太田述正コラム#0123(2003.6.6)
<マクナマラの悔恨(その2)>
実はマクナマラは1995年に本を出しており、その中でベトナム戦争の時に国防長官として犯した過ちを回顧、反省し、当時既に大いに話題になったものです。
しかし、その時に比べると今度の映画の中でのマクナマラの姿勢は一変しています。
それはどういうことか。
まずはその本、Robert S. McNamara with Brian Vandemark , In Retrospect: The Tragedy and Lessons of Vietnam, Random House, Inc., 1995 の中で彼がいかなる「反省」をしていたかをふりかえってみましょう。(以下、この本の抜粋、http://archives.obs-us.com/obs/english/books/mcnamara/contents.htm(6月1日アクセス)による。)
問題はマクナマラのこの本の執筆スタンスです。
若き日の彼が学び、教えたハーバード・ビジネス・スクールはケースメソッドで有名ですが、この本は、米国がベトナム戦争でなぜ「敗戦」の憂き目を見たかについて、マクナマラが米国民向けのケース(事例研究)として体裁良くまとめたものだと私は理解しています。
ケースとは、教師が学生の教材として執筆するものであり、教師が学生より一段高いところに立って、テーマにかかわる事実を提示し、結論(教訓事項)はあえてケースの中には明記せず、学生相互の議論を通じて学生達に教訓事項が何かを考えさせるところに主眼があります。
この本がケースである証拠に、マクナマラは国防に関し、単純な目的関数を最初に設定します。「国家を最小限度のリスクとコストで防衛すること、そして戦闘において(我が)生命の損失を最小限度におさえること」と。かかる目的関数に照らせば、ベトナム戦争は、多大の経費を費消し、かつ多大の米兵の犠牲者を出し、しかも米国の防衛(広義)に齟齬を来したのですから、国防上の大失態であることは明白です。
またケースだからこそ、マクナマラは、彼の国防長官時代の七年間全体を描く中でベトナム問題を浮き彫りにするという歴史学的な方法をとらず、「単純化しすぎだという指摘は甘受する」としつつ、ベトナム戦争に係る事実以外は捨象します。(彼は自分の生い立ち、バークレーでの大学生時代、軍隊時代、ハーバードビジネススクール時代について語っていますが、これは彼がいかに米国のオーソドックスな価値観を身につけるに至ったかを示すというただそれだけが目的です。)
更にケースだからこそ、マクナマラは、このケースの中に登場する彼自身を他の登場人物と同様に一客体して取り扱い、「私自身の矜持、業績、苛立ち、そして失敗についてことさらあげつらう」ことは行いません。
むろん通常のケースと違うところもあります。
本来はケースの読者が自分で考えたり他の読者と議論したりして導き出すべき教訓がすべて本の中で提示されていることです。
マクナマラは、ベトナム戦争の教訓は、ベトナム戦争に係る米国の行政府の「価値<観>や意図」は正しかったが「判断や能力<見積もり>」を誤ったことだとします。
彼によれば、判断の誤りとは、第一に「ホーチミンをチトー元帥ではなくフィデル・カストロと同類とみなし・・南ベトナムが共産主義の支配下に入ることは西側の安全を脅かす」と、いわゆるドミノ理論を所与のものとしたことであり、第二に極めて限定的なトンキン湾決議(1964年)を拡大解釈して南ベトナムへの地上兵力の本格的投入に踏み切ったことです。
また能力見積もりの誤りとは、北ベトナムないしベトコンの抵抗能力を過小評価し、南ベトナム政府の能力評価を誤り(=ゴ・ジン・ジェムに対するクーデター及びジェムの殺害を黙認し、より能力の低いグエン・バン・チューらで置き換えた)、及び米軍の軍事能力を過大評価したことです。
(続く)
http://www.nhti.tec.nh.us/library/authorresources/o’brientimeline2.htm
ロバート・マクナマラ「果てしなき論争」共同通信社3800円。