太田述正コラム#0154(2003.9.14)
<国際情勢と企業のリスクマネジメント(その5)>
?? 国際情勢の基調
1 国際情勢の基調と変動
国際情勢の基調とは、国際情勢の変動がその上で起こる舞台だと考えればよい。
私は、21世紀における国際情勢の基調として、グローバル化の一層の進展は別格として、アングロサクソン対欧州のせめぎあい、宗教原理主義の復興、中国の台頭、縄文モードの日本、米国の覇権のかげり、の五つをあげたい。
(「ならず者国家」北朝鮮は、戦後日本でほぼ一貫して続いてきた自由民主党を中心とする政権がなお続くかどうかの命運を握っている・・例えば現在の小泉政権は、小泉首相が拉致問題解決へのきっかけをつくり、かつ北朝鮮の核問題等にも毅然とした対応をしているという印象をふりまくことによって、かろうじて延命してきた・・という意味では、日本の企業にとっては国際情勢の基調に見えるかもしれないが、しょせん北朝鮮は経済が破綻した一小国にすぎず、北朝鮮が何をしようとたかがしれており、その命運は米国等が北朝鮮の「体制変革」を差し控えたとしても尽きつつあると考えられることから、基調とは考えていない。)
例えばイラク戦争には、最初の二つと一番最後の一つ、合わせて三つもの国際情勢の基調がかかわっている。
イラクのフセイン政権が欧州由来のファシズムを旨とする政権であったこと、フセイン政権が開発し保有していると信じられた大量破壊兵器がアルカイーダ等のイスラム原理主義テロリストの手にわたることが恐れられたこと、そしてこれらがみずからの安全保障と世界戦略にとって大きな問題であると米国によって受け止められたこと、の三つだ。
2 国際情勢の五つの基調
五つの基調について、私はかねてからコラム上で根拠と典拠をあげて詳細な説明を行ってきたところだが、ここでは、字数の関係でそれぞれについて簡単に紹介するにとどめる。
留意すべきことは、日本は、日本自身についての(4)はもとよりだが、それ以外の四つの基調についても、これらを日本にとっての与件とみなすには日本が大きすぎる存在であることだ。四つの基調を紹介する際に、常に日本への言及を行ったのはそのためだ。
(1)アングロサクソン対欧州のせめぎあい
これは開放体制で世界が覆い尽くされるまで続く、世界の近現代史を貫く最大のテーマであると私は考えている。アングロサクソンは開放体制を信奉する文明、欧州(西欧)は非開放体制に向かうベクトルを内包する文明であると見る点がポイントだ。
17世紀から19世紀にかけて断続的に続いた英仏戦争、英米対ドイツの第一次、第二次世界大戦、英米対ロシアの冷戦、はいずれも両文明のせめぎあいの端的な現れだ。
このせめぎあいは現在もなお日々続いており、ざっくりした議論をすれば、非開放体制の地域・国であるアラブ世界、南西アジア、東南アジア、サハラ以南のアフリカ、旧ソ連の中央アジア地域、及び中国、北朝鮮、キューバ等、グレーゾーンの地域・国である中南米及びロシア等、そしてグレーゾーンの疑いを残す地域である欧州等、が完全に開放体制化するまで、このせめぎあいは終わらない。
日本文明とアングロサクソン文明は、どちらも多元主義的であり、かつ柔軟に大きな変革を行ってきた等、世界の諸文明の中で最も親和性を有することから、このせめぎあいにおいて、日本が、(日本対アングロサクソンという不幸な図式となった先の大戦に至る一時期を除き、)常にアングロサクソンの生来的同盟国としてアングロサクソンとともに戦ってきたことを忘れてはなるまい。
(2)宗教原理主義の復興
近代化イコール世俗化という「公理」は誤りだったと思わせるかのような宗教原理主義の復興がこのところ顕著となっている。しかもそれはプロテスタント及びカトリックの両キリスト教、イスラム教、ヒンズー教等、多くの既成大宗教に共通して見られるところであり、なかでも注目されるのはプロテスタント系の原理主義諸派の勢力の世界的な加速度的増大傾向だ。
宗教原理主義の復興と言うと、ややもすればイスラム教やヒンズー教における宗教原理主義的テロリズムの猖獗に目を奪われがちだが、貧富の差が拡大しつつある米国で、「貧者」を中心にキリスト教原理主義勢力が近い将来、多数を占める可能性があり、そうなった場合、米国社会が非寛容化して変質し、アングロサクソン文明から「脱落」しかねないことが大きな懸念材料だと言えるかもしれない。
日本文明は多元主義的であり、宗教原理主義とは相容れないことから、日本が世界の宗教原理主義化に対する防波堤となる運命が予感される。
(3)中国の台頭
世界の人口の四分の一を占める中国の経済的台頭は、否応なしに巨大なインパクトを世界に与えつつある。
このまま中国が台頭を続ければ、世界の資源・エネルギーは枯渇し、中国による環境汚染は人類全体の健康を損なうこことにもなりかねず、また開放体制信奉諸国の世界的な軍事的優位をもゆるがしかねない。
この関連で注目すべきは、中国が果たして開放体制への移行を平和裏になしとげることができるかどうかであり、その成否の鍵は(多大の影響をかつて中国から受け、明治以降においては逆に多大の影響を中国に与えた近隣の大国である)日本が握っているのかもしれない。
中国が開放体制への移行に成功し、中国政府が自国民及び世界に対するアカウンタビリティーを確立して初めて、日本と中国との間で、真の意味での提携に向けて展望が開けることとなろう。
(4)縄文モードの日本
日本の帰趨は日本の企業にとって極めて重要であることはもとよりだが、日本が世界第二の経済規模を持っており、しかも非欧米諸国中、政治経済文化全般にわたっての「先進国」はいまだに日本一国のみと言っても過言ではないこと、かつまた前述したように日本がアングロサクソンの生来的同盟国であることともあいまって、日本の帰趨は世界にとって極めて重要であると言ってよかろう。
その日本は、先の大戦における敗北を契機に、自発的に米国の「保護国」となり、外交・安全保障は米国に丸投げし、自分は経済に専念するという、吉田ドクトリンなる国家戦略を採用し、現在に至っている。
これは日本が世界の重要な一員であるにもかかわらず、国際社会の平和と安定の維持、いわゆる国際貢献に何の関心を示さず、ひたすらおのれの経済的繁栄を追求するという、きわめつきの内向的、かつ「利己」的な国家戦略でもあった。
日本の歴史を振り返ると、日本は内向的な縄文モード期と外向的な弥生モード期を繰り返してきており、最近で言えば、鎖国と町人文化の江戸時代(縄文モード期)、開国と欧米化の明治・大正・昭和初期(弥生モード期)、という経過をたどり、昭和期に入ってから再び縄文モードに回帰し始め、敗戦を契機にはっきり縄文モード期に入ったと私は見ている。
(「縄文モード」、「弥生モード」は私の造語である。)
この十年来の日本の閉塞状況は、世界でグローバル化が進展している中で、戦後の日本が内向的な縄文モードに回帰してしまっていることの問題点が、戦後半世紀を経過した頃から噴出してきたためだと解釈することができるのではないか。(?? も参照されたい。)
世界は、日本が見通しうる将来にわたって縄文モードであり続けると見ており、「縄文モードの日本」は世界情勢の基調の一つになってしまっている。
果たして日本は、この世界の期待ないし諦観を裏切り、外向的かつ「利他」的な国家戦略、すなわち弥生モードへの切り替えに向けてみずからイニシアティブを発揮し、新たな国際情勢の基調の一つとして「弥生モードの日本」を確立することができるのだろうか。
(5)米国の覇権のかげり
20世紀を通じて覇権国たる地位を維持してきた米国は、21世紀初頭の現在、経済力、軍事力、及びいわゆるソフトパワーのいずれにおいてもその絶頂期を迎えている感がある。
しかし、歴史を振り返れば、いかなる覇権国もやがて必ず衰退する。
米国についてもその兆候は、下部構造たる産業・貿易・国際金融の面でも、また前述したように米国内における宗教原理主義勢力の増大という形でその国民心理面でも、既に現れている。
問題は、米国の覇権のかげりがアングロサクソン諸国全体の地盤沈下をもたらすかどうかだ。
米国の覇権のかげりがアングロサクソン諸国を中心とする開放体制信奉諸国の「敗北」につながるようなことがないようにするためにも、日本の帰趨が注目されるところだ。
(続く)