太田述正コラム#5776(2012.10.11)
<米国論再訪(その2)>(2013.1.26公開)
→ジェファーソン流民主主義(農業主義)については、イギリスの反産業主義(コラム#81)の米国版、と受け止めればよいでしょう。(太田)
抑えのきかない資本主義とポピュリズムは、すぐに人種的悲観論と移民の社会的含意への懸念へと道を譲った。
次第に数を増したユダヤ系、イタリア系、スラヴ系の移民達は、多くの人々の目からすると、米国の性格そのものに脅威を与えた。
移民の脅威について最も確信するに至った者の一人が、ハーヴァードでヘンリー・アダムスの学生だった、ヘンリー・キャボット・ロッジ(Henry Cabot Lodge)<(コラム#3972、3976、4020、4486、4522)>だった。
当時流行していた人種的劣化(degeneration)諸理論の信奉者であったロッジは、人種的混淆の含意に懸念を抱いた。
仮に低級な人種が高級な人種と十分な数混合すれば、歴史の教えるところによれば、低級な人種が優勢となるだろう」と、彼は1896年に米上院の議場で演説の中で言った。
このプロセスは、「偉大なる人種の低級化はそれ自身の没落を意味するだけでなく、文明の没落を意味する」ことから、米国を破壊する可能性がある、と説きつけた。
やがて制限的移民諸法が、1920年代初、米議会を通過したが、それは、部分的にはロッジの情熱的な<これら諸法への>擁護があったればこそだ。
→人種主義こそ、米国とその母国である(人種主義と基本的に無縁である)イギリスを分かつ主要メルクマールの一つである、と私はかねてより力説してきたところです。(太田)
それから四半世紀と少し経ったとき、これらの移民達の一人のヘンリー・キッシンジャー(Henry Kissinger)という若い男が、その一部がスペングラーの1918年の書である『西欧の没落(The Decline of the West)』に関するものであったところの、卒論を書き始めた。・・・
スペングラーによれば、あらゆる文化は、青年、成熟、そして不可避的な衰退、の順に推移する。
このことから、歴史は、「大災厄的大変動の巨大なる連続であって、力は単にその表明(manifestation)ではなく、その排他的目的」なのであって、「西欧ないしファウスト的文明<(注9)>は、彼の判断によれば、熟した文化の黄金の頂点ではなく、…冬の初期」に入っていた。
(注9)スペングラーは、(人間の美を崇め、地域的現在的志向の)古典ギリシャ、ローマのアポロ的(apollonian)文明、(洞窟的世界観、本質志向の)BC400年頃からのユダヤ、初期キリスト教、イスラム・・初期イスラムの拡張志向は逸脱とする・・)のマギ的(Magian)文明、(遠方、無限志向の)10世紀前後からの西欧に始まりイスラム地域を除き全球を覆ったファウスト的(Faustian)文明を論じた。
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Decline_of_the_West
キッシンジャーは、彼の伝記執筆者達の一人が記すように、最終的にスペングラーの決定論的歴史観を拒絶したので、彼自身は正統な没落論者とは言えない。
しかし、ジョン・F・ケネディの安全保障補佐官のマクジョージ・バンディ(McGeorge Bundy)は、ある時、キッシンジャーについて、「彼は、責任ある地位にない時には、米国(republic)の将来について陰鬱な思いに大いにふける傾向があった」と言っている。
例えば、スプートニク1号が成功裏に打ち上げられ、その結果として生じた、感知されたところの「ミサイル・ギャップ」についてのヒステリーの後、キッシンジャーは、ドワイト・アイゼンハワーの核政策が米国に重大な危機をもたらしたことに確信を抱いた。
「我々の生存の糊代は危険なまでに狭められてしまった」と彼は、1960年の選挙直前に刊行された『選択の必要性(The Necessity of Choice)』の中で記した。
「仮にこれらの趨勢が続くならば、自由の将来はまことに昏い」と。
その1年後、他の著名人達と共に彼が書いた報告書は、「我々が直面する諸問題の数と深さは、我々の自由な社会の生存そのものが問われているのかもしれないことを示唆している」という文章で始まる。
キッシンジャーの言葉は、ケネディのそれにそっくりだ。
ライフ誌いわく、ケネディは、「米国の影響力が薄れつつあることを告発して」1963年に大統領選に立候補したのだ。
1957年当時、マサチューセッツ州選出の上院議員であった彼は、米国が「ローマが燃えている時に提琴を奏でている」、というのも、「米国はソ連との衛星/ミサイル競争に敗北しつつある」からだ、と警告したものだ。
ケネディは、第二次世界大戦以来、初めて、全球的優越という米国の地位が脅かされつつある、と述べた。
それだけではない。
米国の没落は、「独りよがりな計算ミス、吝嗇、予算削減、信じられないほど混乱しているところの管理不全、そして無駄な敵対と嫉妬」の結果である、と。・・・
リチャード・ニクソンが1971年に喝破したところの、二極世界の終焉と「5本柱の大国(pentagon of power)」の出現、そして1980年代の日本の急速な上昇、の二つは、米国の相対的没落を鮮明に浮かび上がらせた。
しかし、ベトナム<での敗北>、ウォーターゲート<事件>、そしてOPECの石油禁輸、といったそれ以外の危機群は、米国の自身の内部的衰退と道徳的破産を、より陰険に(insidiously)うかがわせるものだった。
相対的没落と絶対的没落という<米国における>二つの没落主義的(declinist)伝統は、中共が全球的大国として出現したことによって近年、復活してきているところだ。・・・」
(続く)
米国論再訪(その2)
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