太田述正コラム#5808(2012.10.27)
<米国論再訪(続)(その2)>(2013.2.11公開)
確かに、今日の南部人と西部人が、羊飼いだったご先祖様の文化的記憶を背負っていること、を信じろと言われても首をかしげてしまうことだろう。
しかし、家畜飼いの職業そのものというよりは、無政府状態(anarchy)の中で生きることによって名誉の文化が育まれたのかもしれない。
<そもそも、>全ての社会はホッブスによって指摘された有名なジレンマに対処しなければならない。
すなわち、政府が存在しなければ、人々は貪欲、恐れ、そして復讐のために互いに攻撃し合いがちになる。
欧州の諸社会は、何世紀にもわたって、国王達が、互いに相争う騎士達によって荒らされた封土群からなる中世的なつぎはぎの地の上に法と秩序をを押し付けることでもってこの問題を解決した。
その幸福な結果は、中世から現在にかけて、35分の1に減った、彼らの殺人率だ。
ひとたび君主達が人々を平和化(pacify)すると、人々は今度は君主達に手綱をつけなければならなかった。
君主達は、恣意的な勅令群とおぞましい公開(public)拷問・処刑によって平和を維持してきたからだ。
理性と啓蒙の時代から始まったことだが、諸政府は、民主的諸手続き、人道的諸改革、そして諸人権の保護、を実施することを強いられた。
最初の北米への入植者達が沿岸及び他の入植地域から<更に奥地へと>乗り出した時、彼らは、無政府状態の中に自分達自身が再びいることを発見したのだ。・・・
一番近い保安官の所まで90マイル離れているかもしれないとなれば、男は、自分自身を火器とタフであるとの評判でもって防衛せざるをえなかった。・・・
<しかし、>より多くの女性が西方にやってくると、彼女達は、この粗暴な入植地の担当となった役人達の下の治安部隊とともに、この地で発見したところの、喧嘩、大酒飲み、女買いの生活様式を終わらせるために尽力した。
彼女達は、男女共同加盟、節制を旨とする諸規範、そして日曜朝の勤行(discipline)を伴うところの、教会が<自分達の>生来的同盟者であることを発見した。
政府が西部に対するコントロールを固めるに至る・・米国の無政府状態の終焉を画した「フロンティアの閉鎖」が<今から>1世紀ちょっと前であったことを思い起こして欲しい・・と、男性的名誉を通じた自己防衛の諸規範、そして、女性と教会による乱暴で無法な行為の抑制、とが根を下ろした。
では、安定的な政府が到着したというのに、政府の定義そのものであるところの、<(政府による)>暴力の独占が当然である、ということに、どうしてならなかったのだろうか。
歴史家のピーテル・シュピーレンブルグ(Pieter Spierenburg)<(注5)(コラム#3590)>は、「民主主義が米国に早くやって来過ぎた」、つまり、政府がその市民達の武装を解除するより前に<民主主義がやってきてしまった>、ことを示唆した。・・・
(注5)1948年~。オランダ人。アムステルダム大学学士・博士。エラスムス大学刑事史教授。
http://www.norberteliasfoundation.nl/network/profile.php?profId=3
この自警団的(vigilante)正義の不幸な結果は、米国の殺人率が欧州諸国のそれらよりもはるかに高いことであり、南部におけるそれらが北部におけるそれらより高いことなのだ。
仮に以上のような歴史<認識>が正しいとすれば、米国の政治的分断が生じたのは、人間の本性に関する違った概念というよりは、人間の本性を飼い馴らすにはどうするのが一番良いかについての違いに由来するのかもしれない。
北部と沿岸は欧州の延長であって、中世以来、次第に勢いが募ってきていたところの、政府によって駆動された文明化プロセスが継続した。
<それに対し、>南部と西部では、成長を続ける国における無政府的諸地域の中から出現したところの、彼ら自身の教会、家族、そして節制という文明化諸力によってやわらげられた名誉の文化、を維持した<、ということだろう>。
3 終わりに
ピンカー自身が認めているように、米国の共和党支持州と民主党支持州の違いは、米国の中のコップの中の争いならぬ違いに外ならないのであって、全球的標準で見れば、その暴力志向性、ひいては国際場裡における武力行使志向性において、また、市場原理主義志向性おいて、はたまた宗教原理主義志向性において、米国は極めて異常な国なのです。
(完)
米国論再訪(続)(その2)
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