太田述正コラム#5834(2012.11.9)
<ジェファーソンの醜さ(その3)>(2013.2.24公開)
(2)批判的書評
この本に対する書評には、好意的なものが多いのですが、例外的に批判的な書評が2つあったので、その紹介を最初に済ませておきましょう。
興味深いのは、どちらの書評子も、ジェファーソンについての女性研究者であることであり、更に興味深いのは、そのうちの一人は黒人たるゴードン=リード女史であることです。(この二人のプロフィールは前出。)
では、白人の女性研究者の方からです。
最初に、彼女が、ウィーンセックの本の書き出しを問題にし、彼が、ヴァージニア州のジェファーソンの邸宅が山の上にあるとしつつ、そこに雨が降っている描写を続けていることを取り上げ、山の上にあるのなら(雲の上なのだから?)雨は降らないだろうに、ウィーンセックは、実際にこの邸宅を訪れたことがあるのだろうか、的なことを記しているのには呆れました。
山の上にあったとしても、雨が降って全くおかしくはないからです。
ことほどさように、彼女は、彼に対してひたすら悪罵を投げつけている、というおもむきがあります。
以下、それ以外の箇所からです。
「・・・<ウィーンセック>は、例えば、このような歴史学者達を仰天させるような記述を行っている。
すなわち、彼は、米革命の直後に、「ヴァージニアでは奴隷制の継続を非合法化するに近いところまで行った」というのだ。
彼は、最近の何冊かの本をそこで<典拠として>引用しているが、そのいずれにも、そんな話は出てこない。・・・
→当時、ヴァージニアで奴隷制の存廃に関する議論が行われたのか行われなかったのか、行われたとして、奴隷制廃止論者の方が存続論者に比べて多数だったのか否か、を歴史学者らしく、彼女は記すべきでした。(太田)
ウィーンセックは、ジェファーソンが1792年に記したものを発見したと称し、大騒ぎをしている。
「ジェファーソンは、黒人の児童が生まれることで毎年4%の利益をあげている<と記している>」と。
しかし、ジェファーソンは、<自分の邸宅の所在地たる>モンティセロ(Monticello)での利益を計算したのではなかった。
自分の家と会計書類から遠く離れていた<首都ワシントンにいた>ことから、彼は、「絶対的に信頼できる営みとしてではなく、あるヴァージニアの荘園(estate)があげる利益の一試算に係る論考として、思い切った計算をやってみた」と述べている。
ジェファーソンが、自分の帳簿類を開いてみたのか、単に封筒の裏で計算をしたのか、は大差ない?
<いや、>ウィーンセックが、同一段落の中で、1792年にジェファーソンが自分の大農園(plantation)からの実際の利益を報じている、と6回も執拗に繰り返している以上は<、大差がある、と言わざるをえない。>・・・
→ここも難癖を付けているとしか言いようがありません。
ジェファーソンは、奴隷による農園経営の専門家だったのですから、自分の会計書類を参照するまでもなく、自分の農園に係る記憶に基づいてあらあらの計算ができた、と考えるべきでしょう。(太田)
・・・<また、>ウィーンセックは、ジェファーソンが、「しかし、<人々の>関心(interest)は、現に道徳性の側に傾きつつある。奴隷の価値は日々減少しつつある一方で、奴隷が奴隷主にかける負担は日々増大しつつある。関心は、従って、正義への傾向を準備しつつある。そして、この準備は、奴隷達の叛乱的精神によって時々煽られることになるだろう。」という部分を<わざわざ>はずして<引用を行っている。>・・・
<更に、>ウィーンセックは、<別の>文章の以下のような後半部分であるところの、「まるで我々が奴隷制の擁護者であるかのよう<に批判する者がいるが、かかる>長広舌をぶつ人々が誠実であるならば、奴隷制廃止が困難な本当の諸理由を正視しつつ、彼らの間での協議と我々の間での協議とを統合して奴隷制を廃止する合理的にして実行可能な計画を練り上げるべきだ。」を<あえて>除いて引用している。
<ジェファーソンの奴隷制廃止への思いが本物であったことの>よりもっともらしい証拠は、彼によってなされたところの、もう一人の南部人への主張だ。
「米国の奴隷は、イギリスの労働者と「浮浪人(labor less)」よりもよい食事と衣服が与えられている」と言った後で、ジェファーソンはこう続けている。
しかし、「私を誤解しないで欲しい。私は奴隷制を擁護などしていない。私は、もう一つの国が同じような悪いことを自国の臣民達に行っていることでもって、我々が外国の人々に対して犯している悪いことを正当化しようというのではない。その反対であり、この道徳的かつ政治的堕落(depravity)のありとあらゆる痕跡を根絶するための実行可能な計画に対して犠牲を払う用意がないなどということは全くない。」と。・・・
もとより、ジェファーソンが、彼が、奴隷制は「道徳的かつ政治的堕落」であると非難(decry)しつつ、自分の奴隷の労働によってぬくぬくと生活していたことは議論の余地がない。
我々は、これをいくつもの言い方で形容することができる。
そのうちの一つは、とりわけ奴隷達にとってだが、同時に国家にとっても、悲劇<だったと形容することだ。>
もう一つは、逆説<だったと形容すること>だが、それではいささか複雑過ぎるかもしれない。
だから、私は簡単に次のように形容したい。
この本よりはるかに良いいくつかの本がモンティセロにおける奴隷制について既に書かれており、それらは、あなたをばか笑いさせる代わりに涙にくれさせる、と。」(F)
→ここも、完全にためにする議論です。
この書評子ご指定の箇所こそ引用していないかもしれないけれど、ジェファーソンによる、自分が奴隷制廃止論者である旨だけを端的に述べた史料が、後出からも明らかなようにいくらでもあってそれらから適宜ウィーンセックは引用しているのですからね。
一つおおむねはっきりしたことは、(この書評子についてはウィキペディアもないことから、彼女の書いたジェファーソン本のトーンが分からなかったところ、)この書評子が、ウィーンセックのように、ジェファーソンを偽善者と見るどころか、ジェファーソンの大ファンであるため、そんなウィーンセックに怒っているらしい、ということです。(太田)
次に、黒人の女性研究者の方です。
「・・・この本に登場する重要な話は、既に他の人々によって語られてきたものばかりだ。・・・
→一次資料を「発掘」せずして書かれた歴史書が愚著だ、ということには必ずしもなりません。(太田)
引用されている「4%」話は、ワシントンの内閣の一員として勤務していた時に、ジェファーソンが、自由労働と奴隷労働とを比較して欲しいとの要請に応えたところの、「ジョージ・ワシントン宛てのアーサー・ヤング(Arthur Young)の手紙への脚注」からとられたものだ。
ジェファーソンは、数えたり計算したりするのが大好きであり、「ヴァージニアの方式による」奴隷労働の「使用についての計算」に加わったものだ。
「<不慮の>死亡による損失はないものとする」との記述は、彼が、モンティセロにおける政策について述べているのではなく、奴隷労働の価値をどう産出するかの計算に用いる諸変数を説明していることを示している。・・・」(C)
→白人の女性研究者のところで、既にこの論点は取り上げました。
ところで、ゴードン=リードが、前出のようなヘミングス観を抱くに至ったのは、自分自身の姿をヘミングスの中に見出したからではないかと想像されます。
すなわち、白人に愛されている(知力において傑出している)黒人女性たる自分に対するに、白人に愛された(容姿において傑出していたと思われる)黒人女性たるヘミングス、というわけです。
ところが、後出のように、ウィーンセックが、このようなヘミングス観を破壊する新たなヘミングス観を提示したために、ゴードン=リードもまた、この書評を通じて、ウィーンセックに対して、このような形で不快感を表明せざるを得なかった、ということでしょう。(太田)
(続く)
ジェファーソンの醜さ(その3)
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