太田述正コラム#5778(2012.10.12)
<米国論再訪(その3)>(2013.1.27公開)
3 戦争志向
 「・・・リビアを例にとろう。
 わずかの間だが、それは稀なる米国の軍事的成功物語であったかのように見えた。
 それは、暴虐的独裁者に対する叛乱を支援するための決定的な軍事介入だった。
 米国人の死傷者は出なかったし、米国とNATOの空爆は、武器が十分なくよく組織もされていなかった一群の反徒達に権力を掌握させるために不可欠な働きをしたのだから・・。
 しかしながら、意図せざる結果がもたらされる世界においては、ムアンマル・カダフィ(Moammar Kadafi)の没落は、高度な兵器で武装したところの、ツアレグ族<(コラム#5021、5024、5075、5283、5318、5377、5397、5413)>の傭兵達を、彼の民兵部隊から、国境を越えてマリへと送り込ませることとなった。
 リビアで土煙が収まった時、この国の北部全体がイスラム過激派とアルカーイダ予備軍(wannabes)の勢力下に入ってしまった。
 そうしたら、先月、軍事介入に係る最初の米国人死傷者が出た。
 J・クリストファー・スティーヴンス(Christopher Stevens)ほか3名の米国人が、ベンガジにおける米国領事館と一か所の隠れ家への攻撃で死んだ。
 それに対する米国の対応は?
 更なる軍事行動だ。
 ワシントンポストによれば、ホワイトハウスは、今やカダフィーの武器庫からの武器で武装しているところの、アルカーイダの北アフリカ地方のテロリスト・ネットワークである「イスラム的マグレブ(Islamic Maghreb)のアルカーイダ」に対する軍事作戦を計画しつつある。
 そして、ニューヨークタイムスによれば、オバマ政権は、リビア当局との共同任務として、恐らく「ドローンによる攻撃とオサマ・ビンラディンを殺害したような特殊作戦による襲撃」等によるところの、(米国大使を殺したと米国が信じている)連中に対する「報復を準備しつつある」。
 <米国がこれを行えば、>更なる<リビアの>不安定化は必至だ。
 我が米国の軍人と文民の政策決定者達に、このような何度でも繰り返されるところの自己破壊的性向があるのはどうしてかは想像がつくというものだ。・・・
 ・・・深く軍事化された思考性向(mind-set)、及びこの思考性向と手を携えているところの全球的画策(maneuvers)が、今では、まさに米国政府において、恒久的に「戦時である」、という生活様式になってしまっている、と見るのが、よりリーズナブルなのだろう。・・・」
4 終わりに
 「17世紀中ごろの英国の信教と革命の時までに、マスケット銃とその小型版であるピストルは、紳士階級の間に広く行き渡るようになった。英国民は、1688年の名誉革命でジェームズ2世を王位から追放した時に抱いていた不満の一つは、国王が英国にカトリック教を復活させようとして、「カトリック教徒が法に反して武装し、登用されているときに、プロテスタントを武装解除させた」ことにあった。1689年、英国の権利章典が制定されたとき、銃を所有する権利は、国民の権利の一つとなったようだ。
 ・・・しかしながら、・・・英国では銃の所有が厳しく規制されていた・・・。武器の所有を認められたのは貴族と紳士階級だけであり、一般市民は武器を携帯する権利を持っていなかった。
 ・・・英国の植民地(新大陸)でも、個人による銃の所有は、比較的制限されていた。しかし、敵対する先住民の脅威があったので、入植者たちは自らの身を守る必要があった。そして開拓が進んだ地域は、職業軍人で構成される正規軍ではなく、民兵に頼っていた。すべての健常な男性は、共同で防衛の任に当たることになっていた。そして地域社会が、武器の貯蔵庫を持ち、それらの武器は、訓練や実際に必要とする際に個人に配られ、使用後は武器庫に戻された。入植地がまばらになり、個人の農場が市街地から遠く離れている場合には、個人的な自衛のため、健常な男性は少なくとも1丁の銃を保持することが必要になった。女性もまた、武器の使用方法を学ぶこともしばしばあった。」
http://aboutusa.japan.usembassy.gov/j/jusaj-govt-rightsof5.html (駐日米国大使館の公式サイトより)
 上記のような史実が示しているのは、米国は、北米植民地であった当初から、渡来した白人達が非白人たる原住民の地を侵略している存在であったことから、恒常的に「戦時」であったということであり、だからこそ、独立後、(白人)住民達の武装権を憲法修正第2条で認めざるをえなかったということです。
 自分達が侵略者であるという原罪意識を米国人の大部分は意識するとしないとにかかわらず抱いているのであり、かかる原罪意識を払拭するためにも、彼らは、米国の例外性、米国人の選民性なる妄想にすがりつかざるをえなかったし、彼らが、フロンティアの延伸という形の領域拡張を重ねざるをえなかったのも、相当程度、自分達の原罪のよってきたるゆえんであるところの、原住民の抹殺ないし完全制圧のためだった、とみてよいのではないでしょうか。
 そして、大部分が、かかる原罪意識・・自分達が悪しき存在であるという意識・・を抱いているからこそ、米国人の多くが、初期においては、母国イギリスのそれよりも甚だしい反産業主義に由来する没落意識を抱き、それが、後に、「非純正白人」たる新しい移民の血が混じることによる没落意識へと変わり、更には、現在の、アジアに対する相対的没落意識へと変わって行った、と考えられるのです。
(完)