太田述正コラム#5968(2013.1.15)
<狩猟採集社会(その2)>(2013.5.2公開)
 ・・・次いで、『文明崩壊――滅亡と存続の命運を分けるもの(Collapse: How Societies Choose to Fail or Succeed)』<(2005年)>が出た。
 ここで、彼は、人類に係るもう一つの基本的な問題に答えようとした。
 どうして、その構成員達が自分達自身の生息地を破壊したことによっていくつかの文化が内部崩壊したり解体したりする一方で、他の文化では注意深く生態系の均衡が維持されるのか?
 どうして、イヌイット(Inuit)は繁栄していたのに、ヴァイキングは16世紀にグリーンランドからいなくなったのか。
→どうやら、この部分については、新しい研究成果(コラム#5959)によって、ダイアモンドが期待する答えとは異なった答えが得られたようですね。(太田)
 どうして古代マヤ人は、自分達の諸土地から森林を奪うことで自分達自身の生態系を壊してしまい、土壌の浸食と飢餓を引き起こし、それが原因で彼らの文明を崩壊させたのか? 
 そして、最も痛烈な話だが、どうして、イースター島の人々は、自分達の離れ島の木を全部切り倒してしまい、太平洋の真ん中で自分達自身を孤立させ、やがて内戦と人肉食へと堕して行ったのだろうか?
 この問題への取り組みに際し、ダイアモンドは、政治的頑迷さ(intransigence)、[外交の失敗、]気候変動、交易の喪失、近隣者からの攻撃、そして自傷的環境劣化、といったところの、諸社会がどうして崩壊したかの説明に資する様々な諸要素を同定する。
 ここで重要なのは、これらの要素が、現在、全球的規模で働いていることだ、と彼は言う。
 大きなカンバスに描けば、イースター島の人々の運命は、従って、我々が行動をとらなければ、全地球において繰り返されうる、というのだ。」(B)(ただし、[]内はIによる。)
 (2)新著での主張・・総論
 「さて、’The World Until Yesterday’ の中で、ダイアモンドは、現代の諸社会が伝統的な諸社会・・ホモサピエンスたる我々が、驚愕すべきことに我々が地球上にいた時間の95%を過ごしたところの社会的諸組織の類・・から何が学べるかを探索する。
 ダイアモンドは、人類の全ての社会を、「国家」と「伝統的」の二つの範疇に分ける。
 そうして、彼は、例えば、農業が巨大で、政府が中央集権化しており、大部分の市民が都市に住み、インフラが複雑であるところの、米国、エジプト、そして支那を一括りにする。
 大部分の近代諸文化は、どんどんと、「異様(WEIRD)」、すなわち、欧米的で教育され、産業化され、金持ちで民主主義的、になってきている。
 対照的に、採集者達と狩猟者達からなる伝統的諸社会は、その生存手法と社会システムに関して、はるかに大きな多様性を持ち、人類社会をどのように組織するかについての何千もの実験<結果>を示している。・・・
 ・・・この著者は、伝統的諸文化をロマンチックなものとすることに抵抗する。
 強力な国家当局の不在の下、社会内及び社会間の暴力はほとんど恒常的だ。
→私は、この本にいう狩猟採集社会と日本の縄文社会との相違点に関心があるわけですが、暴力の点について、果たして縄文社会はどうだったのかを以前に皆さんに検討していただいたことがあります。
 後でもう一度触れたいと思いますが、私としては、縄文社会は、基本的に非暴力的な社会であったと考えているわけです。(太田)
 農業がないので、飢餓のリスクは常に高い。
→縄文社会は、農業を伴う狩猟採集社会でした。(後掲の三内丸山遺跡のウィキペディア参照。)(太田)
 近代医学がないので、事故や伝染病が命を若くして終わらせる。
 移動性の奨励(premium on mobility)は、幼児と老人の放置や放棄をもたらした。
→縄文社会は、定住社会でした。(同上)(太田)
 数ダースの人だけからなる社会諸集団の中では、プライバシーや匿名性は不可能だった。
→縄文社会の社会集団の構成員数には、三内丸山遺跡
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%86%85%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E9%81%BA%E8%B7%A1
のケースのように、居住者数が数百人というものもありました。(太田)
 それでもなお、伝統的諸文化の特定の諸要素は、それら自体が現代の個人や社会において推奨されるべきものかもしれないのだ。」(I)
 「ホモサピエンスは、少なくとも60,000年にわたって存在し、人類的と認識されうるようにふるまってきたところ、(部族長による統治とは対蹠的な)国家政府は5,000年をちょっと超える前にようやく生じたのだし、農業社会への移行はわずか11,000年前に起こったのだ。
 従って、我々の歴史の大部分において、我々は、今では、完全におかしくかつ無縁に見えるところの、生活を送っていたのだ。」(F)
 「「・・・<このような生活を送るのを、>我々は過去何千年かにわたって止めてしまっているので、我々は疾病や寒さや野生動物に対する脆弱性を失った反面、子供を育てたり、高齢者の面倒を見たり、糖尿病や心臓疾患を免れたり、日常生活に潜む真の危険群を理解したりするための良いやり方もまた失ってしまったのだ。」(B)
 「欧米における、自然世界とのつながり(connection)は減る一方であり、それが危険の増大をもたらしている、と・・・彼はこの新しい本の中で言う。
 部族諸文化の慣行群の多くは、環境に敬意を払うことから幼児にナイフで遊ばせることに至るまで、我々のやり方を再発見することに資することができる、と彼は主張する。」(B)
 「我々の、狩猟採集者、家畜飼育者、自給自足(subsistence)農民、としての経験は、我々を遺伝的かつ文化的に形成した、と<彼>はこの・・・本の中で主張する。
 だから、我々は、孤独、肥満或いは多くの高齢者の不幸せな状況、といった現代の諸問題を解決するために、これらの生活のやり方を理解しなければならない、と。」(C)
 「・・・プロト人類とプロト・チンパンジーの進化の枝が分かれた6,000,000年前以来の大部分の間、人類の全ての社会は、金属その他・・・のものを持っていなかった。
 これらの近代的諸様相は、わずか過去11,000年の間に、世界の特定の諸地域において出現し始めたのだ。・・・
 11,000年というのは、人類の時間の中では永遠のように思えるかもしれないが、進化史からすれば、それは「単なる昨日」に他ならない。
 それだけではなく、それは、ニューギニアのようないくつかの場所で、これら諸社会の現代における対応物との様々な度合いの接触の下で機能しているところの「昨日」なのだ。」(D)
 「「読者のうちの若干は、私があげる事例のうち、ニューギニア島とその近傍の太平洋の諸島に由来するものが多数を占め過ぎている、と感じるかもしれない」と彼は記す。
 「部分的には、それは、この地域を私が一番よく知っていて、そこで私が大部分の時間を費やしたからだ」と。
 <ただし、>ニューギニアには言語と生活様式と環境の多様性<があることを忘れてはなるまい。>」(D)
 「彼の個人的諸経験を用い、また、アフリカのブッシュマンやアマゾンのインディアンと生活した人類学者達の広範な諸研究をもとに、ダイアモンドは、この魅惑的な本を書いた。
 それは、自伝でも人類学<の本>でも進化生物学<の本>でもないが、その三つ全ての要素を持っている。」(F)
(続く)