太田述正コラム#5730(2012.9.18)
<地政学の再登場(その2)>(2013.1.3公開)
 (2)地政学の歴史
 「・・・この本の第一部は、一世紀から数十年前にかけての大地政学者達のプロフィールを描いている。
 その物の考え方が心を乱すと同時に魅惑的であるところの、ハルフォード・マッキンダー、ニコラス・スパイクマン、アルフレッド・セイヤー・マハン、その他についてだ。
 この本の第二部では、彼らの智慧が、今日の欧州、ロシア、支那、インド亜大陸、イラン、トルコ、アラブ世界、そしてメキシコの様々な出来事に適用されている。・・・」(B)
→ここに日本が列記されていないことは、衝撃的ですらあります。(太田)
 「・・・ヘロドトスは、ギリシャとペルシャの間の累次の戦争を論述したが、それは地理的決定論と人間による決断との均衡がとれた論述であったと ころ、これはカプランが復活させようとしている感受性<が何であるか>を示すものだ。
 環境は、文化と慣習を形成するだけでなく、諸決断が一時の感情にとらわれてしばしばなされるところの、文脈を設定する。・・・」(D)
 「・・・マッキンダーは、欧州の没落と累次の世界大戦だけでなく、冷戦の概要すら予言した。・・・
 例えば、米国における最も頑固な冷戦のタカ派であったコラムニストのジョセフ・アルソップ(Joseph Alsop)<(注7)>や保守派の地政学的分析家のジャームス・バーナム(James Burnham)<(注8)>が、あの<東西の>大対峙をマッキンダー的枠組み(terms)で眺め、西側の運命を悲観視する傾向があったのは驚くべきこ とではない。
 1947年にハーヴァード大学で行った講演の中で、アルソップは、「・・・我々は最終的には敗北するかもしれない…しかし、単に降伏して死ぬよ りは、懸命に闘って敗北した方がよい」と語ったものだ。・・・」(C)
 (注7)1910~89年。米国のジャーナリスト・コラムニスト。母親はセオドア・ローズベルトの姪。ハーヴァード大卒。フライング・タイガース(Flying Tigers)(コラム#2982、3771、5455)に加わり、日本軍の捕虜になったことがある。
http://en.wikipedia.org/wiki/Joseph_Alsop
 (注8)1905~87年。米国の哲学者・政治理論家。プリンストン大学卒、オックスフォード大留学。左翼から右翼に転向。
http://en.wikipedia.org/wiki/James_Burnham
 「・・・砂漠で囲まれた肥沃な河に沿った孤立が敵を寄せ付けないことによってエジプトを形成したのに対し、メソポタミアではいいように貪られる という脆弱性が続いた。
 両方とも専制的で官僚制的な体制を発展させたが、イラクは安全保障の欠如によって鍛造されたところの、より暴虐的な政治文化を持った。
 マクニール(<William> Macneil)<(注9。コラム#1023、1028)>は、ギリシャ、インド、そして支那の三つは独特の文明を発展させたところ、遠く離れていたことで、支那は別個の道を歩んだの対し、ヘレニズムと中東とインドの各文明の間の辺境の頻繁な移動は、ギリシャ、インド、そしてその両者の間の地域の 間で微妙な文化的均衡をもたらした、と叙述した。
 (注9)1917年~。カナダ生まれの世界史家・著述家。シカゴ大学士・修士、コーネル大博士。シカゴ大名誉教授。
http://en.wikipedia.org/wiki/William_Hardy_McNeill
 マクニールの、この相互作用に焦点をあてた物の見方は、オズワルド・スペングラー(Oswald Spengler)の『西洋の没落』やアーノルド・トインビーのより楽観的な論述でお馴染みの、諸文明が別個に発展したとの見方に挑戦したものだ・・・。
 ナチスドイツが地政学を征服に奉仕させたことがこの分野の祖であるハルフォード・マッキンダーの評判を汚したが、現在でも彼の物の考え方の有効性は否定し難いものがある。
 カプランは、地理は、人間と社会が活動する文脈を設定することで歴史の枢軸として機能する、と主張する。
 地理は、砂漠、山、永久凍土といった障壁と同時に、河、渓谷、草原といった経路を形成する。
 海は、障壁と経路の両方なのであって、守りの袋小路ともなれば、移動の高速道路ともなる。
 ・・・マッキンダー<自身も>、環境決定論者であるどころか、地理的諸限界を理解することで、それらを克服する方法が指示される、と考えてい た。
 ・・・カプランは、決定論の静的な諸仮定とは完全に反対に、彼の地理の役割についての見方は動的な性質を持っている、と主張する。
 テクノロジーは、人間のイニシアティヴの一形態だが、環境を改変してきた、
と。・・・
 マッキンダーとカール・ハウスホーファー(Karl Haushofer)<(コラム#239、240)>のようなナチの理論家達は、ユーラシアのハートランドに焦点をあてたのに対し、オランダ生まれの米国 人たるニコラス・スパイクマンは、海軍力をリムランドから投入するという優位を、地理が米国に与えた、と主張した。
 この、温帯性気候と豊かな資源の組み合わせが、西半球に対する効果的な覇権とあいまって、米国に、東半球における力の均衡の調整のために力を割 く余裕を与えた、と。
 米国の位置が、南米には欠けているところの、米国に欧州へのアクセスを与える一方、アマゾンと北極圏が安全保障上の緩衝地帯を作り出している、 と
も。・・・
 かつて1890年に、アルフレッド・セイヤー・マハンは、海上力(sea power)についての歴史的論述を上梓したが、それは今なお、支那とインドの戦略家達の間で鳴り響いている。
→ここでもマハンが日本の帝国海軍に与えた影響に触れていないのは困ったものです。
 「日本においてマハンの著作・思想の紹介・導入・応用に関わった人物として、金子堅太郎・肝付兼行・小笠原長生・佐藤鉄太郎・寺島成信がい た。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%8F%E3%83%B3
とあるうちの、二番目から四番目までは海軍軍人で五番目は海軍文官経歴のある経済学者です。一番目は有名な官僚・政治家であり、マハンの影響力の 大きさが推し量れます。
 それは、セオドア・ローズベルトとドイツのウィルヘルム2世とともに、スパイクマンにも影響を与えた。
 18世紀の累次の戦争の間、敵の艦隊を撃破することによって海をコントロールする能力のあった英国は、英国の諸条件の下で海上交易を確保するこ とと、フランスをして沿岸からの攻撃に脆弱であり続けるさせることとが可能となった、とマハンは論じた。
 マハンの同時代人たるジュリアン・コルベット(Julian Corbett )<(注10)>は、この分析を精緻化し、弱い艦隊でも数的に強力な敵と、その基地を攻撃し、枢要な戦略要衝をコントロールすることで効果的に競うことができる、
と主張した。
 (注10)1854~1922年。英国の海軍史家・地理戦略家。ケンブリッジ大卒。
http://en.wikipedia.org/wiki/Julian_Corbett
 このようなやり方(leverage)は、20世紀初頭の英国のように、広汎なコミットメントに限られた手段で対処することを強いられていた国 に適している、と。
 海軍連合の構築や、地上作戦に影響を与えるための沿岸海域におけるプレゼンスの維持は、遠洋艦隊に伍していくことへの代替策を提供する、 と。・・・
 <また、>スパイクマンは、統合された欧州が米国にとって手ごわい競争相手になるかもしれない、と警告していた。・・・」(D)
 「ウィンストン・チャーチルは、「我々は建築物を形作り、その後、我々の建築物が吾々を形作る」と述べることで、空間と人間の活動の間の共存関係を記した。・・・」(D)
→この文脈の中でチャーチルを登場させたのはいかがなものでしょうか。
 チャーチルは、広壮・華麗なブレナム宮殿で生まれた自分自身
http://en.wikipedia.org/wiki/Winston_Churchill
について語っているに過ぎないと私は思います。(太田)
(続く)