太田述正コラム#5882(2012.12.3)
<欧米政治思想史(その3)>(2013.3.20公開)
 (4)その他
 「・・・ライアンは、アテネとローマの自由(freedom)の概念の決定的な違いは、前者が「、ローマ人が混沌の調理法であると考えたところの、一切濾されることのない直接民主制の一形態を実践したことであり、ローマ人が、普通の自由な男性に政治における役割を与えつつも、注意深く型にはめられ(structured)かつ統制された役割しか与えなかったところにある」と記す。・・・
 ライアンは、ソクラテスとプラトンからアリストテレスに至る思想家達を訪れ、プラトンをプロトファシズムであるとの嫌疑<(注2)>を取り除き(excuse from charges)、アクィナス(Aquinas)の、司教が戦争に従事することができるかどうかを検証する際の弁別の諸能力<(注3)>を讃嘆する。・・・
 (注2)カール・ポパー(Karl Popper)は、1945年の本である『開かれた社会とその敵(The Open Society and Its Enemies)』の中で・・・プラトンが心に描いた国家は全体主義的様相を帯びていると主張した。
 なぜなら、それは、その市民達によって選ばれなかった政府を擁護しており、支配階級の利益が国家の運命と方向であると同定しているからだ、と。
これに加えて、プラトンの国家はアウタルキー志向であり、検閲を擁護している、とした。
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Republic_(Plato) 前掲
 (注3)トマス・アクィナス(Thomas Acquinas, 1224~74)は『神学大全(Summma Theologica)』<において、>・・・戦争の正当原因として次の三点をあげた:
(1)君主のみが戦争宣言の資格を有する(=私戦概念の除去)
(2)戦争の原因が正当でなければならない
(3)戦争は正しい意図で行われねばならない
・・・このトマス・アクィナスの聖戦論はローマ法王の権威によって支持され、君主が受け入れ、現実の戦争に適用された。
http://www.intl.hiroshima-cu.ac.jp/~hyoshida/2003/2003-1/tana0302.pdf
 マキアヴェッリの『君主論(The Prince)』は、カトリック教会の禁制本リストについ最近まで入っており、「誰であれ、これを論駁目的で読みたい者は法王の許可を得なければならない」ものとされていた、とか、エドマンド・バーク(Edmund Burke)の演説は退屈極まるものだったが、「(大方の場合、)天使のように書いた」とか、カール・マルクスの階級闘争の観念はまだ研究途上であって分かりにくいままだった<、といった興味深い話がこの本には出てくる。>・・・」(E)
 「・・・ライアンのミルへの愛やトックヴィルへの称賛が、<ライアンによる、>彼らの盲点や弱点に対する若干の有効な批判に我々に耳を傾けさせる。・・・」(D)
→このあたりは、本そのものにあたってみたいところです。(太田)
 (5)小総括
 「・・・ライアンは、多くの政治諸理論の背後にある諸仮定が、いかに政治的のみならず形而上学的であるか、を示す。
 すなわち、大方の場合、ある思想家の政治観が、彼の人間、自然、そして神についての見解抜きには解読不可能である(indecipherable)、というのだ。・・・」(C)
→私なら、「形而上学的である」を「当該思想家の浴している文明の影響を受けている」に置き換えるところです。(太田)
 
 (6)ライアン批判
 「・・・<この本は、>トゥキディデスとプラトンから始まって、ジョン・デューイとジョン・ロールズに至るまで<扱っているが、>一般的に言って、<この本の>内容(itinerary)は、政治理論に関して英米の(Anglo-American)教授に期待されるものである、と言ってよかろう。
 すなわち、例えば、十分な関心が米憲法の起草に払われる一方で、欧州大陸<についての事柄>は省かれる、というより大きな危険に晒されるわけだ。・・・
 今日の諸民主主義国が直面している危険の中で、ライアンは、凡庸さ(mediocrity)と右へ倣え主義(conformity)の猛襲、及び、「ギリシャ的」な政治への能動的参加を求めることよりも「ペルシャ的」な繁栄の方を選ぶ(settle)可能性、によって我々の個性(individuality)が毀損(shrink)するであろうこと(likelihood)、に焦点をあてる。・・・」(C)
 「・・・<これぞまさに、>「欧米的伝統(Western tradition)」<という奴なのだ。>
 こいつは、その物語の範囲が決まっているのだ(This had a narrative arc all its own)。
 典型的には、それはギリシャのペルシャに対する勝利から始まり、それがオックスフォードであれ<エール大のある>ニュー・ヘーヴン(New Haven)であれ、<昔は、>フン族を、そして、後には、ナチをやっつけ、ソ連のようなその他の脅威を寄せ付けないところの、現代の英語をしゃべる後継者達でもって終わる。
 1970年代には、このやり方(approach)が批判を浴びた。
 「欧米文明」は欧州中心主義であると非難され、多くの学部科目から落とされた。
 しかし、衣類と同様、知的ファッションにおいても、十分長く待っておれば、振り子が通常戻って来るものだ。
 今日では、<欧米の>偉大な本(Great Books)についての授業を一世代前に諦めた諸大学が、それを再開する諸方法を探している。
 これは、彼らが、新しい世代を帝国的植民地総督(proconsul)に仕立て上げようと願っているからではない。
 全球化の時代にあって、欧米の優位を無批判に再確認することに相当有用性があると思うほど彼らは愚かでもない。
 そうではなく、政治哲学が再び人気が出てきた、ということなのだ。
 全面的な国内的かつ国際的制度危機の時は、学生達を第一諸原則へと立ち戻らせる時でもある、ということなのだ。・・・
(続く)