太田述正コラム#5978(2013.1.20)
<狩猟採集社会(その5)>(2013.5.7公開)
 –対外紛争–
 「自分自身の部族の外では、信頼(trust)は極めて品薄の商品だった。
 誰かがジャングルで見知らぬ男に会った場合、彼の選択肢は、基本的に、彼から走り去るか彼を殺すか<の二択>だ。
 隣接部族間の低強度(Low-level)戦争は、多くの場合、余りにも絶え間ないため、二つの世界戦争があった20世紀の欧州の数値よりも、敵の行為によって殺される人口の割合は高い。」(F)
 「我々の諸社会と前国家部族諸社会との明白な違いは、前者でははるかに多くの暴力があるという点だ。
 とりわけ、肥沃な地域で土地が高価な所では、人々は綿密に定められた諸境界を超えてうろつくことは、しばしばできなかった。
 襲撃と報復によって起動された対抗襲撃は次々に繰り返される。
 ダイアモンドは、ニューギニアでの二つの部族連合の間での1961年の戦争を描写する。 個々の戦闘はさほど猛烈なものには見えない。
 400人ないし500人の戦士達が65フィート隔てて対峙する。
 彼らはばらばらに槍を投げ矢を放ちあう。
 よく起きるのは待ち伏せであり、時々、女子供の虐殺が起きる。
 問題は、戦争が恒常的であることであり、長期的には死傷者数は大きなものになる。
 1961年の4月から9月までで、両連合の全人口の0.14%がこの戦争で殺された。
 この全人口比は、殺害率としては、二つの世界大戦中に欧州、日本、支那或いは米国が蒙ったものよりも高い。
 国民諸国家は、時には巨大でおぞましい諸戦争を行うけれど、それらは稀だ。
 国民国家の大部分の人々は他の人間を殺すことには気の咎めを覚えるし、復讐への欲望は抑制するように教えられてきている。
 <これに対し、>多くの部族諸社会は、このような態度を共有してはいない、とダイアモンドは記す。
 中央政府がないので、彼らは戦争を終わらせることが容易ではない。
 彼らは危難の下に生きている。
 近代諸社会における、最も高い戦争がらみの死亡率・・20世紀の間のロシアとドイツのそれら・・は部族諸社会の平均死亡率のわずかに3分の1に過ぎない。
 近代諸社会の平均せんそうがらみ死亡率は、部族諸社会の約10分の1なのだ。」(E)
 「戦争は、「伝統的<社会の>」人々が互いに殺し合う唯一のものではない。
 この本の多分最もぞっとするくだりは、部族の高齢の構成員達が他者達の重荷になった場合、捨て去るという慣行に関するものだろう。」(F)
 「この底流たる暴力は・・・戦争に係る章の中で明るみに出される。
 そこでは、ニューギニアにおける部族紛争の「事実上継続的な」状態が描写される。
 ダニ族(Dani)はこの進行を続ける決闘<的戦争>によって毎年人口の1%を失うが、これは、二つの世界戦争における死者のことがあるというのに、20世紀のドイツの平均の6倍を超える。
 ダイアモンドは、このことを正当化したり説明したりしようとはしない。
 このことに関しては、スティーヴン・ピンカーが ‘The Better Angels of Our Nature ‘(2011年)の中で示そうとしたように、近代的産業諸国家は、要するにマシになったのだ。」(C)
→果たしてニューギニアの部族社会を狩猟採集社会の代表的なものと見てよいかどうか分からないので、狩猟採集社会の方が近代社会よりももっと戦争があったと言えるかどうかが分かりませんし、仮にそう言えたとしても、狩猟採集社会の方が農業社会よりももっと戦争があったとまで言えるのかどうかは分かりません。
 仮にそれが言えたとすると、縄文社会は定着社会であったものの狩猟採集社会であったので戦争のない平和な社会であった、とする私の主張が成り立たなくなってしまいます。
 そこで、日本の縄文社会研究の現状を踏まえて、この問題を再考してみましょう。
 「縄文時代に既に環濠集落の存在が確認されている。これは周囲に空堀や水堀を設けることで防御機能を高めた施設を伴った集落の形態である。また、殺傷痕のついた縄文の人骨も全国の遺跡発見されている。しかしながら、縄文時代に戦争があったか否かに関しては、研究者の間で一致を見ていない。・・・縄文時代にも戦争があったとする代表的な研究者は小林達雄である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E5%8F%B2
 「縄文時代は、農業を本格的に始めておらず、自然界から食物を得ていました。定住をし、食料をたくわえており、豊かな生活を送っていたことが判っています。戦争をやっていてもおかしくありません。しかし、縄文時代に戦争をした証拠は見つかっていません。人骨に石のやじりが刺さったものが発見されていますが、これは全体の人骨の中ではごくわずかなもので、「殺人事件」とも考えられます。」(栃木県埋蔵文化センター)
http://www.maibun.or.jp/qa/a28.html
 このように、縄文時代には戦争はなかったとするのが依然として日本では多数説のように見受けられます。
 まず、環濠集落について検証してみましょう。
 「環濠集落(かんごうしゅうらく)とは、周囲に堀をめぐらせた集落(ムラ)のこと。・・・水稲農耕とともに大陸からもたらされた新しい集落の境界施設と考えられている。縄文人のムラは環濠を形成しない傾向にある。しかし、今から約4000年前(中期末~後期初)、北海道苫小牧市にある静川(しずかわ)16遺跡から幅1~2メートル、深さが2メートルほどあり、断面形がV字状になった溝が、長軸約56メートル、短軸約40メートルの不正楕円形にめぐる環濠集落が発見されている。環濠の内側から2棟、外側からは15棟の円形竪穴住居が見いだされている。それは、弥生の環濠集落とは性格を異にするものであろう。例えば、縄文人の祭祀の空間だったのかも知れない。 縄文時代の環濠集落は、現在のところこの遺跡のみである。 環濠ではないが、秋田県上新城に晩期末の二重の柵、茨城県小場に中・後期の住まいと墓地を隔てる真っ直ぐな溝、埼玉県の後期末~晩期初の宮合貝塚などがある。これらは、祭の場、墓地などを囲み、日常の位の場とを分離していたものである。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%92%B0%E6%BF%A0%E9%9B%86%E8%90%BD
 従って、縄文時代には稀に環濠集落的なものはあっても本来の環濠集落はなかった、と考えられます。
 次に、戦争の痕跡の有無についてですが、有名な2例を俎上に上げて検証してみましょう。
 第一例は次の通りです。
 「八戸市縄文学習館に隣接した歴史民俗資料館に約三十九センチ×二十一センチ、厚さ一センチ弱の古びた板材が展示されている。
 注意して見ると、石鏃(せきぞく)=やじりの先端部=が板の上から斜めに突き出ている。八戸市内にある縄文時代晩期の是川・中居遺跡(約三○○○~二三○○○年前)で、特殊泥炭層の中から出土した。・・・
 小林達雄・・・教授が指摘するように是川出土の板材が、矢とかこん棒に対抗する盾ということになれば、縄文の戦争を証明する上で、これ以上の資料はない。防御用の武器は戦闘行為を裏付けるものだからだ。
 だが、盾にしては小さいという見方もあり、中には長期間にわたって埋もれていたやじりが、土圧で板に刺さった? と考える研究者も。
 ・・・問題の板材は桐(キリ)<であると>八戸縄文学習館の小林和彦副参事<は言う>。木質が軟らかで軽いところから、現代でもタンスやげた、箱ものなどに活用されている桐の木が、板材の正体というわけである。武器のイメージとしてはほど遠い。「盾説」にとって、この事実は明らかに不利な材料ということになる。
 こう考えると、どうやら盾の可能性は薄いようである。」
http://www.daily-tohoku.co.jp/kikaku/tyouki_kikaku/jomon/jomon_47.htm
 これでは、これが戦争の痕跡である、とは言えそうもありません。
 第二例は次の通りです。
 「土佐市高岡町で高知自動車道建設に伴って発掘された居徳遺跡群から縄文時代晩期(2800-2500年前)の9人分15点の人骨が出土、内3体分には金属器によると見られる鋭い傷や矢じりの貫通痕があり鑑定した奈良文化財研究所は「国内最古の集団同士の戦闘行為の痕跡」と発表した。平和だったとされる縄文時代に戦争が存在した可能性を示す画期的な発見となりました。」
http://www.city.tosa.lg.jp/kanko/detail_itokuiseki.php
 「<しかし、>縄文の後期に、金属器が存在していたというのは気になる。金属器の伝播(でんぱ)は、弥生時代に入ってからではなかったか。」
http://www.daily-tohoku.co.jp/kikaku/tyouki_kikaku/jomon/jomon_47.htm 前掲
 他にも同様の例があるのかないのか、詳らかにしませんし、上記疑問は深刻なものであるところ、本件について日本の学界が現在どのような議論をしているのかも詳らかにしませんが、下掲のブロガーが軽いノリで行っているところの、弥生人早期散発的渡来に伴う縄文人との遭遇的(例外的)戦争(=縄文人虐殺)、という推論はあながち荒唐無稽なものとは言えないように思います。
http://hosokawa18.exblog.jp/2231611/
 結局、縄文時代に戦争はなかったという多数説を覆すに足りるだけの証拠はまだ出現していない、と言ってよさそうです。(太田)
(続く)