太田述正コラム#5991(2013.1.27)
<皆さんとディスカッション(続x1792)>
<コラム#5989の訂正>(ブログは訂正済)
「NYタイムスも、中共当局はオンリの姿勢と報じている。」とそのすぐ後の「↓」の間に下掲を挿入する。
(それにしても、NYタイムスに限らず米英の主要メディアが「日中のナショナリズムの過熱」的な表現を使うのは気になる。日本人は中共当局や中共の一部の輩の言動に呆れ怒ってるだけだし、中共の方だってホントにそうなのか、眉唾もんだわ。)
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<太田>(ツイッターより)
<コラム#5989で>大事なこと書き忘れたー。
アルジェリアでのテロリストも台湾総統の馬英九も、日本が軍事無能力者であって米国の属国であり、他方、宗主国の米国は日本人の命なんて二の次だってこと知ってるから、なめきってやりたい放題のことを日本(人)に対してやってんだぞ。
いい加減、目を覚ましてくれってんだ。
「日本電産の成長を支えた「変人」永守重信社長…」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/01/26/2013012600511.htm、
「「世界最強の電子部品メーカー」日本電産が一転減益…」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/01/26/2013012600517.html
持ち上げといてちょい落とす。
朝鮮日報の日本記事は芸細かい。
<べじたん>
≫となると、誤読はもとより、誤解を回避する見地からも、私が、「人間(じんかん)主義」という言葉を今後とも使うべきかどうか、一考を要する。≪(コラム#5976。太田)
浜口は80年代から間人主義と呼んでいたそうです。
≫「進歩主義の後継ぎはなにか-第1回-
http://center.soken.ac.jp/act/shuppann2009.html
→長そうですね。読むのは勘弁してもらいました。(太田)≪(コラム#5989。太田)
いや、濱口講演P51~P55、質疑応答~P58 だけです。
「・・・これは釈迦に説法のような話ですけれども、人間の細胞の中にあるミトコンドリアというのは本来、発生的に言えば、古いバクテリアが、その進化のプロセスの中で人間の身体の中に入り込んで棲み着いたもので、一つの細胞の中にものすごい数のミトコンドリアがあるわけですね。それが相利共生をして細胞にとってのエネルギーを供給している。そういうふうに、1個の生物有機体といえども、実はその生命はバクテリアとの相利共生によって支えられているという、そういう厳然たる事実があるわけですから、ましてや人と人との間も同じようなものであるだろうと。私はそういうところから、システム理論的に、人間の関係的存在という意味合いで、それを関係体(relatum)という概念で説明しようとしているわけです。
これに対して、欧米人が考えるような主体的な行動を積極的に行おうとする、他の人との関係は一時的に押さえてでも、自分自身の意志を非常に強く貫いて行こうというような存在は、relatum に対して individuum(個別体)と名付けています。私はその違いを明らかにするような作業をしておりました。ただし、文化論的に決定的に両者が異なるということでは決してない。やはりシステム理論的に言えば、relatum のほうが本来的な形態であって、それの一つの特定的な形態が individuum であると思っております。
→間人主義という言葉も、濱口恵俊の著書に出てきたのかなあ、何となく記憶がありますね。
このくだりで濱口が言っていることには基本的に賛成です。
「基本的」というのは、私は日本人は結構個人主義的だと思っているからです。
さもなきゃ、個人主義に立脚しているアングロサクソン文明を、日本が欧州諸社会よりもスムースかつ的確に継受できなかったはずだからです。
ですから、私はindividuumとrelatumの両義性を持つ「人間」という言葉を用いた「人間主義」の方が「間人主義」よりもいいのではないかと思います。
問題は、「人間」を「にんげん」と誤読される恐れと、誤読された上で「人間主義」を「ヒューマニズム」のことだと誤解される恐れをどう考えるか、でしょうね。(太田)
そういうところから、関係体としての人間存在を重んじる考え方を、人間という言葉をひっくり返しまして、「間人(かんじん)主義」と名付け、個々の自立性を尊重する考え方を、従来通り「個人主義」という言葉で呼んでいけばいいだろう。そういうことの実証的な研究として5年ほどの間に世界25 ヵ国、約 8000 人について、どちらの振るまい方、考え方をサポートするかを調査してみましたら、欧米人は従来、個人主義ばかりサポートしてきたと言われておりましたが、それに反して、欧米人のほうが日本人よりも間人主義(contextualism)が、非常に強いという、意外な発見をしたりしております。」
これ、太田さんの興味のあるところだと思いますが、ネットでは見当たりそうにないですね。
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<訂正>
出版されてたようです。
http://www.nichibun.ac.jp/lib/pub/kyodo/18.html
1円からあるようなので是非。
http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/414001833X/ref=dp_olp_used/376-1226924-6250751?ie=UTF8&condition=used
→なんで、べじたんさんはお持ちなんです?(太田)
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「間人主義・個人主義の国際比較調査」「受託研究「関係集約型人間による社会編成原理の研究」報告」
http://ci.nii.ac.jp/author/DA00580782
「・・・ここで登場する人物をもう一度簡単に紹介しておこう。まず濱口氏であるが、いわずと知れた「間人」概念の提唱者であり(濱口,1982など)、「日本らしさ」の本質が、日本人が伝統的にもつ人間関係である「間柄」や自己概念「自分」といった独特のものにあることをかねてより主張してきた日本研究の第一人者である。現在の文化心理学の興隆のひとつの源流ということもできるだろう。次にエイブラムズ教授であるが、英国ブリストル大学のヘンリ・タジフェル(Henri Tajfel)らによって創始された、個人行動から集団間関係までを包括的に扱う理論的視野をもつ社会的アイデンティティ研究の現在のリーダーのひとりである。注意と行動統制の観点をこの分野に導入した功績があるほか(Abrams,1985など)、最近は規範からの逸脱者に対する人の判断・評価を新たな視点から精力的に分析している(Abrams et al.,2000)。学術誌”Group Processes and Intergroup Relations”の創刊者兼編者である。脇役として同席した柿本氏は大阪大学で修士研究を、またケント大学で博士研究をした際にこれら2人からそれぞれ指導を受け、両者のアイデアの連続性に常に関心を抱きつつ今日に至っている。「間人」概念を個人特性として尺度化し(柿本,1995など)、社会的アイデンティティの研究手法を使って日英両国での研究を行ってきた。また安藤氏はエイブラムズ教授の指導の下でケント大学にて修士研究をおこない、日本と英国における組織内行動の文化比較研究のほか(Abrams, Ando, & Hinkle,1998)、シミュレーション・ゲームの手法を用いた多くの集団行動研究を精力的におこなってきている。以上、主役、脇役ともに役者が揃った感があり何が始まるのか、展開が期待されるところである。
さて、話をティーラウンジでの会話に戻そう。先ほどの紅茶の話題およびそれぞれの英国での経験談の交換の後、まず最初に口火を切ったのは濱口氏であった。
〈濱口〉 エイブラムズ先生、ここに昨年カナダのトロントであった国際会議での講演のための原稿(Hamaguchi, 2000)と、1999 年に当時の科学技術庁からの受託研究としておこなった、25の国と地域で約8000人を対象とした調査の報告書があります(濱口,1999)。進呈いたしますのでどうぞご覧下さい。調査報告書の中に、日本人の対人関係・人間観を測定するための個人主義24、間人主義24、計48個の質問項目に対する回答を調査対象者の国別に掲載していますが、例えば図1のダイアグラムにありますように、間人主義項目の回答を見ると、英国人回答者の方が何故か日本人回答者よりも関係性重視の考え方をするようなのです。
〈エイブラムズ〉 ほー、そうですか。例えばどんな項目があるのですか。
(Figure1を用いて例えば項目番号23、39 などをお互い確認しあう)
<http://chikyuza.net/modules/news2/article.php?storyid=81
の「資料はこちらのPDFにすべて納められております。」で、質問項目や分析結果が見れます。>
〈濱口〉 この傾向は英国人回答者に限らず、ヨーロッパの多くの国で一般にみられる傾向のようです。これは一体何故だと考えられますか。お考えを聞かせてもらえますか。
〈エイブラムズ〉 大変興味深い結果ですね。一つには反応バイアスということが考えられますね。
〈柿本〉 英国人たちは回答するとき、より一層どんな回答が相応しいかを考えて答えたというような社会的望ましさのことですか。
〈濱口〉 調査の目的は明らかにせず、またどの項目が個人主義、間人主義であるかを知らせずに回答してもらっているため、そういう可能性は低いと思います。
〈エイブラムズ〉 いや社会的望ましさということよりももっと興味深いのは、例えば英国人が人との関係を問う質問項目をみて答えるときに誰を思い浮かべるかということです。英国人はもしかしたら日本人よりも多くの所属集団に属していて、またいろいろな社会的場面に遭遇しているため、いろいろな場面を容易に思い浮かべやすい。それで例えば「(23)困ったときにもきっとだれかが助けてくれるものだ」という意見に対して、ある時に叔父さんから助けられたときのことを思い出して「うん、そうだな。確かに誰かが助けてくれるものだな。」と判断し、また別の「(39)喜びだけでなく悲しみも分かち合えるのが、仲間との理想的な関係である。」という意見に対して、親しい友人たちとの関係を思い浮かべながら「うん、確かにその通りだな。」と賛成するということが起こる可能性があります。これに対して日本人はどちらかというと質問への回答時に思い浮かべる人が決まっていて、ごく身近な人だけを想定して回答するのかも知れない。それは日本人の人づきあいにありがちな比較的限られた数の人との人間関係のあり方が反映されるからかも知れない。この場合には結果的に、日本人が賛成する質問項目の数が少なくなるということが起こる可能性があります。
〈濱口〉 面白い見方ですね。
〈柿本〉 理論的な意味でも日本文化における人間関係のあり方と結びつけた仮説になっていて、興味深いですね。
〈エイブラムズ〉 この仮説はそれほどたいそうな研究計画でなくても検証することができますよ。3つの条件を設定し、最初の条件ではごく普通の教示のもとにこの質問紙に回答してもらいます。2つ目の条件では回答前に「できるだけ多くの人を思い浮かべて回答して下さい」と教示する。3つ目の条件では回答前に「ごく身近な人を思い浮かべて回答して下さい」と教示する。この3つの条件での調査を日本と英国の両方でおこなうのです。そうすればこの調査報告書の結果のパターンが、日本人と、英国人をはじめとする西洋人の回答時に想定する「人」の違いからくるのかどうかを確かめることができます。各条件50人ずつの回答者で日英両国から150 人ずつ合計300 人からの回答を集めればよいでしょう。
〈柿本〉 なるほど簡単なデザインで先ほどの仮説は検討できますね。日英双方で実際に調査してみると面白いですね。ところでこの仮説で思い出したのは、アッシュの同調性の実験を日本で追試したところ日本人の方が同調率が低くなったという結果です。エイブラムズ教授の仮説はその時の結果の解釈に似ています。つまり同調実験の実験状況では、被験者にとって他の被験者は赤の他人ばかりだから、日本人の同調性の根拠になる特定集団の諸成員との関係からなる行動パターンが現れないというものです。
〈安藤〉 その話には続きがあって、”Social psychology across cultures”というサセックス大学のSmith教授らの著書にそれが載っています(Smith and Bond,1999)。つまりお互い親しい人同士を被験者として選んだ場合には、知らない者どうしで実験を行った場合よりも日本人の被験者で一層、同調率が高くなったというものです。
〈柿本〉 しかし考えてみると同調性は集団主義との関係でよく語られますね。そうすると間人主義との関わりは弱いのではないでしょうか。1)
〈エイブラムズ〉 いえ、私たちの立場からいえば、同調性は集団内の個々人との関係性から成り立ちます。ですからこれらの同調実験の結果は私の先ほどの仮説を補強する材料になると思います。日本と西洋では質問紙の回答時に誰を想定して回答するかが違っていて、それはそれぞれでの人間関係のあり方と関わっているという仮説です。・・・」
http://syasin.hus.osaka-u.ac.jp/jjisp/001/kakimoto.html
→この議論、かみ合っているようで、かみ合っていないのではないか、という気がします。(まさか、英語を使ったからそうなったのではないのでしょうが・・。)
この種の実験結果についての私の仮説は、欧米の人々は、自分の属するところの、家族、クラブ(イギリスの場合)、階級(欧州諸社会の場合)に属する他人を思い浮かべるのに対し、日本人は、他人一般を思い浮かべる、というものです。
仮に欧米人に対して、他人一般を思い浮かばせた上で同じ実験を行えば、日本人の場合よりも人間(じんかん)性が低く現われるはずだ、と思うのです。(太田)
≫ 西修センセ、典拠は?びっくりしちまってイスからズリおちそうになったでー。「自国と密接な関係にある国に対する」はナイでしょ。↓
「・・・集団的自衛権とは一般に、自国と密接な関係にある国に対する武力攻撃を自国に対する武力攻撃とみなして被攻撃国を支援し、共同で防衛する権利をいうとされている。・・・」≪(コラム#5979。太田)
ところで、これ、どこがおかしいのでしょうか?
「集団的自衛権とは、基本的に「他の国家が武力攻撃を受けた場合、これと密接な関係にある国家が被攻撃国を援助し、共同してその防衛にあたる権利」(6)を意味する。そして、集団的自衛権の解釈は、次の三つに大別される(7)。
1. 集団的自衛権は、一国に対する武力攻撃が行われることによって、他の諸国も各自の個別的自衛権を共同して行使する、又は地域的安全保障に基づいて共通の危険に対処するための共同行動をとるか、いずれかの場合とする定義である(個別的自衛権共同行使説)。
2. 集団的自衛権は、自国と密接な関係にある他国に対する攻撃を、自国に対する攻撃とみなし、自国の実体的権利が侵されたとして、他国を守るために防衛行動をとる権利であるとする考え方である(個別的自衛権合理的拡大説)(8)。
3. 集団的自衛権とは、他国の武力攻撃に対して、自国の実体的権利が侵されていなくとも平和及び安全に関する一般的利益や被攻撃国の国際法上の権利(領土保全・独立等)を守るために被攻撃国の自衛行動を支援する権利であるとする考え方である(他国防衛説)。
このうち、我が国の政府は、個別的自衛権合理的拡大説を採っている(9)。
我が国の政府は、後述するように、我が国は独立国である以上、こうした集団的自衛権を保有することは当然であるが、集団的自衛権の行使は、日本国憲法第9条下で許容される実力の行使の範囲を超えるものであり、許されないとの立場を採っている。」
http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/refer/pdf/073002.pdf
→関心のある方にもっと調べていただいて、どこか間違っていないかを検証して欲しいのですが、私の考えはこうです。
まず、私は、国際法は、地理的意味での欧州の君主(sovereign)間をどう律するかを基本的には個人間を律するところの、(国内)法の一般原則を援用する形で整備されていった、と考えています。
このことは自衛(国際法)/防衛(一般法)についてもあてはまる、と考えるわけです。
実際、例えば、英語では、「自衛」も「防衛」も「self-defence」であって、全く同じ言葉です。
http://ejje.weblio.jp/content/%E8%87%AA%E8%A1%9B
http://ejje.weblio.jp/content/%E6%AD%A3%E5%BD%93%E9%98%B2%E8%A1%9B
「防衛」が正当(legitimate)なものとみなされる要件は何か。
それは、「正当防衛(せいとうぼうえい)とは、急迫不正の侵害に対し、自分または他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした」場合
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%BD%93%E9%98%B2%E8%A1%9B
です。自分と「密接な関係にある」他人を守るといった限定など、どこにも見当たりません。
つまり、お示しの外務省サイトがいう、「個別的自衛権合理的拡大説」なんてものはありえないのであって、「他国防衛説」しかありえない、と私は思うのです。
(なお、「個別的自衛権共同行使説」なるものについては、そもそも理解不能です。国連憲章によって創設された「集団的安全保障」のことを指しているのでしょうか。)
ちなみに、私は、おおむね、同じような話を拙著『防衛庁再生宣言』で既に行っているところです。(太田)
<雲谷斎 雪隠>
<コラム#5751>「皆さんとディスカッション(続x1678)/映画音楽で読み解く20世紀」<を読み>ました。
http://blog.ohtan.net/archives/52149375.html#comments
「口笛ふいて」は「ボギー大佐」の名前のほうが有名ですね。
ボギー大佐というのは軍人ではなく、作曲家のK・アルフォード氏の友人でゴルフが大好きなのになかなか上達しない人がいて、「カーネル・ボギー」という愛称で親しまれていたそうです。
その友人に贈った曲がこの曲だと言われてます。
たぶん作詞された中原光夫さんも、その辺の事情を知っていたのでしょう。
だから軍隊のうたとも取れるし、事情を知っていればゴルフコースを廻っているときのうたにも取れます。
さあ みんな行こう
手をつなぐ仲間
野を越えて山越えて
響け口笛
いざ 進め丘を
どこまでも進め
雲流れ空晴れて
心はずむよ
さあ みんな行こう
肩寄せる仲間
そよ風に声そよぐ
若い歌声
いざ 腕を伸ばせ
この若い力
日を浴びて汗流せ
楽しこの日よ
<太田>
「完全には聞き取れませんでした。どなたか「完成」してください。」(コラム#5751)という私の呼びかけに応えていただき、ありがとうございました。
<Qg/ZQTRz0>(「たった一人の反乱」より)
移民政策を推し進めた結果ヨーロッパはどうなったか?
http://blog.livedoor.jp/zzcj/archives/51810671.html
こんな事は初めから解りきっていただろうに。
移民政策など百害あって一利なし、それでも移民させなければいけないと言うのなら
せめて常識の通用する一定以上の教育を受けた人間に限定すべき。
<太田>
過去の太田コラムを読んだ上で、新たな問題提起をして欲しいね。
欧州での移民問題は、イスラム教徒移民を大量に受け入れたからだ、と何度も指摘してきたところだぜ。
それでは、その他の記事の紹介です。
産経新聞は悲愴がってるけど、(米国に)恫喝されて震え上がってるの中共当局の側なの!↓
「習・山口会談 恫喝の下では対話できぬ・・・」
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130127/plc13012703080003-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130127/plc13012703050001-n1.htm
日本の主要メディアの電子版も、こんな風にアルジェリアでのテロ犠牲者達を、自国だけじゃなく、全体が分かる記事をもっと載せるべきだ。↓
http://www.guardian.co.uk/world/2013/jan/25/algeria-hostage-crisis-death-toll
フランスのアルジェリア植民地化の暴虐性が描かれている。↓
<欧米諸国によるアラブの国の植民地化の最初の事例。見物船を繰り出して行われた。↓>
・・・The French invaded Algeria in 1830. This was the first colonisation of an Arab country since the days of the Crusades and it came as a great shock to the Arab nation. This first battle for Algiers was a staged affair. Pleasure ships sailed from Marseille to watch the bombardment and the beach landings. The Arab corpses that lay strewn in the streets and along the coastline were no more than incidental colour to the Parisian spectator watching the slaughter through opera glasses from the deck of his cruise ship.・・・
<アルジェリアの原住民は、フランス人に追い立てられたところの、存在してない物として扱われた。↓>
Muslim villages were destroyed and whole populations forced to move to accommodate European farms and industry. ・・・the native Algerians, who had no nationality under French law, did not officially exist.・・・
http://www.guardian.co.uk/world/2013/jan/27/algeria-france-colonial-past-islam
後数日で、マリ全土がフランス/マリ軍によって回復される見込み。↓
http://www.guardian.co.uk/world/2013/jan/25/malian-government-war-over-days
時あたかも、ミャンマーでは、キリスト教徒たるカチン族の事実上の自治区・・50年間存続して来た・・が粉砕されようとしている。↓
・・・Kachin rebels have lost the last major stronghold protecting their headquarters in Laiza, sparking fears that the town — under rebel control for the past 50 years — may soon fall to government troops and force refugees into China.・・・
<ミャンマー軍は、20年近くの事実上の休戦を破って2011年7月に「開戦」。↓>
The conflict — which resumed in July 2011 after nearly 20 years of peace between rebels and the government — has cast a shadow over Burma’s apparent attempts at reform. The Kachin, a Christian-majority group in Buddhist-majority Burma, are the only ethnic minority yet to sign a ceasefire agreement with President Thein Sein — who has instituted a series of economic and political reforms since coming to power in 2011 — as they say they have long been oppressed by the Burmese government and want the right to self-rule.
<タイン・セイン大統領の宥和的意向は軍部によって何度となく無視されてきた。↓>
Although Thein Sein said last week that Laiza would not be taken by Burmese troops, many Kachin believe it unlikely that the army — which has blatantly ignored Thein Sein’s calls for ceasefires in the past — would uphold that promise.・・・
http://www.guardian.co.uk/world/2013/jan/27/burmese-take-kachin-outpost
ニール・ファーガソンが安倍政権の「円安政策」を全面的に擁護する論陣を張った。↓http://www.ft.com/intl/cms/s/0/cdc80aa0-6638-11e2-b967-00144feab49a.html#axzz2J9IWhxAH
ワシントンポストが日本の給食小特集をやっていた。↓
<けちょんけちょんに日本の給食をけなす投稿が載ってけどね。↓>
http://www.washingtonpost.com/world/on-japans-school-lunch-menu-a-healthy-meal-made-from-scratch/2013/01/26/5f31d208-63a2-11e2-85f5-a8a9228e55e7_story.html?hpid=z1
<日米の給食メニューの比較表だ。↓>
http://www.washingtonpost.com/wp-srv/special/world/japanese-school-lunch/index.html
<日本の給食の写真集だ。↓>
2013/01/25/e4aee4e4-6662-11e2-85f5-a8a9228e55e7_gallery.html#photo=1
仮にこれが実用化したら、私も髪の毛ふさふさにすべきだろうか。↓
「iPS細胞から「毛包」 脱毛の治療・育毛剤開発に光・・・」
http://digital.asahi.com/articles/TKY201301260058.html?ref=comkiji_txt_end_kjid_TKY201301260058
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<太田>
本日もまた、iPhone5騒動記でお目を汚させていただきます。
昨夜、風呂場で、初めてYoutubeの初期画面に出て来る演目ではなく、検索をかけて選んだ演目に聴き入った。
「ユリアフィッシャー」と音声入力したところ、彼女の演奏が3曲表示され、「カンパネラ」にしたが、スマホの便利さに改めて感じ入った。
本日朝、やったのは以下の通り。
http://support.apple.com/kb/HT4623?viewlocale=ja_JP
を見ながら、スマホをパソコンとつなぎ、パソコン上でiTunesを起動してスマホのシステムのバックアップを取った。
これで、今後、スマホが壊れたと思ったら、パソコンとつないでシステムの復元を試みることができるようになった。
次いで、
http://www.ipodwave.com/iphone/howto/app_start.html#e
を参照しつつ、間違ってインストールしていた「TVチューナー」(ソフトバンク製アプリ)をアンインストールした。
更に、
https://play.google.com/store/apps/details?id=com.google.android.voicesearch
を見て、Googleに「音声検索」をインストールしようとしたが、(Googleをインストールしてあったことに伴い(?)、この機能は)既にインストールされていた。
そこで、さっそく音声検索・・西馬込からxxへ・・でもって乗換案内をやってみたが、出発時間等の指定はできないので、「乗換NAVITIME」の代替にまではならないことが判明した。
今度は、「アップルマップ」の現在位置(私の住所)の訂正を行った。
その際、「Googleマップ」がどうなっているのか気になったところ、やはり、既にインストールされていることが分かった。(アイコンはないので、入力して起動する。)
しかし、「ストリートビュー」の利用の仕方が分からなかった。
(そもそも、パソコン上での「ストリートビュー」の利用の仕方すら余り分かっていない私にとっては敷居が高すぎた。)
なお、手帳アプリ(有料)のインストールも考えていたけれど、スマホに最初から入っている「カレンダー」をチェックした結果、それだけで十分だと思った。
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太田述正コラム#5992(2013.1.27)
<米国前史(その1)>
→非公開
東洋大学国際地域学部の西川吉光教授 (1978年防衛庁入庁)
http://www.rds.toyo.ac.jp/~nishikwa/
http://www.sbrain.co.jp/keyperson/K-5636.htm
の論文には、集団的自衛権の根拠である、他人のための正当防衛権についてつぎの様な記述があります。
『国内法の正当防衛の観念は、国によって異なり、特に英米法では、他人のための正当防衛は、保護者、近親者に限定されている』
http://rdarc.rds.toyo.ac.jp/webdav/frds/public/kiyou/0708/tiiki/0803/nisikawa.pdf
集団的自衛を「自国と密接な関係にある国」に対する武力攻撃からの防衛と解するのは、ひょっとすると英米法的な解釈かもしれません。