太田述正コラム#5662(2012.8.15)
<欧米帝国主義論再考(その7)>(2012.11.30公開)
(7)現在をどう見るか
「・・・アジアの興隆が実は数世紀前のより正常な世界への回帰であることを受け容れようとしない<欧米の>人々は、<対イラク戦争や対アフガニスタン戦争といった>ぞっとするような無意味な諸戦争を立て続けに行うことで自分達が引き続き主人公であることを頑固に主張している。
とりわけ、政治的立場の相違を超えて米国の没落は完全に自分自身のせいだと言い続けるコンセサスが成立している米国においては、この非可逆的な転換は否定される。・・・
ミシュラの冷静な現実主義(realism)に基づく、前進を続けるアジア諸国は、欧米の紛争だらけの歴史を繰り返す運命にあるとの観念は、彼の出身のインドにおいて怒りを込めて否定されるであろうのみならず、若干の鋭い批判を<アジアにおいて>呼び起こすことだろう。・・・」(C)
「・・・<ミシュラは、>アジアの反帝国主義についての説明では、アジア人による帝国主義についてはもっともらしく言い紛らしており、例えば、オスマントルコの支配に対するアラブ人の戦いの諸問題については、ついでに言及するにとどまっている。・・・」(E)
→この書評子の帝国主義の定義はおかしいと思います。
オスマントルコ(創建者はセルジュークトルコの創建者と同根)の膨張は、農業生誕以来の遊牧民による、大規模な農耕民略奪・支配の最近代版/最終版、と見るべきでしょう。
http://en.wikipedia.org/wiki/Oghuz_Turks#Traditional_tribal_organization
http://en.wikipedia.org/wiki/Seljuk_Turks
http://en.wikipedia.org/wiki/Kay%C4%B1_tribe
http://en.wikipedia.org/wiki/Ottoman_Empire
また、私は、そもそも、帝国主義は、「19世紀中期以降の移民を主目的としない植民地獲得」に限定すべきであると最近考えるに至っている(コラム#5652)ところです。
いずれにせよ、アジア人による帝国主義を云々するなら、日本の帝国主義に言及して欲しかったですね。(太田)
「・・・国家資本主義は、ブルームバーグ社のビジネスウィーク誌によれば、若干の市場からの締め出しに直面しつつある米国と欧州の企業にとって深刻な競争相手だ。
「国家資本主義体制の興隆を妨げようとしたり、更に悪いことには全面的に否定したりする代わりに、米国と欧州の会社と政府はそれらから学んだ方がよい」とこの雑誌は主張する。
同じような話が、1980年代に、日本の国家によって支援されたコングロマリット群が暫時、世界中を乗っ取る脅威を投げかけた折にも出た。
短い間だが、保護主義、及び開放された外国の諸市場を標的にすること、によって日本がそのテクノロジー産業群を売り込んだのは、国家支援資本主義の優位を裏付けるように見えた。
中共とブラジルのそれぞれの国家資本主義のバージョンの紛れもない成功が、今では、英米において最新の不安を掻き立てている。・・・
このような、本質的にテクノクラート的な議論は、経済ナショナリズムの長い歴史を不注意に見逃している。
例えば、欧州諸国と米国の国家が入れ込んだ資本家達と経済ナショナリスト達の力に、アジアの多くの人々が気色ばんだ時があったことを<見逃している>。
欧米諸国間の<国家支援資本主義の間の>競争がアジアにおける基調を決めたのだ。
ジャワのオランダ人植民者のヤン・ピータースゾーン・クーン(Jan Pieterszoon Coen)<(注7)>は、オランダ東インド会社(VOC)の取締役達に「我々は交易を戦争抜きに、また、戦争を交易抜きに実施できない」と驚くほど率直に書いたものだ。
(注7)1587~1629年。蘭領東インドの総督を二期務める。バンダ諸島だけでとれるスパイスであるメースとナツメグを、原住民がオランダ東インド会社との契約に反してイギリスに売った時、日本人傭兵を率いて同諸島を襲い、15000人の原住民中14000人を殺戮した。
http://en.wikipedia.org/wiki/Jan_Pieterszoon_Coen
「・・・政府と経済界の連鎖(nexus)は、英国の商人達が支那の奥地の新市場群に恋焦がれて、支那に対する懲罰的攻撃を仕掛けるよう、自国の政治家達に繰り返し陳情活動を行った賜物である、19世紀における阿片戦争の頃に頂点に達した。・・・
米経済帝国主義の増大する力に抗し、国際的ジャングルで自らの立場を守るためには、支那の農業社会は社会主義ではなく、国家によって注意深く規制された資本主義的諸手法を通じた産業生産が必要だ、と梁啓超は主張した。
→当時の米国の帝国主義を経済帝国主義と見るのは誤りであり、膨張のための膨張を旨としたところの、人種主義的帝国主義であった、というのが私の見解であることはご承知のことと思います。(太田)
彼は、19世紀半ばの米国の「黒船」来訪によって国際経済秩序に強制的に組み込まれた日本が、欧米に追い付くために国家が主導した野心的な近代化プログラムに既に乗り出していることを知っていた。
二世代にわたって、日本人達は、リスト(List)<(注8)>の経済的ナショナリズムを既に吸収しており、同国は、第二次世界大戦の荒廃と米国の占領下のニューディール福祉主義の常軌を逸した発作<的注入>を行き抜いた。<←この文節の後半はいささか意味不明(太田)。>
(注8)フリードリッヒ・リスト(Friedrich List。1789~1846年)。「ドイツ歴史学派の先駆者。・・・かつての重商主義をドイツの情勢に適用し、ドイツを国民として統一し、自由な国民とするためには単なる農業国であってはならず、商業国として独立するためには自国の工業を興さなければならない、と主張する。国際貿易で後進工業国がイギリスに太刀打ちするためには、国家による干渉が必要であると・・・結論<付けた。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88
日本の範例は、韓国、台湾、そしてシンガポールによって追従された。
→私は、韓国(と恐らく台湾)は日本型政治経済体制を継受したけれど、シンガポールは継受したわけではなく、英国の植民地時代の非民主主義的政治と自由主義経済を維持しただけであると考えています。
シンガポール政府が戦略産業を決め、梃入れをしてきたことは、日本型経済体制の継受というよりは、いまだ日本型経済体制ではなかったところの、明治期の日本の大成功を収めた産業政策を参考にしたのではないか思うのです。(戦後日本の産業政策は、必ずしも成功したわけではありません。)
このあたり、詳しい方があれば、ぜひコメントをいただきたいところです。(太田)
これらのアジアの国家資本主義国は、皮肉にも、朝鮮とベトナムの戦争、対外援助、そして市場開放政策を通じて地政学的利益を追求し、地域の諸国家の経済を後押しした米国から多大な支援を受けた。
→これは「皮肉」でも何でもないのであって、米国の帝国主義が日本を先の大戦で打ち破った後、戦前の日本の帝国主義の衣鉢を継いで変貌を遂げた、ということです(コラム#5661)。(太田)
最終的に、1970年代末に中共は、長きにわたった生硬な中央計画の呪縛から脱し、シンガポールにイデオロギー上の模範を見出し始めた。
→私は、日本型経済体制を直接参考にしたのであろうと考えています。
中国共産党にとって、その生誕から中共の建国まで、最大の敵国は日本であり、その日本を軍事や政治のみならず、経済も研究し尽くしていた、と考えられるからです。
いずれにしても、この書評子が、日本型政治経済体制ないしその部分集合である日本型経済体制が、韓国、台湾、中共への政治経済体制ないし経済体制に強い影響を与えたことを認めている点は評価できます。(太田)
爾来、中共による、特定の資本主義の諸慣行の注意深い応用と全球的企業人なる中共人階級の創出は、間歇的に、中共が英米のネオリベラリズムをその全体において追随するであろうとの楽観論を生み出してきた<が、それはその都度裏切られて現在に至っている。>・・・」(F)
(完)
欧米帝国主義論再考(その7)
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