太田述正コラム#5912(2012.12.18)
<欧米政治思想史(続)(その2)>(2013.4.4公開)
→ライアンに比べて、この書評子のキーン(後出)は、古典ギリシャ文明以外の欧州や中東の白人
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%BD%E3%82%A4%E3%83%89
文明(ミュケナイやシュメール)にまで民主主義のルーツ探しの対象を広げているけれど、黒人文明や黄色人文明にまで広げようとはしていないのですから、両者の違いなど、とるに足らないと言いたくなります。
私なら、少なくとも、黄色人の遊牧文明たるモンゴルのクリルタイ/ジルガ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%82%A4
もルーツの一つに入れるところです。(コラム#省略)(太田)
トーマス・マン<(コラム#1485、4988、5777)>、ジャック・マリタン(Jacques Maritain)<(注8)>、そして(イギリスの文脈の中では)ジョージ・オーウェル<(コラム#508、739、1105、1254、2099、3243、3873、3929、4107、4471、4676、4866、5009、5166、5498、5648、5742)>、J・B・プリーストリー(JB Priestley)<(注9)>といった、極めて多様な政治作家達が異なった言葉で擁護したところの、私が監視的民主主義(monitory democracy)<(注10)>と呼ぶものは、恣意的権力の諸悪に対して、それまでの諸民主主義よりも神経質だ。
(注8)1882~1973年。当初は「唯物論者であったが、・・・1906年カトリックに入信した・・・フランスの哲学者。新トマス主義者。・・・近代の生んだ理性主義、不可知論、個人主義、無神論を批判した上で、共通善に基づく政治を追求しようとした。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%BF%E3%83%B3
(注9)1894~1984年。ケンブリッジ大で学んだイギリスの著作家、劇作家、司会者。社会主義者であって、戦時中、「政策に影響を与え、1945年の総選挙・・・での労働党の地滑り的勝利を助けた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/J%E3%83%BBB%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC
(注10)この書評子である、豪州出身で豪アデレイド大学、加トロント大学、英ケンブリッジ大学で学び、現在豪シドニー大学とドイツのベルリンの大学の教授をしているジョン・キーン(John Keane。1949年~)が2009年の著書の’The Life and Death of Democracy’で初めて用いた言葉。政府だけでなく、国際的国内的なあらゆる組織において、権力が不当・違法に行使されないように当該組織の内外関係者が(最近ではインターネット等も用いつつ)監視して行く、という意味での民主主義を指している。
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Keane_(political_theorist)
この新しい理想は、ギリシャの参加的民主主義に対して懐旧的ではなく、また、近代の議会制民主主義、自由主義、或いは主権地域諸国家に対しても盲目的に愛することはない。
監視的民主主義は、議会制代表と公正な選挙未満のことを全く含意していない一方で、それを超える何者かを約束する。
民主主義は、今や、大企業の世界を含め、権力が行使される場所にかかわらないところの、憲法的形式における定期的選挙、多数支配、そして人民主権という古よりの支配的(reigning)諸原則よりもっと「深い」普遍的な諸標準に基づくところの、継続的公共検査、権力に対する懲らしめ(chastening)とコントロール、を意味するようになった、と。
人権ネットワーク群、真実と和解諸法廷、市民諸集会、参加的予算編成、及びインド型の世俗主義といった戦後の諸発明を享受しつつ、監視的民主主義は、古よりの自由と平等と言う理想に新しい活気をもたらした。・・・
インドは、クォータ制に立脚した(quota-based)留保(特別保留地?=reservation)や市民サチャ・グラハ(citizen satya graha)(非暴力活動)から、鉄道裁判所群(railway courts)、水<資源>諮問枠組群(water consultation schemes)、ロク・アダラト(Lok Adalat)紛争解決<法>(dispute resolution)、及び公共利害争訟(public interest litigation)に至る、独特の権力チェックのメカニズム群を持っているところ、世界最大にして最も動的な監視的民主主義国だ。
<インドの監視的民主主義>の現在における諸機能障害について何が言われているかに関わらず、それは、ライアンの意味での自由民主主義ではない。
同じことが台湾についてもあてはまる。
その政体は、民主主義が、民族的統一性と主権的領域境界群に係る強い諸感覚(feelings)によって定義される「国」においてのみ存続しうるとの自由主義的ルールをものともしない状況を続けている。
台湾の勇敢な人々は、ずっと昔に、「アジア的」諸性格を持った民主主義が可能であることを示した。
その民主主義は、他と区別される内生的な「アジア的」ルーツを持っていた。
彼らの中国共産党の批判者達に対して、民主主義は欧米の自由主義的自惚れ、階級支配(domination)、及び利己的「ブルジョワ」個人主義の同義語ではないことを証明したのだ。・・・」
→台湾の前段については、戦後の台湾が、(支那全土の政権を標榜する)中国国民党政権による現地住民の「征服」から出発したという特異性はあるものの、その後、台湾が支那本土とは明確に区別されるところの、「民族的統一性と主権的領域境界群に係る強い諸感覚」を形成して現在に至っている、と私は見ているので、キーンがここで言っていることは、理解に苦しみます。
また、台湾の後段についてですが、キーンは三民主義のことが念頭にあるのでしょうが、「三民主義は、・・・様々な解釈が可能な、およそ「思想」の名に値しないところの、政治的スローガンを列挙したものに毛が生えた程度の・・・ファシスト的、共産主義的、自由民主主義的解釈<がそれぞれ可能な>・・・代物であ<った>」ところ、「現在の台湾でとられているのは最後の解釈である」、という私の見解をかつて(コラム#4948で)申し上げたことがあります。
そして、台湾で三民主義についてかかる解釈がとられているだけでなく、台湾で自由民主主義が実際に機能するに至っているのは、台湾が、日本統治時代に、(イギリス流の自由民主主義・・ライアン的自由民主主義・・を範とした)日本の自由民主主義を教え込まれるとともに、自由民主主義的な地方自治を経験していたからである、と私は見ているところ、このキーンがこんなことを言うのは、彼が皮相的かつ断片的な台湾知識しか持ち合わせていないからではないか、という疑いが拭えません。
なお、インドの政体については、私は十分な知識を身に着けていないので、キーンの主張を詳細に検証することは不可能ですが、それは、インド独立当時に宗主国英国で政権の座にあった英労働党が追求していた社会主義的政体を模したものではないか、という私の仮説を以前(コラム#5706で)申し上げたことがあり、当面、この仮説を維持することにします。(太田)
3 終わりに
書評に名を借りて、キーンはもっぱら自分の説の紹介を行った感がありますが、彼の監視的民主主義はなかなか興味深いものがあります。
というのも、私の日本型政治経済体制論は、日本のあらゆる組織の生理と病理を、エージェンシー関係でもって説明しようとしたものであり、あらゆる組織の健全性を担保する共通の方法論を模索して監視的民主主義という概念をひねり出したキーンと、問題意識において重なり合う部分がかなりあるからです。
(ちなみに、私の日本型政治経済体制論は、日本においては、経済に係る市場と政治に係る選挙は、エージェンシー関係に対して補完的な役割しか果たしていないというものです。選挙の位置づけについては、本日、初めて言及しました。)
もう一点指摘したいのは、狩猟採集時代の人類が共有していたけれども、大部分の文明においてその後忘れ去られてしまったところの人間主義もまた、少なくとも日本とイギリスにおける現在の民主主義の起源としては挙げられるべきではないのか、ということです。
機会があれば、監視的民主主義論と併せ、改めて取り上げたいところです。
(完)
欧米政治思想史(続)(その2)
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