太田述正コラム#0149(2003.9.9)
<スペイン・ラテンアメリカとは何か(その5)>
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長々とつきあわされたけれど、一体全体、スペイン・ラテンアメリカ、あるいは西欧とは何かを解明することにいかなる意味があるのか、といまだに釈然としていない方のために、今回の「おまけ」をつけました。ご一読ください。
(1)西欧と植民地
16世紀にプロト西欧世界あげての国際的協力の下でカール五世によって新大陸を対象に本格的に形成された植民地政策は、いわゆる帝国主義の時代である19世紀に、西欧の各国民国家によって旧大陸を対象に推進された植民地政策の原型となりました。
まずオランダの例を見てみましょう。
ナポレオン戦争の結果、セイロンや南アフリカ植民地を失ったオランダ(コラム#3)にとって、残された大きな植民地はインドネシアだけになってしまいます。そこにもってきて、1830年にはベルギーまでオランダから分離独立してしまい、オランダは連続して大きな経済的痛手を被ります。
そこでオランダは、インドネシアの支配の強化に乗り出します。その結果、1830年代から特に19世紀末までの間、インドネシアはオランダによる商品作物の栽培の強制(Culture System)によって苦しめられることになります。
このようにしてインドネシアから収奪された富は、19世紀中頃には実にオランダの国家予算の三分の一を賄ったほどであり、食糧としての作物栽培を制限されていたため、本来豊かであったジャワ島でも飢饉が起こったりしました。
(以上、http://www.gimonca.com/sejarah/sejarah05.html(9月1日アクセス)による。)
次にオランダから分かれたベルギーの例を取り上げましょう。ベルギーの植民地政策は、300年前の「スペイン」のそれの生き写しといった趣があります。
アフリカのコンゴ地域は、米国の南北戦争が終わった1865年までの400年の長きにわたり、西欧及びアングロサクソン諸国による奴隷貿易のため、生産年齢人口が流出を続け、経済的文化的に深刻な被害を受けた地域の一つでした。
ベルギー国王のレオポルド二世は、1870年代末からこのコンゴに、冒険的探検家を使って支配の手を伸ばします。彼は地政学的パワーポリティックスなど眼中になく、ひたすら自らの私欲の追求を図り、自分の私的財産に編入したコンゴから産出される、象牙、ゴム、鉱物等の資源の収奪にいそしみます。その過程で虐殺、飢餓や疫病により何百万人ものコンゴ原住民が死に追いやられました。いやそんなものではない、虐殺された数だけで1000万人はくだらない、という説まであります。そして、国際的非難の高まりを受けて1908年に国王からベルギー政府にコンゴが移管された後も、今度は、国家(ベルギー)、カトリック教会、そして巨大鉱山会社の「三位一体」体制による、経済的搾取、政治的弾圧、文化的抑圧が続きました。
こんな凄まじい過去を持っているからこそ、独立(1960年)後のコンゴにあって、モブツによる三分の一世紀(1965-97年)に及ぶカネにまみれた独裁・・一時は40億ドルもの私財をため込むという、レオポルド二世顔負けの不正蓄財を行った・・と、彼が失権した後現在に至るまでの間に300万人もの犠牲者を出した凄惨な内戦、がもたらされたと言えるでしょう。
(以上、http://www.guardian.co.uk/congo/story/0,12292,1032167,00.html(8月30日アクセス)、http://www.congo2000.net/english/history/tree_overview.html(9月8日アクセス)、http://www.facts.com/wnd/mobutu2.htm(同上)、及びSurvival,Vol45#3 Autumn 2003, IISS, PP243 による。)
やはりベルギーの植民地であった(コンゴの東隣の)ルワンダで、1962年の独立の三年も前から(植民地時代に宗主国ベルギーによって煽り立てられた)フツ族とツチ族との間の反目が武力抗争に転化し、1994年にはフツ族によるツチ族と穏健なフツ族に対する80万人ものジェノサイドが行われ、かつフツ、ツチ間の内戦がコンゴ(東部)に波及し、一層コンゴの状況が複雑化、深刻化した(http://www.cia.gov/cia/publications/factbook/geos/rw.html。9月8日)、ことも記憶に新しいところです。
最後にフランスの例です。
フランスの植民地政策は、オランダやベルギーほど原住民に対して過酷ではなかったとは言え、例えばナポレオン三世によって1857年に開始されたインドシナ進出は、理屈も何もない野蛮な侵略行為でした(http://www.guidetothailand.com/thailand-history/indochina.htm。9月7日アクセス)し、先の大戦によって時代が一変したというのに植民地の放棄をしぶり、例えばアルジェリアでのケースのように、対仏独立戦争時の8年間に百万人もの原住民を殺しています(http://i-cias.com/e.o/algeria_5.htm。同上)。
ちなみに英国については、アヘン戦争の結果として香港を獲得(1842年)したり、第二次世界大戦中、ベンガル地方の大飢饉(百万人死亡)を放置したり、更にはインド植民地を急遽印パに分割して独立させたため、独立直後にヒンズー教徒とイスラム教徒の相互殺戮を惹起させた(やはり百万人死亡)等(典拠は省略)、その植民地政策も決して胸を張れるようなものではありませんでしたが、オランダやベルギーに比べればもちろんのこと、フランスに比べても、相当抑制の効いたものであったことは確かです。
(2)EU・・プロト西欧文明への回帰?
(カトリシズムの下、一人の皇帝が様々な民族の上に君臨する)プロト西欧文明の色彩を色濃く残したオーストリア=ハンガリー帝国が崩壊した第一次世界大戦の後、日本人を母親とするオーストリア=ハンガリー貴族のリヒャルト・クーデンホーフカレルギー(Richard Coudenhove-Kalergi。1894-1972)らによって始められた汎欧州運動が結実したのが現在のEUです(http://www.ipe.tsukuba.ac.jp/~s019022/richard.html及びhttp://www.spartacus.schoolnet.co.uk/SPRINGcoudenhove.htm(どちらも9月7日アクセス))。
私はEUは、西欧のプロト西欧文明への回帰、という側面が強いと考えているのです。
英国はこのEUに加盟しているものの、一国だけ文明を異にしている(正確に言うと、ギリシャもやや異質で、ロシア文明と西欧文明の両方の影響下にあるEU加盟国と言える)だけに、すわり心地の悪さには甚だしいものがあるのは当然です。(コラム#4)
またこのところ、ジスカールデスタン元フランス大統領が「異教徒」トルコのEU加盟は好ましくないと言った(典拠失念)り、ポーランド人の教皇ヨハネパウロ二世から現在起草中のEU憲法の中でキリスト教的価値観に言及して欲しいという要求が出されたり、これに来年新たにEUに加盟することになったリトアニア、ポーランド両政府が同調したり(http://www.nytimes.com/2003/08/28/international/europe/28UNIO.html。8月28日アクセス)、このうちポーランドからは更に、EUの前身である欧州石炭鉄鋼共同体の提唱者のルクセンブルグ生まれの元フランス外相故ロベール・シューマン(Robert Schuman。1886-1963)のカトリック聖人化要求が出されたりしていること(http://www.guardian.co.uk/international/story/0,3604,1036531,00.html。9月6日アクセス)は、文字通りのプロト西欧文明への回帰現象のように思えてなりません。
(3)カリフォルニア州知事選挙・・米国の西欧化の端緒?
米国では、今年黒人が中南米系に人口数で追い抜かれ、米国における最大の少数民族たる地位を失いました。
ちなみに、中南米系をHispanic(米国政府用語)と呼ぶかLatinoと呼ぶか、今米国で論議が起きています。前者はイベリア半島出身の白人系の中南米人をイメージさせるのに対し、後者は原住民系をイメージさせるのだそうです。なお、Chicanoは中南米系中のメキシコ系を指します(http://www.guardian.co.uk/usa/story/0,12271,1032261,00.html。8月31日アクセス)。
中南米系にあっては、アフリカというルート(根)から引き抜かれてアメリカ大陸に拉致され、北米でアングロサクソン化、中南米で西欧化させられた歴史を持つ黒人とは異なり、アングロサクソン化せずに出身の中南米との心理的・文化的紐帯を維持し続けている人々が少なくない、と言っていいでしょう。
そこに降ってわいたのが、カリフォルニア州のデービス知事(民主党)をリコールする動きです。
もしリコールが成立すると、後継知事の座の争いは事実上、現副知事で民主党のブスタマンテ氏(ヒスパニック)と俳優で共和党のシュワルツネッガー氏(オーストリア移民)の一騎打ちになると予想されています。
仮にブスタマンテ氏が当選すると、カリフォルニア州で初めて中南米系の知事が誕生することになり、米国における中南米系の人々の勢力伸長を象徴する事件となることでしょう。
その調子で中南米系の人々の影響力が大きくなって行くと、キリスト教原理主義勢力の伸張(コラム#95)ともあいまって、やがて米国の西欧化、すなわち米国のアングロサクソン文明からの離脱、ということになりかねないかもしれませんね。
(完)