太田述正コラム#5806(2012.10.26)
<米国論再訪(続)(その1)>(2013.2.10公開)
1 始めに
 米国が共和党支持州(レッド・ステート=赤い州)と民主党支持州(ブルー・ステート=青い州)に分かれていることはご承知のとおりですが、どうしてそうなのか、をハーヴァード大心理学教授のスティーヴン・ピンカー(Steven Pinker)(コラム#1117、5031、5039、5041、5055、5069、5091、5561)が解明を試みている
http://opinionator.blogs.nytimes.com/2012/10/24/why-are-states-so-red-and-blue/?ref=opinion
(10月25日アクセス)ので、ご紹介しておきたいと思います。
2 米国における赤い州と青い州
 「・・・ざっくり言って、南部と西部の砂漠と山地の諸州は、攻撃的な軍、公共生活における宗教の役割、自由放任的経済諸政策、銃器の個人所有とその使用についての規制の弱さ、規制緩和と減税、伝統的家族の安定(valorization)、を訴える候補者に票を投じるだろう。
 北東と大部分の沿岸諸州は、国際的協力と国際的関与、世俗主義と科学、銃規制、文化と性意識(sexuality)における個人的<意思決定の>自由、そして環境の保護と経済的平等性の確保のための政府のより大きな役割、とより密接に提携関係にある候補者に票を投じるだろう。・・・
 経済学者のトマス・ソウェル(Thomas Sowel)<(注1)>とタイム誌のコラムニストのディヴィッド・ブルックス(David Brooks)<(注2)(コラム#3423、3949、4411)>のような保守的思想家は、政治的右派は、人間の本性について悲劇的な見方を抱いている、と記した。
 (注1)1930年~。米国の経済学者、釈迦理論家、政治哲学者、著述家。リバタリアン。黒人で恵まれない環境で育ち、海兵隊勤務を経てハワード大学夜学部入学、成績優秀によりハーヴァード大に移り、卒業。コロンビア大修士、シカゴ大博士(経済学)。様々な大学で教鞭をとった後、スタンフォード大フーヴァー研究所シニア・フェロー。
http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Sowell
 (注2)1961年~。記者歴等を経て現在NYタイムスのコラムニスト、等。シカゴ大卒。
http://en.wikipedia.org/wiki/David_Brooks_(journalist)
 すなわち、人々には、道徳性、知識、及び理性において、恒久的に限界があるというのだ。
 人間というものは、永続的に攻撃性へと誘(いざな)われており、その発露は、自分達自身を防衛する決意を持った市民達からなる強力な軍と過酷な刑事罰の可能性によってのみ、抑止されうる、と。
 経済全体の管理については、それを行いうるほど賢明で知識ある中央計画者はいないので、希少性と豊富性についての情報が、彼らが<互いに>交渉して決める諸価格を通じて間接的にやりとりされる何億人ものネットワーク中にちりばめらているところの、市場の見えない手にゆだねた方が良い、と。
 人間は、いつも野蛮へと退化する危険性があるので、我々は、どうしてそうでなければならないのかを明確に述べることが誰もできなかったとしても、我々の内在的諸欠点に対する歴史の検証を経たもの(workarounds)である以上、性意識に係る諸慣習、<そして、>宗教と社会的作法(public propriety)、を尊重しなければならない、と。
 <これに対して、政治的>左派は、ユートピア的見方を抱いており、人間の本性の可塑性を強調し、諸慣習を顕微鏡的に調べあげ、より良い社会のための合理的諸計画をはっきりと述べ、公的諸機関を通じてこの諸計画を実行することを追求する。・・・
 しかし、<このような>理論は、右翼と左翼の思考傾向が、それぞれどうしてそのような集合体をなしているのかを説明するのには役に立つけれど、<それだけでは、>どうして<それぞれのかかる>思考傾向が地理と結びついているのかを説明できない。
 歴史学者のデイヴィッド・ハケット・フィッシャー(David Hackett Fischer)<(注3)(コラム#510)>は、この<二つへの>分断を植民地時代のアメリカにまで遡って追跡する。
 (注3)1935年~。プリンストン大学士、ジョンズホプキンス大博士。ブランダイス大学の歴史学教授でピュリッツァー賞受賞歴あり。
http://en.wikipedia.org/wiki/David_Hackett_Fischer

 北部はおおむねイギリスの農民達によって入植されたのに対し、内陸の南部はスコッツ=アイリッシュ(Scots-Irish)の牛馬飼い達(herders)によって入植された。
 人類学者達は、厳しい(rugged)土地において家畜を飼う諸社会は、「名誉(honor)の文化」を発展させる傾向がある、と記してきた。
 財産に脚がついているため、一瞬のうちにそれを盗まれかねないため、彼らは、牛馬泥棒を抑止するために、彼らの決意のほどを探るいかなる侵入であれ、侮辱であれ、それらに対して、暴力的報復への触発性を育まざるをえなかった。
 <他方、>農民達は、より戦闘的でなくても足りた。
 というのは、とりわけ法の執行部局から近い諸地域においては、彼らの土地を彼らから盗むことは、より困難だったからだ。
→私が以前に(コラム#5778で)指摘したところの、北部人であれ南部人であれ、おしなべて原住民たるインディアンの地への侵略者であり、常にインディアンの潜在的・顕在的敵意に直面していて、彼らとの間でいわば恒常的に戦争状態にあったが故に「暴力的」たらざるをえなかった、という事実を捨象した主張である、と思います。
 すなわち、北部人と南部人の違いは、程度の差でしかない、ということです。
 (南部人の場合、これも触れられていなけれど、黒人奴隷の潜在的敵意に直面し続けた、ということも忘れてはならないでしょう。)(太田)
 これらの入植者達が西方に移動する際に、彼らはそれぞれの文化を一緒に持って行った。
 心理学者のリチャード・ニスベット(Richard Nisbett)<(注4)(コラム#3662)>は、今日の南部人達が、暴力的報復を正当化するところの、名誉の文化を標榜し続けていることを示した。
 (注4)1941年~。コロンビア大博士。ミシガン大社会心理学教授。
http://en.wikipedia.org/wiki/Richard_E._Nisbett
 それは、彼らの諸法・・例えば、死刑や正当防衛のためには相手を殺してよいとする権利(stand-your-ground right to self-defense)・・、彼らの諸慣習・・例えば、学校での子供達の尻叩き(paddling)や軍役への志願・・、更には、ささいな侮辱への生理学的諸反応といった形でさえ、見られるところだ。
(続く)