太田述正コラム#5656(2012.8.12)
<中共と毛沢東思想(その7)>(2012.11.27公開)
中共内の民衆の不満は臨界点に達しつつある、と見てよさそうです。
反対分子の徹底的弾圧だけで、いつまでもこの不満の全国的爆発を防ぎ続けることは困難になりつつあるのではないでしょうか。
(2)中共内での体制論議
このような状況下の中共で、現在、どのような体制論議が行われているのかを、言論の自由がないという制約条件を踏まえつつ、北京大学経済学教授のZHANG WEIYING(注)が書いた本 ‘What Is Changing China’ (漢語)の序文の英語要約
http://online.wsj.com/article/SB10000872396390444320704577562463319136168.html
(8月2日アクセス)を通じて探ってみましょう。
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(注)米ノースウェスタン大学西安校学士・修士、オックスフォード大学修士・博士。
http://en.wikipedia.org/wiki/Zhang_Weiyin
「・・・「中共モデル(China model)」の理論家達は、この国の経済的奇跡は、政府の大幅な経済への介入と戦略産業の国家所有を基盤とする独特の統治制度に由来すると信じている。
これは、自由競争と私有制を擁護する、いわゆる「ワシントンコンセンサス」等の欧米諸国の経済においてとられた発展経路とは大きく異なっている。
「中共モデル」の観念は、最初に発展途上国に関する専門家の非支那人学者達によって提起され、2008年の全球的経済危機の後に、とりわけ政府の役人達の間で中共で支持者が増えるに至った。・・・
<これに対し、>「改革の失敗(failure of reform)」理論の擁護者達は、中共が新しい方法を生み出した、ということについては異論はないものの、それは解決ではなく問題を生み出していると考える。
彼らは、中共は現在市場に依存し過ぎているとし、この国は、もっと国家主義的(statist)モデルに戻る必要があるとする。
この「改革の失敗」理論は、中共の政治的左翼の間から出現したが、平均的な中共市民達と政府内の若干の人々の間にファンがいる。・・・
<この二つの理論に>共通しているのは、どちらも政府が経済を管理する能力があると信じていることと、市場の論理に対して敵意を抱いていることだ。
彼らは、どちらも、中央集権的権威を寿ぎ、企業家達を見下す。・・・
<中共における>経済諸改革は、中共政府が遍在的であった時代に始まったが、経済成長を維持してこれたのは、国家がどんどん背景へと引き下がって行ったことが唯一の理由だ。
同様、国有企業群もその社会と経済における役割を時間の経過とともに減じてきた。
こうして、政府がコントロールを緩める一方で、市場価格、村の企業、私有企業、民間企業家、そして外国の投資家が中共経済の繁栄を確保したのだ。
この二つの支配的な思想学派<の主張>とは反対に、国家介入と政府所有は中共の不平等と根深い矛盾の原因になっているのであって、救いの手(cure)にはなっていない。
政府による巨大な量の資源のコントロールと経済への過度な介入は、役人の腐敗、及び、政府と経済界との癒着を促進している。
これは、経済界の文化を掘り崩し、市場経済の適正な機能を破壊した。
国有企業における独占利潤と市場水準を超える賃金が、所得の不平等な分配の重要な原因の一つなのだ。・・・
もし、我々が医療市場を開放し、私的資本を自由化すれば、医療サービスを購入する困難さと費用は減少するだろう。
もし我々が資本を学校に投資することを認めれば、新しい大学群が出現し、中共における教育水準は向上するだろう。
もし我々が立憲政府を作り出し、法の絶対的権威を確立すれば、政府の権力は法の支配の下に置かれるだろう。
そうなれば、毎年何十万件もの抗議運動をもたらしているところの、地方政府による私有財産の窃盗と破壊(demolition)の数は減ることだろう。・・・」
私に言わせれば、ここに登場した、ZHANGのものを含めた三つの理論は、全て間違っています。
「中共モデル(China model)」理論は、ネーミングからして間違っており、日本型経済モデルであることを直視すべきでしょう。
戦略産業の国家所有は日本型経済モデルとは違うという反論が予想されますが、以前にも述べたように、人間主義文化の(中で、エージェンシー関係にある人々が相互に相手の効用関数やリスク選好度等を把握しようと努力する)日本社会と非人間主義文化の(中で阿Q的な人々が蠢く)中共社会とは根本的な違いがあるため、全般的には共産党員相互の「同士」的関係、戦略産業にあってはこれに加えて資本関係、で代替させる形で経済面でのエージェンシー関係を構築せざるをえなかった、ということだと私は考えています。
この理論のもう一つの問題点は、中共内の民衆の不満が臨界点に達しつつあることから目をそらしていることです。
「改革の失敗」理論は、この点から目をそらしてはいないものの、民衆の不満の解消を図るために社会主義的な経済に戻そうというものであり、論外です。
三番めのZHANGの理論は、民衆の不満から目をそらしていないという点で「改革の失敗」理論と同じだけれど、市場原理主義的な経済にすべきであるというものであり、こちらも論外です。
なお、ZHANGの理論は、始皇帝主義の再来とも言える・・そして現在依然として中国共産党が信奉している・・毛沢東主義が韓非子/法家の思想をホンネのイデオロギーとしているところ、法治主義を、イデオロギーにとどめず、現実化することも併せ唱えているわけですが、法治主義を実現するためには、(非民主主義時代のイギリスの法の支配/自由主義、そして、そのイギリスに統治されていた香港やシンガポールの法治主義/自由主義、といった例外はあるものの、)基本的には民主主義が実現されることが前提なのであり、ZHANGが中国共産党一党支配の廃止を唱えていない・・唱えることが許されていないと言うべきでしょうね・・以上は、中共では実現不可能である、と言わざるをえません。
ではどうすればよいのでしょうか。
私は、中共が、名実とも、かつ全面的に日本型政治経済体制化を目指すのが一番自然であろう、と考えています。
すなわち、まず、薄熙来が重慶で試みたような日本型経済体制化の徹底(コラム#5649)を全国規模で推進した上で、政治面でも逐次日本化させて行くことが望ましいのではないか、ということです。
政治面での日本化のためには、議院内閣制を採用するとともに、支那の遊牧民的伝統(=民主主義的伝統)をプレイアップしつつ、全人代(中共議会)の議員を徐々に普通選挙で選ぶように持って行き、かつ、これと並行して中国共産党を日本の戦前・戦中の大政翼賛会的なものへと変貌させて行くことでその一党支配性を希釈させて行く必要がある、と考えます。
ただし、これがうまく行くかどうかは、私益の追求を旨とし「富豪階級」化した中国共産党上層部が、自ら、或いは民衆の圧力でもって、公益の追求を旨とする選良集団へと変貌を遂げることができるかどうかにかかっています。
端的に言えば、始皇帝主義/毛沢東主義の廃棄ができるかどうかです。
それができなければ、中共は早晩衰亡に向かい、その中共末の混乱の中から、支那にまたもや新たな「王朝」ないし「中共」的なものが成立する運びとなり、支那はその循環的かつ停滞的な歴史の桎梏から脱却できないままの状態が続くことになるでしょう。
(完)
中共と毛沢東思想(その7)
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