太田述正コラム#5664(2012.8.16)
<フォーリン・アフェアーズ抄(その1)>(2012.12.1公開)
1 始めに
XXXXさん提供の史料による「戦前の衆議院」シリーズの第一部さえまだ完結していないけれど、TAさんがフォーリン・アフェアーズ日本語版の抜き刷りを送ってくれることになったので、折に触れて、その中から適宜一部を抜き出して皆さんにご紹介し、私のコメントを付すことにしました。
2 紹介
・ティモシー・ペスレー「貧困から経済開発への困難な道のり–なぜ人は間違った選択をするのか」(2012No.3より)
「Timothy Besley<は>・・・ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス経済学教授」(102)
「第二次世界大戦まで、西ヨーロッパの国づくりは基本的に戦争を戦う必要性から進められた・・・。だがヨーロッパのモデルをみれば、政治権力を制約し報道の自由を強化すれば、国家権力の乱用を防げることが分かる。またヨーロッパ諸国は過去150年以上の歴史と経験から、力強い国家としての存続が、政府が市民の社会的・経済的必要性を満たしていくかどうかに左右されることを学んでいる。しかしこれも、戦争を戦う必要性を満たすことに関係していた。イギリス政府は1906年、貧しい子供たちに無料で給食を与える権限を地方政府に与えたが、これは一つには、第二次ボーア戦争に兵士として送り込めるような健康で丈夫な男性が十分いなかったことが背景にあった。社会が戦争目的を共有すれば、国家アイデンティティを高め、力強い国家をつくることはできる。だが、現在の世界において戦争を国家開発の手段に据えることを求める者は誰もいないだろう。
→国家のほぼあらゆる政策が、戦争遂行に資するため、現在風に言えば国家安全保障目的のために推進されてきた、ということは欧米の人々にとっては常識ですが、そのことを現在の日本人は完全に忘れています。
なお、口にする者は「誰もいな」くなったとしても、国家のほとんどあらゆる政策が、かつては国家安全保障目的で実施されたことから、欧米では、現在も無意識的にこれらの政策が国家安全保障目的で引き続き実施されている、と見るべきでしょう。(太田)
どうすれば人々がもっとも必要としていることを政府が把握し、それに対応していけるか。その方法は誰にも分からない。議会制度が確立され権力の抑制と均衡が存在する場合、つまり、・・・力強い市民社会が政府を監視している社会なら、期待がもてるかもしれない。しかし途上国の最近の歴史から判断すると、こうした抑制と均衡のメカニズムを形作って<い>くのは容易ではない。
旧植民地のほとんどが、議会制度から大統領制へと移行することで、宗主国から引き継いだ抑制と均衡のシステムを解体し、むしろ、政治権力の集中を図ってきた。統治制度が弱体化した国の政治は、広範な支持基盤をもつ政治連合によってではなく、一握りのエリート特権層によって支配された。こうして、政治的抑圧または内戦という政治的暴力が蔓延するようになった。」(108~109)
→旧欧米植民地であった諸国の大統領制は大統領独裁制と言ってもいいでしょうが、米国の大統領制は例外的であって、権力の抑制と均衡が過剰に担保されているため、現在では機能障害を起こしています。
結局、イギリス由来の議会制こそ、最も中庸を得た(、しかし、最も導入し、維持するのが困難な)政治制度であると言えるでしょう。(太田)
・スティーブン・フィリップ・クレーマー「ベビー・ギャップ–出生率を向上させる方法はあるのか」(2012No.5より)
「Steven Philip Kramer<は>・・・米国防産業大学教授」(5)
「19世紀に出生率の減少を初めて経験したのがフランスだった。これは、自分の農場を数多くの子孫たちに分け与えることのできない小規模の土地所有者たちが、子供の数を意図的に減らし、中間層が少数の子供にだけ資産を投資することで、さらに上流の社会階層の仲間入りをしたいと考えた結果だった。
こうして人口増大ペースが鈍化してくると、フランス政府は少子化が国家安全保障に与える意味合いを考えるようになった。普仏戦争が急激に増大していたこともあって、出生率の低下が政治問題化した。1871年当時のフランスとドイツの人口はほぼ拮抗していたが、1914年までにはドイツの人口はフランスの150%の規模に達していた。
小さな政府を標榜する第三共和制は、第二次世界大戦前夜まで出産奨励策をとらなかったが、1939年にな<って>フランス政府は子を持つ親を支援する家族法を制定した。
第二次世界大戦後、フランスの指導者たちは1940年の敗戦(パリ陥落)の理由を人口、経済、社会開発の成長がすべて停滞していたことに求めた。ドゴール大統領を始めとするフランスの指導者たちが望むような国際的地位を取り戻すには、新しいダイナミクスが必要だった。
社会的正義を高め、経済基盤を強化し、人口をもっと速いペースで増やしていく必要があった。産業の不振と人口減少というトレンドを覆していくことを決意したフランスは、子供を持つ家庭への支援策を含む、さまざまな政策を採用した。こうして、出生率は人口置換水準を上回るようになった。」(7)
→まさに、人口政策は国家安全保障政策であった、ということです。(太田)
「スウェーデン<では、>・・・大恐慌のさなかに政権を担った社会民主労働党で経済戦略を担当した1人がエコノミストのクンナー・ミュルダールだった。彼は、<夫>人のアルバ・ミュルダールとともに1934年に出版し、ベストセラーになった人口危機に関する著作(Crisis in the Population Question)で「スウェーデンが出生率を上昇させるには、女性が社会でキャリアを積みながら、子育てができるようにしなければならない」と指摘した。当時としては、これは革命的な発想だった。
子育ては社会にとって必要不可欠の投資だが、個々の家庭にとっては経済的重荷になる。したがって、政府は子供が少ないか、いない家庭から、多くの子供がいる家庭への所得の再分配を進めるべきだ。これがミュルダール夫妻の提言だった。・・・
現在、フランスとスウェーデンは、GDP(国内総生産)の約4%程度を子育て支援に充てている。」(8)
→自民党と公明党がよってたかって、民主党の子供手当をつぶしたことを忘れないようにしましょう。(太田)
「<この問題に>イタリア・・が気づいたのは、不備の多い福祉国家制度が限界に達しつつあった1990年代に入ってからだった。このため、イタリア政府は何の対策も講じなかった。
イタリア政府が効率的な出産奨励策をとるのを阻んだ要因は他にもある。女性が家事に専念することを前提とする伝統的なモデルを支持するカトリック教会は、女性の仕事と育児を両立させるための社会サービスの導入には問題があると考えた。仕事を見つけ、家賃を払うのに必死の若者たちは、30代まで・・・親の家に同居しがちで、自分で家庭を持つ時期を先送りしていた。
また、ベニート・ムッソリーニが宗教的理由から独身主義をとる男性に課税する政策をとったことが、ファシスト期の高圧的政策の象徴として記憶されているために、家庭や子供のことに政府が介入することがタブー視されていた(もちろん政府の不作為の口実にもされた)。破綻した官僚制、身動きできぬ政治システム、そして慢性的な財政問題も、前向きな政策を阻む障害となった。」(9)
→いかにもイタリアらしい話ですね。(太田)
「節度ある移民政策、事実婚などの非伝統的な家族構造の受け入れ、そして性差別をなくすことも重要だ。結局のところ、出生率が低いドイツ、イタリア、日本などは、伝統的な家族の形態にこだわっている。」(11)
→日本をドイツやイタリアと同類として括ってはならない・・先の大戦の敗戦国であることからくる負け犬根性から、この三国は国家安全保障的観点から人口を維持・増加させるインセンティブを失ったからだ、とする説もあったように思いますが、この説はドイツにしかあてはまらないのではないでしょうか。・・のであって、日本の場合の「伝統的な家族構造」とは、縄文時代の家族構造、より一般的に言えば、狩猟採集時代の家族構造、という「超」伝統的な家族構造なのです(コラム#5627)。
私は、現在の日本の男女差別についても、縄文化に伴い、縄文時代における男女の役割分担意識が復活しているものの、産業構造等がそれに対応していないためだ、だからこそ容易には解消され得ない、と考えるに至っています。(太田)
(続く)
フォーリン・アフェアーズ抄(その1)
- 公開日: