(その5)>(2012.11.11公開)
 (6)未熟な米国人
 「・・・我々は自分の生涯が記念碑的なものになることを望んでいる。・・・
 <しかし、その一方で、我々は、>自分が今まで存在したことのない最も重要な人物などではないことも自覚しているのではなかろうか。・・・
 それでも、なお、我々は、記念碑的な時・・善と悪との最終戦闘の日々ないし黄金時代・・に生きることはできる、・・・いや少なくともそう自分に言い聞かせることはできる。
 このことは慰めをもたらすし、実存的絶望を食い止めてくれる。
 しかし、もちろんそんなことはナンセンスであり、10代の若者の<ような>話だ。
 ところが、今やそれは全米国人の話になった。
 どうやら、我々の国は10代の若者<的な人ばかり>の国らしい。
 いつも、米国は、誰もがそれまで直面したことがないこの世の終わり的な危機群に直面し続けている、ときているのだから・・。・・・
 でも、米国は10代の若者<的な人>の国だから、その時々の危機に<直面していると思い込んで>あっぷあっぷしている10代の若者<並みの米国人>に対して、いやいや、この世の終わりなんかじゃないよ、と言っても、彼は聞く耳を持たない。
 それを乗り越えて現在の状況に適応せよといった、何が本当に起こっているかの真実に関するいかなる助言をあなたが彼にしたところで、ぶすっとした怒り以外の何物もあなたに返って来やしない。
 <実際の>10代の若者のどんな親でもこのことを知っているだろう。・・・」(D)
 (7)共和党は黙示録的思想中毒
 「・・・ミット・ロムニーのような謹厳な人物でさえ、定期的に、「米国は、自由経済でなくなる瞬間から数インチしか離れていない」のであり、この大統領選挙は「<それを回避する>最後の機会かもしれない」といったようなことを言う。・・・
 <後出の事情から、>保守主義的な米国は、その物の見方と諸利害に対して敵対的であるところの、上昇気流に乗っている、民主党的連合によって、遠からず、ほぼ恒久的に、支配されることになるだろう。
 この迫りくる暗い運命が、オバマ政権に対する共和党の半狂乱かつ恐れおののいた対応を彩ってきた。
 世界の終わりではもとよりなく、また、米国の終わりでもないけれど、共和党の終わりは、我々は今目撃しつつあるのかもしれないのだ。・・・
 共和党には、次第に、白人有権者、とりわけ、2008年にオバマが言いにくそうに「銃と宗教にしがみつく」傾向があると述べたところの、非大卒者と田舎の白人<たる有権者>、しか支持者がいなくなりつつある。
 他方、民主党は、修士号以上を持つ白人、とりわけ世俗的な白人の支持率を高めてきており、少数人種の間での支配的地位も維持している。
 全体として、・・・選挙民がより高学歴になり、また、白人の選挙民が劇的に一層少なくなりつつあるため、選挙を重ねれば重ねるほど、共和党は不利になりつつある。
 この趨勢は、民主党と共和党が拮抗している主要な州では更に明らかだ。・・・
 共和党は、この緩慢に弱化しつつある立場に自らを適応させようとせず、<民主党との>決定的対決という舞台を選んだ。
 もし、年を重ねるごとに戦闘条件が不利になるのだとすれば、できるだけ早く闘わなければならないはずだ。
 これが、北部の増大する人口と工業力を評価したところの、南北戦争前の南部諸州の思考過程だった。
 これはまた、自分達の帝国が弱体化しつつあり、自らを救うためにセルビアとの決定的な戦争が必要であると決めたところの、オーストリア=ハンガリー帝国の指導者達の考えでもあった。
 意識的かつ無意識的思考の種々のレベルにおいて、これは、オバマ時代において共和党員達をも駆り立てた考え方だったのだ。
 風景を見わたし、彼らは、すべての希望が失われる前に、<民主党に>反対する立場で迅速かつ決定的に打撃を与えなければならない、と結論付けたのだ。
 こうして、右翼の間で黙示録的話題がもちきり、という現在の状況がもたらされたのだ。
 長期的には負けるのだとすれば、今最大限の戦いをしてどうなるかをみよう、というわけだ。・・・」(D)
3 終わりに
 まず申し上げたいことは、(前にも書いたことがありますが、)マッカーサーによる日本人12歳説は、自分自身を含む米国人の未熟さを日本人に投影したものである、ということです。
 この本の著者夫妻も指摘しているように、米国民こそ、異常にも、保守派(右翼)もリベラル(左翼)も、押しなべて未成熟極まるメンタリティーの持ち主なのですから・・。
 ただし、未熟さの度合いは、これもこの著者夫妻が示唆しているように、保守派の方がはるかに甚だしいわけです。
 さて、私は、共和党のメンタリティーについての、この夫妻による、米国人を毒しているところの、黙示録的思想にからめた分析は、極めて説得力があると思います。
 もっとも、私自身は、ほぼ同じことが、リベラルを含めた、現在の米国人全体について言えるのではないか、という気がしています。
 米国民は、現在、米国の国力の急速な相対的衰亡を経験させられています。
 しかし、より深刻なのは、時あたかも、米国は、一人当たりGDPが、英国から独立することがなかったところの、後発純正アングロサクソン諸国(カナダ、オーストラリア、ニュージーランド)の後塵を拝そうとしていることです。
 (米国の所得不平等度が、かねてよりこれら諸国よりも大きいことはご存じの通りです。)
 これは、何度も私が指摘してきているところの、米独立革命の無意味性が米国民一般の目にも明らかになろうとしていることを意味します。
 つまり、米国民は、米国の建国理念・・米国の例外性、米国民の選民性・・が全面否定されるのを目撃させられようとしている、ということになるのです。
 そうだとするば、米国民は、自分達にとっての、このような意味での世界の終わりを予期して、南部諸州のような、はたまたオーストリア=ハンガリー帝国のような、ダメもとの決死の戦いに乗り出す恐れがある、と言わざるをえません。
 そして、その場合、米国民は、どのような戦いを行うことになるのでしょうか。 
 そんな時に米国民を窘め、従容と没落に甘んじさせる役割をも、英国や後発純正アングロサクソン諸国とともに、「独立」した日本は担うべきである、と私は考えているのです。
(完)