太田述正コラム#5634(2012.8.1)
<中共と毛沢東思想(その5)>(2012.11.16公開)
「・・・中国共産党は、革命時代から、政策的柔軟性と適応性だけでなく、とりわけ地方レベルで、個人中心の(personalized)権力構造を承継した。
その結果、広汎な権力の濫用がもたらされ、それが効果的ガバナンスにとって恐るべき障害を構成している。・・・
→毛沢東は、法治主義抜きの韓非子(法家)主義者であった始皇帝の「主義」を、始皇帝及び始皇帝以降の支那の歴代統治者達(≒皇帝達)とは違って、反体制派への弾圧をより徹底した形で継承した人物であったわけです・・もう一つの違いは、毛沢東が徹底したエゴイストであったが故に、支那の歴代統治者達とは違って自分の子孫に自分の後を継がそうとしなかった点です・・が、毛沢東が広大で巨大な人口を抱える中共を一人で統治できるはずがない以上、無数の小毛沢東が地方の各レベルにおいて必然的に族生した、ということです。(太田)
毛沢東主義者の政治の品質証明であるキャンペーンの伝統が改革<解放>期においても多くの政策領域で有効であり続けているが、それは事実上、「管理されたキャンペーン」へと変換されている。
<それまでの>大衆キャンペーンとは違って、管理されたキャンペーンはレーニン主義の伝統とテクノクラート的技術とが合成されたものであり、大衆ではなく草の根の官僚達が通常標的にされる。・・・
→ここは理解に苦しみます。
中国共産党は、トップダウンの独裁(=民主集中制の)政党であり、その限りにおいては、典型的なマルクスレーニン主義政党なのであり、ボトムアップの特定の政策に着目して、それをキャンペーンの対象にするところの「大衆キャンペーン」を毛沢東時代に実施したことなどない、と私は認識しているからです。
その例外は、改革開放期における、Xiaogang村発の農業資本主義化に着目して党中央が推進した「大衆キャンペーン」くらいであり、それに引き続いて、党中央が推進した経済全般の資本主義化は、やはり伝統的な「管理されたキャンペーン」であって、党中央が経済だけの日本型政治経済体制化・・いわば日本型政治経済体制のつまみ食い・・を目指して推進されたものである、というのが私の仮説です。(この趣旨のことはこれまでも折に触れて指摘してきたところです。)(太田)
中国共産党は、また、社会調査の方法を、「典型的事例」の検証から無作為抽出的な(random)調査方法へと変えた。
この変化は、党と国民(population)との間の新しい関係を反映したものだ。
すなわち、潜在的活動家達としての動員された大衆が非政治化された受動的な観衆によって取って代わられたのだ。・・・
→ここも理解に苦しみます。
中共当局が、単に被治者たる人民の世論を、近年、より科学的に把握するようになった、というだけのことでしょう。(太田)
・・・中共の法的制度は、専門主義(professionalism)化とポピュリズム化の趨勢の間の緊張によって特徴づけられる。・・・」(B)
→私は、このような表現もおかしいと思います。
法曹の専門主義と党の便宜主義ないし政治主義の趨勢の間の緊張、と表現すべきでしょう。
ご承知の通り、常に後者の趨勢が勝利を収めてきたわけです。(太田)
「<執筆者達>は、中共の体制の「存続力(staying power)」<の強さ>が「これまでのところ」見て取れるものの、それは極めて暗黒の側面・・官僚の腐敗、環境の破壊、市民的自由の欠如・・を伴っている、と指摘している。・・・」(D)
→この本の執筆者達の多数意見を踏まえるならば、ここは、「反体制派の徹底的な弾圧こそが中共の体制の「持続力」の秘密であり、「市民的自由の欠如」は反体制派の徹底的弾圧の前提条件であって、「市民的自由の欠如」は必然的に「官僚の腐敗」や「環境の破壊」をもたらす」と書くべきでした。(太田)
(続く)
中共と毛沢東思想(その5)
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