太田述正コラム#5886(2012.12.5)
<近現代における支那と世界(その1)>(2013.3.22公開)
1 始めに
 オッド・アルン・ウェスタド(Odd Arne Westad)の ‘Restless Empire: China and the World Since 1750’ (←仮訳すれば、『せわしない帝国–1750年以降の支那と世界』であろうか。)のさわりを書評群をもとにご紹介し、私のコメントを付そうと思います。
A:http://www.washingtonpost.com/opinions/restless-empire-china-and-the-world-since-1750-by-odd-arne-westad/2012/11/30/a0310a1a-21d7-11e2-ac85-e669876c6a24_story.html
(12月2日アクセス)
B:http://www.ft.com/cms/s/2/279b8b5e-2815-11e2-afd2-00144feabdc0.html#axzz2E42eNYL8
(12月4日アクセス。以下同じ)
 (この本、及び、David Shinn and Joshua,’China and Africa: A Century of Engagement’、そして、Zhang Weiwei,’The China Wave: Rise of a Civilisational State’の書評。なお、11月10日に、投稿が付いていない状態の同一記事↓にアクセスした経緯がある。
http://www.ft.com/intl/cms/s/2/279b8b5e-2815-11e2-afd2-00144feabdc0.html#axzz2Bmc0DsUd )
C:http://ehistory.osu.edu/osu/reviews/reviewview.cfm?id=121
D:http://www.telegraph.co.uk/culture/books/non_fictionreviews/9509201/China-past-and-present-review.html (Gerard Lemos,’The End of the Chinese Dream: Why Chinese People Fear the Future’の書評を兼ねる。)
E:http://www.asianreviewofbooks.com/new/?ID=1360#!
F:http://www.post-gazette.com/stories/ae/book-reviews/restless-empire-a-human-narrative-of-china-since-1750-661581/
G:http://www.historybookclub.com/world-books/asia-&-pacific-books/restless-empire-by-odd-arne-westad-1076317549.html
H:http://www.canada.com/business/China+movable+boundaries+amorphous+empire/7215119/story.html
 なお、ウェスタドは、ノルウェー生まれの米国で教育を受けた歴史家であり(A)、現在、英国のLSEで国際史の教授をしている人物です。
 彼は、これまで、オスロ大学の助教授、ケンブリッジ大学、香港大学、ニューヨーク大学、ヴェネツィア大学の客員研究員を経験しています。
http://www.carnegiecouncil.org/people/data/odd_arne_westad.html
(12月4日アクセス)
2 近現代における支那と世界
 (1)序
 「・・・ウェスタド氏は、「紛争とイデオロギー」未満であって、かつ、どのようにこれらの紛争が解決されたか及びどのように諸イデオロギーが時間の経過とともに混ざり合っていったかを超えるところのもの<(歴史書)>、を必要としていた。
 その結果が、国家運営と政治家(statecraft and statesmen)の諸巻となるべきものをばらけたところの、宣教師達、実業家達、苦力達、革命家達、そして学者達の歴史群<からなるこの本>だった。
 『せわしない帝国』は、支那の激動の過去を250年にわたる単一の共通の糸として支那の人々を用いたところの、歴史に対する個人的、挿話的、人間的なアプローチなのだ。・・・」(F)
→比喩的に言えば、支那の、史記に始まる公的歴史書は主として本紀と列伝からなる
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%80%E4%BC%9D%E4%BD%93
ところ、ウェスタドは、本紀なしの列伝からだけなる歴史書をものした、ということになりましょうか。(太田)
 (2)清の「好戦」性
 「・・・支那の清王朝について「我々全員が知っている」一つのことは、乾隆帝(Qianlong Emperor<。1711~99年。皇帝:1735~96年
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%BE%E9%9A%86%E5%B8%9D
>)の<英国王>ジョージ2世への、交易と外交関係増進の諸提案を拒絶した有名な書簡が示しているように、支那が支那以外の世界から孤立していて、とりわけ欧州に対して意図的に知ろうとしなかったことだ。
 その限りにおいては、それは真実なのだが、もう少し語るべき事柄があるのだ。
 ウェスタドは、18世紀の大部分において、清王朝は、満州、蒙古、トルキスタン、そしてチベットを含むところの、通常支那によって統治されてこなかった広大な諸地域を併合するという帝国建設の巨大なプロジェクトに従事していた、と指摘する。
 ロシアの東シベリアへの拡大に対処する(bump up against)ことは、欧州人を遠ざけておくために交易に関して広東システム(Canton System)<(注1)>を設立していたにもかかわらず、支那に欧米スタイルの外交の最初の味わいを与えた、とも。・・・」(G)
 (注1)「清朝中期から後期(1757年~1842年)における、清国と<欧州>諸国(のちに米国も加わる)との間で行われた貿易管理体制である。・・・<それは、欧州>商人との交易を広東(広州)1港のみに限定し、独占的商人を通じて行った貿易体制であり、日本の江戸時代のいわゆる「鎖国」体制における長崎出島での管理貿易体制(長崎貿易)と類似する。従来の中華帝国の交易スタイルであった「朝貢」貿易の一形態と見なされることも多いが、実際は朝貢形式の儀礼コストを省略し、広州現地における商人どうしの通商行動を重視した・・・システムと理解する方が的確である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E6%9D%B1%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0
 「・・・多くの歴史家が、<支那を>1644年から1912年まで統治した・・・清を、おおむね弱さと衰亡と結び付けるけれど、ウェスタドは、この期間にこの国はその力の頂点に達したことに注目する。
 「1750年代までには、清は、その北方の辺境の全小民族群の政治的軍事的独立を押しつぶした」と。
 ウェスタドの<この>清の拡大主義的性質への固執が、この本の、支那が「せわしない帝国」であるとのタイトルが内包しているところの<彼の>主張を下支えしている。
 この主張は、現在の北京で行われる、支那はいつも「平和愛好国家(peace-loving nation)」であったということに固執する公式説明とは、甚だしく抵触する。・・・」(B)
 「・・・ウェスタドは、重要な一片の神話を破壊することから話を始める。
 彼は、支那が、支那以外の世界に対して閉ざされた内向きの社会であったという観念に強く抗う主張を行うのだ。
 14世紀から20世紀まで続いたところの、明と清の両王朝の、支那を全球的交易網の一部としたところの、絹と瀬戸物の交易であれ帝国主義と共にやってきた欧米との強制的な関わりであれ、支那は、常により広い世界と繋がってきた、と。
 ウェスタドは、とりわけ冷戦期に関して鋭い。
 豊富な資料を駆使して、彼は、支那の支那以外の東アジアとの関係は、単に共産主義的であっただけではなく、金日成やホーチミンといった、イデオロギー上の「弟達」との間で育んだ紐帯において、儒教的でもあった、と主張する。(もっともこの家族はすぐに機能不全に陥ったが・・。)・・・」(D)
(続く)