太田述正コラム#5974(2013.1.18)
<アルジェリア大規模人質事件の背景>(2013.5.5公開)
1 始めに
 まだ現在進行形であるところの、アルジェリアでの日本人を含む大規模人質事件の背景に関するワシントンポストの二つの記事をご紹介しておきましょう。
2 アルジェリア大規模人質事件の背景
 「アルジェリアは、過去20年にわたって、マリの砂漠の砦群からフランスと戦ってきていて、アルジェリアのリビア近くの天然ガス生産施設で欧米人の人質達をとったところの、北アフリカの過激派運動を作り出した、最も強固なイスラム主義者の軍事要員達を、アルジェリアは生み出してきた。
 <今回の人質事件を引き起こしたとされる>モフタル・ベルモフタル(Mokhtar Belmokhtar)<(注1)>は・・・イスラム・マグレブのアルカーイダ(al-Qaeda in the Islamic Maghreb=AQIM)<(注2)>・・・のうちの一隊(column)の頭目だが、彼は、アルジェリアとフランスの保安官吏達から、イスラム的廉潔(probity)よりもタバコ密輸と身代金の方に関心がある<人物>、と片づけられてきた。
 (注1)1971年~。19歳の時にアフガニスタンに渡り、アルカーイダに訓練を受け、その下で戦う。1993年にアルジェリアに戻り、内戦に加わり政府軍と戦い、この過程で左目を失う。
http://www.bbc.co.uk/news/world-africa-21061480
 (注2)多数の国にまたがる広大な活動領域↓を持つ。
http://en.wikipedia.org/wiki/File:GSPC_map.png
 この彼らの侮蔑を反映し、アルジェリアの保安工作員達は、彼に「ミスター・マールボロ(Mr Marlboro)」というニックネームをつけている。
 より深刻なことだが、ベルモフタルは、過去10年、半ダースもの人質事件に関与しており、しばしばマリの軍事諜報将校達を含むところの、仲介者達を通じて交渉し、諸政府や多国籍諸企業から身代金をせしめ、一財産を築いたと報じられている。
 彼の仲間のゲリラ達もそうだが、ベルモフタルは、彼の集団の装備をリビアの独裁者のモアマール・カダフィ・・彼は欧米の空軍力の支援を受けた叛乱者達によって2011年に権力から逐われた・・から流れてきた武器でもって強化した。
 AQIM全体の頭目は、依然としてアブデルマリク・ドロウケル(Abdelmalek Droukel)<(注3)>だ。
 (注3)1970年~。アフガニスタンで軍事訓練を受ける。2004年頃から、イスラム・マグレブのアルカーイダの前身の集団の頭目。
http://fr.wikipedia.org/wiki/Abdelmalek_Droukdel
 彼は、1990年代のアルジェリア内戦からのもう一人の帰還者であり、北アルジェリアの隠れ家に潜み、依然、そこから彼の部隊をして、アルジェリア政府や軍事諸施設に対して、時に攻撃をかけさせている。・・・
 <専門家達によれば、>ベルモフタルは、先月、AQMIと決別し、「血による署名者達(Signatories in Blood)」と呼ばれる自分自身の集団を形成した。
 それが、彼が水曜日<(16日)>に天然ガスプラントを占拠した旨声明を出した時に用いた名称だ。
 どうして決別したのかはまだはっきりしていないが、ベルモフタルの射撃手達は、6月に北部マリのガオ(Gao)という都市でマリのツアレグ族(Tuaregs)<(コラム#5021、5024、5075、5283、5318、5377、5397、5413、5778)>の連合世俗的集団たるアザワド民族解放戦線(Azawad National Liberation Front)<(注4)>と衝突している。」
http://www.washingtonpost.com/world/africa/algerias-history-as-birthplace-of-many-north-african-islamist-extremists/2013/01/17/b4a04248-60c2-11e2-9940-6fc488f3fecd_story.html?hpid=z1
 (注4)リビア内戦が終わるのとほぼ同時の2011年10月に、リビア政府側と反体制側の双方のツアレグ族戦闘員を中心に創設される。現在、主要都市であるキダル(Kidal)、ガオ(Gao)とティンブクトゥ(Timbuktu)を含むマリの北部(Azawad)全体を支配。マリ政府は、AQIMの系列下にあると主張しているが、アザワド民族解放戦線側はこれを否定している。
http://en.wikipedia.org/wiki/National_Movement_for_the_Liberation_of_Azawad
http://en.wikipedia.org/wiki/Libyan_civil_war
 「<AQIM>は、アフガニスタンとパキスタンを本拠とする「中央」アルカーイダと同じではない。・・・
 母船たるアルカーイダのルーツは、1980年代のソ連の占領に抗するアフガン戦争、及び、その後のイスラム世界を超保守的カリフ(caliphate)へと再形成しようとするビン・ラディン(bin Laden)の特命団体(mission)だ。
 これに対し、AQIMは、極めて異なった起源を持ち、アルジェリアの内戦から生まれ出たものだ。
 1991年に、主流派(mainstream)のイスラム主義政党がアルジェリア初の民主主義的選挙で勝利を収めた。
 この国の軍事指導者達はパニックに陥り、クーデタを敢行し、選挙を無効とし、イスラム主義者達を大量に逮捕した。
 このイスラム主義政党は、抗議し、次いで叛乱を起こし、更に、叛乱は内戦となった。
 この戦争の8年間の血腥い年月の間に、叛乱者達は異なった諸集団へと分裂して行った。
 そのうちのいくつかは、1999年の<政府との>平和協約(peace accord)への署名を拒否した。
 これらの集団は戦闘を続けた。
 そのうちの一つたる、説教と慰安のためのサラフィスト集団(Salafist Group for Preaching and Comfort)は、叛乱分子から、例えば身代金のために人質をとるところの、犯罪事業体へと堕して行った。
 その幹部の一人がベルモフタルなのだ。
 2006年に、米国が率いるイラク侵攻に対してアルカーイダが行った抵抗は、この集団のブランド名をイスラム主義者達の界隈で劇的に高めたところ、説教と慰安のためのサラフィスト集団は劇的な動きを行った。
 いずれの典拠をあなたが読むかによって、それは、その名前を即座に変更したか、その集団の中に新たな集団を形成したか、或いはまた、既にその名前を使っていた人々と合併したかなのだが、とにかく、この集団の軍事要員の多くは、現在は、イスラム・マグレブのアルカーイダという名前の下で戦っている。
 しかし、この名前の変更にもかかわらず、その戦闘員達は、任務がというよりは音色(tone)が変わったようにしか見えない。
 <というのも、>彼らは、今でも、断固としてアルジェリアの軍事政府とその最も重要な支援者(backer)であるフランスに反対している<からだ>。
 彼らは、今でも人質をとることを含む、犯罪事業をやっている。
 そして、彼らは、今でもそのエネルギーをアルジェリアとその周辺におおむね集中させている。・・・
 ・・・今回の事件がイデオロギーを動機とするアルカーイダの人質とりである、と描写されたとすれば、それはあながち間違いではないが、それは同時に、あなたが考える以上に複雑な話でもあるのだ。」
http://www.washingtonpost.com/blogs/worldviews/wp/2013/01/17/is-the-algeria-hostage-crisis-really-al-qaeda/
3 終わりにに代えて
 エジプトから帰国した翌年の1960年、小6の時に、社会科の授業で、当時まだ終わっていなかったアルジェリア(独立)戦争(1954~62年)について、チャートを使って説明したことがあります。
 エジプト「育ち」の私にとっては、身近に感じていた大事件であったものの、日本からは余りにも遠く、さぞかし聞かされた方はチンプンカンプンであったのではないかと思います。
 それにしても、戦後、アルジェリアでは、強弱はあっても、一貫して武力紛争が続いて来たわけであり、このことは、旧フランス植民地の大部分・・マリもまさにそうです・・にもあてはまります。
 他方、独裁政権の下、(ベトナムのように、インドシナ/ベトナム戦争終結以降、カンボティア干渉戦争の時を除き、)この何十年かにわたって平和が維持されてきた旧フランス植民地もないわけではありません。
 いずれにせよ、武力紛争の継続も、独裁政権の継続も、それは、フランスによる上からのフランス同化的植民地統治によって、伝統的社会が、その悪い面だけでなく良い面も、なべて、無残に破壊されてしまった結果、奇形的な近代化を運命づけられたからではないか、というのが私の仮説です。