太田述正コラム#5892(2012.12.8)
<近現代における支那と世界(その4)>(2013.3.25公開)
(4)中国国民党の評価
「・・・支那は、何十年にもわたって、米国と中共自身双方によって描かれてきたような、軍閥と盗賊達ばかりの、混沌たる滅茶苦茶<な世界>ではなかったことを、ウェスタドは我々に気付かせてくれる。
実際、支那は、オーストリア=ハンガリー、オスマントルコ、そして大英帝国を含む、19世紀の大帝国群の中で、唯一、ほぼ完全にそのまま残ったところ、それは毛沢東の粘り強さのおかげではなく、中華民国の外交官の素晴らしさのおかげだったのだ。
→冗談ではありません。これは、もっぱら、日本を含むところの、(ただし、外蒙古を「独立」させたロシア(ソ連)を除くところの、)帝国主義列強の相互牽制・・足の引っ張り合いと言った方がより適切か・・によるのです。当然のことながら、この相互牽制は、決して「中華民国の外交官の素晴らしさ」によってもたらされたものではありません。(太田)
ジェイ・テイラー(Jay Taylor)の瞠目すべき『蒋介石大元帥と近代支那の闘争(The Generalissimo: Chiang Kai-shek and the Struggle for Modern China)』といった、他の学者達の著作に立脚して、ウェスタドは、支那の国民党統治者を高く評価する。
蒋介石は、「19世紀中頃以来、支那が持った最も効果的な政府となったところの政府」の舵取りを行った。
→これも、冗談ではありません。そもそも、19世紀半ばの、既に死に体に近くなっていた清と比較して「効果的」だの「非効果的」だの言っても仕方がないでしょう。(太田)
このことと同等に重要なのは、侵攻してきた日本軍と、彼の仇敵である毛沢東は戦おうとしなかったのに、蒋介石は戦ったことだ、とウェスタドは記す。
ここでも、米国の学界における、毛沢東は真のゲリラ戦の戦士であったという評判に対し、ウェスタドは、第二次世界大戦の間、毛沢東は、日本軍に対する軍事戦役で大きなものは1回<(注2)>だけしか実行させておらず、しかもそれは大敗北に終わっている上、彼の部隊は、日本軍<の兵士達>よりも蒋介石側の支那人の兵士達の方をはるかに多く殺している、と記す。
(注2)「日<支>戦争中の1940年8月から12月にかけ、山西省・河北省周辺一帯において、・・・中国共産党軍と<日本>・・・軍の間で起きた一連の戦い<の支那側の呼称である>百団大戦」のことと思われる。「日本側の全損害をまとめた史料は無いが、最大の損害を受けた独混第4旅団の記録でも戦死者は276人にとどまっている」のに対し、日本側記録<によれば、共産党軍側は、「遺棄死体:約17000」人、「捕虜:約2700人」にのぼる。後に、中共当局は、「本作戦の指揮官であった彭徳懐の失脚に際し、本作戦によって過早に八路軍の手の内を曝露してしまったことを彼の失敗の一つに掲げている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E5%9B%A3%E5%A4%A7%E6%88%A6
「この戦争は、中国共産党の影響力を広げる、完璧に近い引き立て役になった」とウェスタドは記す。・・・」(A)
→このこと一つとっても、蒋介石がいかに無能であったか・・彼は、第2次国共合作を飲んだこと、そして、日支戦争の早期解決を図らず、むしろその拡大を図り、実行したこと、で自らの墓穴を掘った・・を物語っています。(太田)
(5)その他
「・・・『せわしない帝国』・・・が取り扱っていない分野の一つは、支那のアフリカとの膨れ上がる関係だ。
これは、恐らく、極め付きに重要だ。
というのも、これは、支那がアジアの外で勢力圏をつくろうとする最初の努力を表しているからだ。・・・」(B)
「・・・私が興味をそそられたのは、中華民国の最初の大統領である孫逸仙が、バラク・オバマとハワイの同じ高校<(注3)>で教育を受けたことを知ったことだ。
(注3)プナホウ・スクール(Punahou School)。「ハワイ州ホノルル市にある私立学校。・・・現在は・・・幼稚園から高等学校(第12学年)までの一貫教育を行っている。・・・生徒数は3,750人を数え、単独の学校としては<米国>でも最大の生徒数を持つ・・・の名門校である。・・・2008年、2009年度にはスポーツ雑誌「Sports Illustrated」で全米38,000高校中、プナホウのスポーツプログラムが第1位に選ばれて<おり、>・・・数多くのオリンピック選手を排出していることでも知られて<いる。>」ミシェル・ウィー(プロゴルファー)もこの学校出身。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%8A%E3%83%9B%E3%82%A6%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%AB
<また、>毛沢東の1950年代末のモスクワ訪問の際の驚くべき話が出てくる。
その折、彼は、百戦錬磨の主人役達に対し、「帝国主義者ども」との戦争を恐れることは全くない、と示唆して仰天させた。
「最悪の最悪、人類の半分が死んだとしても、残りの半分は生き残るだろうし、帝国主義は破壊され、全世界が社会主義になる」と毛沢東は語ったのだ。<(注4)>・・・」(B)
(注4)コラム#5791参照。ヒットラーが戦争等で殺したのは他「人種」であったのに対して毛沢東が同じく戦争等で殺したのは自国民であり、殺した人数も毛沢東の方がはるかに多い。
(毛沢東に関しては、下掲参照。
http://en.wikipedia.org/wiki/Chinese_Civil_War 国共内戦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%BA%8D%E9%80%B2%E6%94%BF%E7%AD%96
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E5%A4%A7%E9%9D%A9%E5%91%BD
このほか、朝鮮戦争がある。)
まさに、彼は、世界史上空前の凶悪犯罪者と呼ばれるにふさわしい。
「・・・ウェスタドは、台湾が米中関係に及ぼす安全保障上の意味(implications)を明確に理解しつつ、台湾は、真の民主主義国家であって、支那的文脈の中での欧米の諸観念が大陸の支那人達を何世代にもわたって鼓吹し続けることから、<米国が同国を>保護するに値することに気付かせてくれる。・・・」(A)
(続く)
近現代における支那と世界(その4)
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