太田述正コラム#5880(2012.12.2)
<欧米政治思想史(その2)>(2013.3.19公開)
 (2)プラトン
 「・・・彼のプラトンについての記述は、「ペロポネソス戦争の終期においてアテネの民主制に短期間置き換わった」寡頭制と繋がりのあった一人の貴族としての肖像から始まる。
 この立ち位置が、<彼の著作である>『国家(The Republic)』<(注1)>とその社会的階統制の感覚に影響を及ぼしている。
 (注1)「プラトンは最適者、気概に富む者、民衆の三種類を想定し、そのどれが社会において上位を占めるかに応じ、哲人王制(philosopher king<dom>)、最適者支配制(timocracy)、富者による寡頭制(oligarchy)、民主制(democracy)、僭主制(tyranny)の5つの国家体制を描き、どのようにそのような体制の交代がありえるかを描写する。彼は哲人王制を最良の政体とし、この順に劣るものとし、最低のものが僭主制であるとした。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6_(%E5%AF%BE%E8%A9%B1%E7%AF%87)
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Republic_(Plato) ()内
 「プラトンは・・・理性が気概と欲望をコントロールしていると考えた→この考え方を魂の三分説と言う・・・プラトンは、魂の三分説を社会にも当てはめるべきだと考えた   
  ・支配者=統治階級=哲人
  ・軍事面で活躍する人=防衛階級=武人
  ・経済のために働く人=生産階級=庶民
→プラトンは、哲人が武人と庶民をコントロールし、武人と庶民が活躍した時が理想だと考えた」
http://koumin-study.seesaa.net/article/214239263.html
 「ティモクラシー・・・<は、アテネの>ソロン(B.C.640?-B.C.560?)・・・の最も有名な改革、”財産政治”である。内容は、身分階級を土地・財産の4階級に分け、階級別に見合った参政権をあらためたというものである。第1等級は年間500メディムノス以上の穀物を供給する土地を持つ階級層(500メディムノス級という)、第2階級は年間300メディムノス以上の騎士階級、第3階級は年間200メディムノス以上の自作農民階級、第4階級は年間200メディムノス以下の労働者・小農民階級で、1・2階級は貴族が占め、3・4階級は平民が占める。第1~3階級は参政権の行使と重装歩兵参加ができ、またアルコンをはじめとする重要官職に就くことができるが、第4階級には民会や法廷への出席<権>のみ与えるにとどまり、官職に就くことはできなかった。しかしこの改革で全市民が裁判に参加でき、官人に対して弾劾することが可能となった。階級が決まると、各階級から100名選出して、400人評議会を設置した。」
http://kobemantoman.jp/sub/206.html
 「古代ギリシアにおける僭主は貴族制をとるポリスにおいて政治的影響力を増大させてきた平民の支持を背景に、貴族の合議制を抑えて独裁的権力を振るった政治指導者をいう。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%83%AD%E4%B8%BB
 「プラトンは、我々が、それぞれ、生来、異なった種類の社会的役割に適している、ということ、そして、民主主義的アテネの間違っているたくさんの事柄のうちの一つは、間違った人々が権力の諸立場を占拠するに至ったからであること、を前提として措定している」とライアンは記す。・・・」(A)
 「・・・プラトンは、『国家』の中の主要人物の一人<として登場するの>だ。
 これは、ライアンに言わせれば、興味深い。
 なぜならば、プラトンは政治に対して敵対的だからだ。
 欧州の政治思想の始祖(founder)は、反政治的思考の始祖だった」とライアンは記す。・・・
 ライアンは、これがどういうことであるかについて、公的生活への参加の関数として自由(freedom)を定義したアテネの民主制を、個人の自由(liberty)が最大の善であるところの、米国の対応物<(民主制)>と比較することによって理解させようとする。
 「この本に流れる主題は、能動的市民群のイメージが、お行儀がよく、よく管理され、しかし、本質的には従順な臣民たる市民と、常に対比されるところにある」とライアンは記す。
 そして、この点は、この本が、啓蒙、ホッブス、ジョン・ロック、そしてペインの世界へと展開して行くにつれて、ますます重要になってくる。・・・」(A)
 (3)ホッブス
 「・・・仮にプラトンが、『政治について』の前巻の中心的人物だとすれば、ホッブスは、後巻において、同様の役割を演じる。
 「我々の目的に照らせば、政治についての近代的思考法は、決して誇張ではなく、ホッブスから始まると言ってよかろう」とライアンは記す。
 というのは、プラトンとは違って、ホッブスは、国家は生来的に自然なものであるとは考えなかったからだ。
 そうではなくて、国家は<個人の>自己保存(self-preservation)目的で創造されたというのだ。
 ホッブスは、人生は、「貧しく、孤独で、汚く、暴虐的で、かつ短い」ところ、国家は、我々の自然に対する唯一の防衛<手段>なのだ、と有名にも主張した。
 ところが、ホッブスは、このように、政治を個人的生存に関わるものと見たにもかかわらず、個人の自由の支持者ではなかった。
 彼は、一人の主権者におとなしく従うよう促す。
 というのも、彼は分立した統治は「大災厄的」であると考えたからであり、彼は、我々にとって当たり前の諸権利の多く・・権利の諸章典に謳われているところの、言論の自由、これがもっともだと思えるいかなる宗教をも実践する自由、から、恣意的逮捕や悪しき取扱いに対する種々な不可侵・・の権利に反対した。・・・
 ホッブスなかりせば、彼への反動を行ったところのジョン・ロックは必要とならなかっただろうし、ロックなかりせば、ペインやジェファーソンも、ヘーゲルやマルクスも出現しなかったことだろう。・・・」(A)
→欧米政治思想の始祖(プラトン)は反民主主義、欧米政治学の始祖(ホッブス)は反自由主義であった、ということは覚えておいてよいでしょう。
 それにしても、欧米の主要政治思想家達の系譜の中に、ジェファーソンのような人種主義者たる妖怪が登場することに対しては、「ジェファーソンの醜さ」シリーズを踏まえ、強い嫌悪感を覚えます。(太田)
(続く)