太田述正コラム#5844(2012.11.14)
<ジェファーソンの醜さ(その8)>(2013.3.1公開)
(5)伝統的なジェファーソン弁護論
→そもそも、ゴードン=リードの抱いているような(奴隷に係る)ジェファーソン観の原点が何かが分かるのが、以下です。
「・・・1941年のジェファーソンの「若い大人」(12~16歳)向けの伝記の中で、その著者は、「<ジェファーソンの>この蜂の巣のような工場群においては、不協和音も罵詈も入り込む余地はなかった。彼らの主人の指示の下で働いていた黒い輝く顔々には、不満の兆候は見られなかった…女性達は仕事をしながら歌い、働けるほど大きくなった児童達は、のんびりと釘をつくったが、時々いたずらができるくらいしか働く必要はなかった。」と記した。
「より素朴な(simpler)時代」のばかばかしい(sappy)散文の誤解を嘲るのは公正でないと思うかもしれないが、この本、『鷲のやり方(The Way of an Eagle)』や同じ類の数百冊の本が、奴隷制及びアフリカ系米国人に関する何世代にもわたる読者達の態度を形成したのだ。
タイム誌は、これを児童文学の分野における1941年の「重要な本」の1冊に選び、1961年には、それが『トーマス・ジェファーソン–自由と人権のための闘士(Thomas Jefferson: Fighter for Freedom and Human Rights)』と題して再版され、米国の諸図書館において第二の生活を送ることになった。・・・」(G)
(6)ジェファーソンと「黒人」「情婦」
「・・・<ジェファーソン>の奴隷達は、当時の<ジェファーソン以外の>他の家産(properties)における奴隷達と同様、ジェファーソンによる、その潜在能力、本性、あてがわれる仕事、そしてジェファーソンとの関係、に係る評価に立脚した一種の階統の形に整序されていた。
「関係」というのは、文字通りの意味であって、ジェファーソンの奴隷の多くは、彼の妻であるマーサ(Martha)と血縁上のつながりを持っていた。
この関係は、ジェファーソンの岳父のトーマス・ウェイルズ(Thomas Wayles)とその奴隷の1人であったベティ・ヘミングスとの情交関係(liaison)に起源を有する。
この関係から何名もの子供達が生まれ、ウェイルズが亡くなると、その全員が、ベティともども、ジェファーソンの財産になった。
この子供達の1人がサリー・ヘミングスであり、ジェファーソンは、彼女と、マーサ・ジェファーソンが亡くなって長く経ってから、親密となった、とウィーンセックや他の多くの人々は信じている。
本件については、近年において多大な関心が向けられており、本当にジェファーソンがサリー・ヘミングスとの間で子供達をつくったかどうかの確証を掴もうという試みがなされてきた。
ウィーンセックは、荘園の主たる彼自身と驚くほどよく似ている家庭内召使達についての同時代人による証言等の両陣営の主張を提示しつつ、ジェファーソンが子供達の父であることは間違いないと確信している。・・・」(E)
「・・・ヘミングスは、たったの16歳の時に、ジェファーソンが駐仏大使になった際、彼と共にフランスに赴いている。
彼女は、フランス法の下で、自由になって現地に留まることもできたが、ジェファーソンとの間で、彼女が引き続きサービスを提供することで、彼女の子供達が奴隷から自由になる、という約束を交わした後、彼と共に米国に戻った。・・・」(I)
「・・・サリーは、奴隷であると同時にジェファーソンの義理の妹であり、何世代にもわたる奴隷主達の虐待の産物だった。・・・
サリーの母親は、自身が混血であり、恐らくは半分しか黒人ではなかったし、4分の3白人であった可能性すらあり、<サリーの>肌の色はとても白かったと言われている。
だから、彼女の、ジェファーソンとの間になした子供達は「完全な白人」として通用しえた。
サリーは、(ジェファーソンとは血のつながりのない)アイザック・ジェファーソン(Isaac Jefferson)によって、「殆んど白人であって…とても見栄えが良く、長い髪だった」と描写されているし、ジェファーソンの孫息子のヘンリー・ランドルフ・ジェファーソン(Henry Randolph Jefferson)は、彼女が「白い肌色でまことにもって見栄えが良かった」と記憶している。
オイシソー(Yum yum)。
妻の異母妹との間で家族を持つ一方で、彼女とその子供達・・自分自身の子供達・・を奴隷として維持することができたということは、殆んど理解を絶する。
三人婚(menage a trios)家族全員が一つ屋根の下で暮らしていた、というわけだ。
ただし、もちろんサリーは奴隷区域で暮らしていた。
彼女の子供達は、ジェファーソンが亡くなった時に初めて自由になった。
しかし、サリーは最後まで奴隷のままだった。・・・」(J)
→三人婚(menage a trios)というと、普通は、妻と妾ないし第一夫人と第二夫人が、夫と一つの家で住むことを指しますが、ジェファーソンの場合は、サリーとの関係は夫人の死後のことのようですから、形の上では三人婚には該当しませんが、両者の子供達が、ジェファーソンの下、同じ家の中で、主従関係の形で暮らしたり働いたりしていた、という意味では、事実上の三人婚であったと言ってもおかしくはありません。
まことにもっておぞましい話だとお思いになりませんか。(太田)
(続く)
ジェファーソンの醜さ(その8)
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