太田述正コラム#5764(2012.10.5)
<映画評論35:アルゴ(その2)>(2013.1.20公開)
彼らのうちの一人が、その友人のカナダ大使館員のシアーダウン(Sheardown)に電話した結果、彼の自宅とカナダ大使公邸に分散して隠れることになった。
このほか、何週間も経ってから、スウェーデン大使館の外交官用宿舎に潜んでいた一人がシアーダウン邸にやってきた。
こうして、全部で6人の米大使館員がカナダ大使館の庇護の下に入った。
(映画では、全員が、同じ時期にカナダ大使公邸に隠れたことにされている。)
数週間経った時点で、CIAの変装と脱出の専門家のトニー・メンデス(Tony Mendez)は、米国務省から本件について知らされた。
CIAがつくるカバーストーリー(cover story=架空の経歴)は平凡で注意をひかないものが普通なのだが、メンデスは、彼らをカナダ人に仕立てることは早くから決めたものの、ジャーナリスト、人道的支援家、石油産業がらみの専門家、などでは、厳重に監視されていて、当局が全員を把握しているのでマズい。
約1週間考えたメンデスは、自分がアイルランド人の映画プロデューサーになり、ハリウッドの大作の制作準備チームを率いてイランにロケ地の事前調査に赴く、というカバーストーリーを思いついた。
(メンデスがアイルランド人と称し、従ってアイルランドのパスポートを所持してイランに入国した点は、映画では省略されている。)
メンデスは、ハリウッドに、これまで協力してくれた知己を何人も持っていたし、そもそも、ハリウッドのオタクチックな関係者が、革命イランにおける政治状況に無知であるということは大いにありうるというわけだ。
そもそも、あれほど慌ただしい時期だったというのに、当時のイラン政府は、外貨を必要としていたため、国際ビジネスの勧誘に大童であり、多額のドルを落とすであろう映画ビジネスには目がないはずだった。
メンデスは、1万ドルの公的資金を懐に入れて、1980年の1月中旬にロサンゼルスに飛び、かねてからのCIA協力者で友人のジョン・チェンバース(John Chambers)<(注1)>・・『猿の惑星(Planet of the Apes)』のメーキャップを担当して1969年のアカデミー賞を授与された・・に会って協力を求めた。
(当時の1万ドルは300万円程度の価値はあっただろうが、以下説明するような、史実とは異なる筋にした以上は、到底それくらいの経費では賄い切れないためか、映画ではこの公金への言及はない。)
(注1)1923~2001年。第二次世界大戦中は衛生兵で、戦後、米退役軍人省の病院で顔面整復や義手・義足作成に携わる。その後、TVや映画のメーキャップ技師として活躍。
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Chambers_(make-up_artist)
チェンバースは、特殊効果のボッブ・サイデル(Bob Sidell)<(注2)>を仲間に引き入れた。
(注2)Robert Sidell。メーキャップ技師として、エミー賞候補に4度指名される。
http://www.coasttocoastam.com/guest/sidell-bob/6431
そして、わずか4日間で、メンデス、チェンバース、とサイデルは、偽のハリウッドの映画制作会社をでっちあげた。
また、彼らは、救出対象の6人の名刺の文面や履歴を考え出した。
更に、この制作会社の事務所を、ロサンゼルスのマイケル・ダグラス(Michael Douglas)が映画『チャイナ・シンドローム(The China Syndrome)』を撮り終えてから引き払った跡の場所にでっちあげることにした。
次は脚本だった。
チェンバースは一か月前にバリー・ゲラー(Barry Geller)から電話を受けた。
ゲラーは、あるSF作家のSF小説の権利を買い、自分で’Lord of Light’という映画にするための脚本を書いた。
その上で、金持ちの投資家達から資金を募り、集まった数百万ドルを元手に、『X-メン(X-Men)』の作者として知られるコミック作家のジャック・カービィ(Jack Kirby)<(注3)>に絵コンテを描かせるとともに、この映画とのコラボとして、コロラドにSFランドという名称のテーマ・パークを設立しようとした。
(注3)1917~94年。オーストリア系ユダヤ人の両親の下にマンハッタンに生まれる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Jack_Kirby
カービィは、オリジナルのコミックの『X-メン』の原作者ではなく、作画のみを担当したもの。
http://ja.wikipedia.org/wiki/X-%E3%83%A1%E3%83%B3
ゲラーは、1979年の11月に、この計画を記者会見を開催して発表した。
その場には、ジャック・カービィ等が、未来からの訪問者のような出で立ちで登場した。
しかし、その直後に、ゲラーの片腕の男が資金を横領して逮捕されたために、計画は雲散霧消してしまった。
(このはでばでしい記者会見場面は、メンデス等によって『アルゴ』のために行われた、という風に映画では改変されている。)
チェンバースはゲラーから、この映画でメーキャップを担当すべく雇われていたため、脚本も絵コンテも自宅に保有していた。
イランの風景は、この脚本の描くところの、荒涼とした風景の多くとぴったり合致していた。
テヘランの有名なバザール<(注4)>は、この脚本が描く一場面に更にどんぴしゃだった。
(注4)Grand Bazaar, Tehran
http://en.wikipedia.org/wiki/Grand_Bazaar,_Tehran
のことだと思われる。
メンデスは、こいつはいい、と言って、この脚本の表紙だけを、この脚本に登場する宇宙船の名前を取って、『アルゴ(Argo)』という表題に変えた。
(映画では、メンデス等が、脚本家から、『アルゴ』というタイトルの脚本を直接安く買いたたいて買い取る場面が出てくる。)
偽制作会社の事務所には、電話線が引かれ、タイプライター、映画のポスター、映画フィルムの入れ物(canister)が備えられ、入口には「スタジオ・シックス(six)・プロダクション」という、救出対象の6人にちなんだ表札が掲げられた。
サイデルは、この脚本をもとに、一か月分に及ぶ撮影スケジュールをつくりあげ、メンデスとチェンバースは、ヴァラエティ(Variety)誌とハリウッド・リポーター(The Hollywood Reporter)誌のそれぞれの1頁を買って、この映画の全面広告を打った。
(続く)
映画評論35:アルゴ(その2)
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