太田述正コラム#0124(2003.6.9)
<イラク復興で問われる戦後型「利己」的支援>
(「エコノミスト」毎日新聞社2003年6月17日特大号(6月9日発行)78??80頁「脱却」より転載)

  イラク戦争の終結から約一ヶ月がたった。政府はイラク復興支援に自衛隊を派遣
する予定だが、大切なのは、日本の都合ではなく、現地ニーズに即した支援を心
がけることだ。

太田 述正(ディフェンスアナリスト)

 イラクの復興支援に、どれだけ日本が寄与すべきなのか。1991年に勃発した湾岸戦争時に日本の戦費などの負担分が全体の20%と極めて高かった。一方で、今回のイラク戦争と湾岸戦争とでは日本の置かれている環境は異なっている。??国連のお墨付きがあった湾岸戦争の時に比べて、イラク戦争への日本政府の賛意の表明は米英に対する大きな貸しになった、??湾岸戦争の時と違って日本は戦費の負担は求められていない、??現在の日本の経済財政事情は湾岸戦争時に比べてはるかに厳しい、などである。このことから、イラク戦争の復興支援で日本は全体の15%程度の負担を求められるだろう。
 ただ、大切なことは負担規模もさることながら、湾岸戦争時の苦い経験を持ち出すまでもなく、カネを出すよりヒトを出すことであり、かつ日本の都合ではなく現地のニーズに即した支援を心がけることである。

自衛隊の派遣

 自衛隊のイラク派遣は行わないという選択肢はない。なぜなら、治安を回復し、維持することは紛争後の復興の大前提だからだ。派遣する時期は、派遣根拠法を制定する必要があるが、早ければ早いほどよい。
 90年代初めにブトロス・ガリ国連事務総長(当時)が力説して以来、治安の回復・維持の重要性は世界の常識となった。米ブッシュ政権は軍事力による貢献を何よりも高く評価する。例えば、イラク戦争に200人の部隊を派遣し、戦後の治安維持部隊にも2000人派遣する予定のポーランドには、戦後派遣経費は米国が立て替えるにもかかわらず、三分割したイラクの一地域の「統治」をゆだねることにしたくらいだ。
 逆に言えば、治安維持を任務とする部隊を主力としないのなら、自衛隊を派遣する意味はほとんどない。そもそも、かつて中東随一の先進国だったイラクはあらゆる分野で豊富な人材を擁しており、軍隊を含む治安維持機構こそ壊滅・弱体化しているものの、今まで自衛隊が国連平和維持活動(PKO)で実施してきたような、応急的な衛生・通信・輸送・土木などの業務へのニーズは基本的にない。
 政府は日本企業をイラクに派遣して社会資本の復旧にあたらせたいようだが、そうだとすれば、危険な状況下で行動することを旨とする自衛隊をまず派遣して率先垂範させるとともに、日本企業関係者が派遣されるであろう地域を含むイラクの治安維持にあたらせるのが筋というものだ。
 しかし、治安維持部隊の派遣には二つのハードルがある。
 一つは、いかなる自衛隊部隊を派遣するにせよ、「危険」なイラクでは、正当防衛と緊急避難の場合に武器使用を限定しているこれまでの武器使用基準を緩和することが不可欠だということだ。もう一つは、治安維持部隊は状況によっては先制攻撃を行わなければならないが、平時の先制攻撃という観念が全くない自衛隊としては、十分訓練しないとまことに心もとないことだ。だから、治安維持部隊の派遣には何カ月もの準備期間が必要となる。
 そこで、治安維持部隊の受け入れ準備を進めるとともに日本の存在感をアピールするため、まず情報・通信・輸送・施設などの後方支援任務の陸上及び航空自衛隊部隊を先遣隊としてイラクに派遣することが考えられる。
 派遣規模だが、米英両国は秋までに現在16万人のイラク駐留多国籍軍を5万人程度にまで圧縮を図ることとしており、日本が先遣隊1000人と本隊の旅団級の治安維持部隊4000人、計5000人を派遣すれば、その10%程度を負担することになる。
 治安維持と復旧には同じくらい経費がかかる(三菱総研が4月26日に公表した「イラク復興のコストと論点」参照)とすれば、日本企業に復旧面で20%程度のシェア確保に向けて頑張てもらえば、全体として15%程度の分担の達成は十分可能となろう。

自衛隊派遣論議 政府は調査団をイラクに派遣して現地の「危険」度や自衛隊派
遣のニーズを見極めた上で、有事関連法の成立後に方針を決定し、6月18日ま
での国会の会期を延長して派遣根拠法「イラク復興支援新法」の成立を図る予定。
政府は、「安全」な地域にだけ、名目的に少数の自衛隊部隊を派遣し、武器使用
基準緩和問題や集団的自衛権問題を回避する公算が大だ。

三菱総研リポート「イラク復興のコストと論点」 リポートでは、石油収入を復
興支援に充てることは基本的に困難と判断しつつ、復興支援経費総額を500??2,0
00億ドル(約9,000億??3兆6,000億円)程度と見込んでいる。これは人道支援、
社会資本整備、平和維持の合計額であり、債務免除額は入っていない。また、人
道支援額は小さく、社会資本整備と平和維持は金額的にほぼ拮抗すると見ている。
ちなみに、湾岸戦争の時の日本の拠出額は130億ドル(1兆5,000億円)。

日本企業への期待

 日本企業に社会資本の復旧に貢献してもらうとしても、(無償支援であれ、後で占領当局ないしイラク本格政権から還付してもらう含みの有償支援であれ)、日本政府による資金丸抱えの形でイラクに出かけていけば、同じようなことを米建設大手ベクテルや米エネルギー・建設大手ハリバートンなど、米国政府やブッシュ政権幹部と縁の深い米企業に対するのと同様の批判に日本もさらされることになる。
 その一方で、政府や日本企業が何もしないで手をこまねいていると、これまた批判の対象になるだけでなく、日本のイラク復興支援全般に対する発言権を低下させてしまう。
 だとすれば当面は企業に、イラクですでに人道支援等に従事している非政府組織(NGO)ばりのボランティア活動に取り組んでもらうほかない。まず、政府が官民合同の調査団をイラクに派遣し、過去に日本企業が手がけた社会資本整備や日本政府の経済援助で整備された社会資本を中心にその現況を調査し、復旧のために必要な事業の概略をまとめる。そして、イラク占領当局との調整を経て日本政府が、これら事業について、募集された日本企業をして利益抜きで、しかも経費の一部(例えば9割)しか日本政府から補填されないという条件で復旧にあたらしめたいと宣言する。
 こんな条件で、果たして「危険」なイラク行きに手を挙げる日本企業が出てくるかどうかだが、所要の法的整備を行って、経費の損金算入を認めたり公共事業への入札参加機会を増やしたりする等の優遇措置を講じれば、公共事業の削減や新型肺炎SARS禍にあえぎ、事業量を確保したい企業をはじめとして、可能性は十分あるのではないか。
 どれだけコストを抑えられるかは、各企業の腕の見せどころだが、日本人の個人ボランティアを活用(例えば往復旅費を支給し、食住を提供)できるよう、日本政府及び関係法人は最大限の配慮をすべきだろう。
 こうすれば、効率的・効果的に国費を支出できるだけでなく、日本及び日本企業の評判は大いに上がり、事業を通じて現地事情に精通するに至った各企業は、政府の後押しを受けつつ、イラク占領当局や本格的なイラク新政権による新規社会資本整備事業の受注にあたって大いに競争力を発揮することになろう。

吉田ドクトリンからの脱却

 日本は戦後一貫して吉田ドクトリンという、経済優先と対米従属とをコインの裏表とする「利己」的な国家戦略を堅持してきた。
 吉田ドクトリンが「利己」的な国家戦略であることは、対外政策の二大手段である防衛力と経済協力の実態が端的に示している。すなわち、自衛隊はこれまで同盟関係にある米国を守るためにも、米国以外の世界の国や地域の平和と安全に寄与するためにも、一切使われることのない究極の「利己」的軍隊だったし、経済協力はこれまで供与される国や地域の利益のためではなく、もっぱら日本及び日本企業の経済的利益の追求という「利己」的目的のために実施されてきた。
 しかし、「健土健民」(営利ではなく、国民の健康と繁栄)という創業者の掲げた理念を忘れた雪印がどうなったかを思い出すまでもなく、「利己」主義だけでは企業であれ、個人であれ早晩立ち行かなくなるものだ。国についても、このことはあてはまる。
 日本の経済大国化に伴って、防衛費は世界第2位(現在約4兆円)、ODA(政府開発援助)も第2位(現在でも9,000億円弱)へと巨大化しているが、米「フォーリン・ポリシー」誌4月号で報じられたように、日本による発展途上国支援への総合的な貢献度は先進国中ビリで、特に「平和維持活動」と「経済援助」のどちらも実質ビリであり、日本の「利己」主義は世界の人々の顰蹙をかっている。
 イラク復興支援のあり方が論議されている現在、日本がこのような「利己」的な国家戦略を引き続き墨守するのかどうかが厳しく問われている。

自衛隊 朝鮮戦争勃発時、米軍の補助部隊として警察予備隊が1950年に急遽占領
軍によって創設された。主権回復後、政府はその安全保障を米国に丸投げするこ
ととしたが、日本自らも防衛努力を怠っているわけではないというエクスキュー
ズ(弁解)だけの目的で、54年に警察予備隊の後継たる自衛隊が維持されること
になった。そして自衛隊は、第二次冷戦期(79??89年頃)には国民が知らないう
ちに米国の対ソ軍事抑止戦略の重要な一端を担わされていた。

日本の経済協力 日本の経済協力の出発点は、先の大戦中に損害を与えた(アジ
ア) 諸国に対するサンフランシスコ講話条約に基づく戦後賠償だ。当時の吉田茂
首相は戦後賠償を損害補償というより投資ととらえ、「この投資によって(相手
国が)開発され、日本の市場となる。そうすれば投資も十分回収できる」と述べ
ている。このように経済協力もまた、「吉田ドクトリン」なる国家戦略の一環とし
て始まった。だから日本の経済協力は相手国のためというより、もっぱら日本及び
日本企業の経済的利益のため、そして副次的に米国による戦略的な援助を補完する
ために実施されてきた。日本の経済協力が、有償(貸し付け)部分が大きく、中国
のように貧困国でもない国にも、しかもかつてのインドネシアのように腐敗した政
権をいただく国に対しても行われてきたのはそのためだ。

筆者紹介
1949年生まれ。東大法卒、防衛庁に入る。官房審議官を経て、2001年退官、執筆活動へ。URL:http://www.ohtan.net