太田述正コラム#5980(2013.1.21)
<狩猟採集社会(その6)>(2013.5.8公開)
 –リスクへの対応–
 「<「伝統的」生活のよくない面としては、>ジャングルの中におけるたくさんの生命を脅かす危険・・落木による死、ジャガーによる捕食、潰瘍になったり壊疽になったりするところの、棘による感染切り傷、による不具化・・の存在<も>あげることができる。」(F)
 「日常的諸リスクという問題がある。
 この件については、現代の欧米の男性達と女性達は滑稽なほどお呼びでなくなっている、とダイアモンドは主張する。
 「我々は、多くの人々を一度に殺す出来事に関する危険を心配する。
 飛行機の墜落、原発の爆発、テロリストの攻撃といったものだ。
 しかし、我々がこれらの出来事で殺される可能性はほとんど無視できるくらいのものだ。」
 対照的に、伝統的諸社会の人々は小規模の地域的リスクを心配する。
 「ニューギニアを何度も訪問したうちの1回のことだが、私は、枯れ木の下にテントを張ろうとした。
 私のガイドは私が頭がおかしいと思った。
 彼らは、枯れ木が倒れて夜中に私を殺すと言った。
 私は、そのリスクは低いと主張したが、後になって、長期間にわたって森で過ごしたならば、このリスクは累積することに気が付いた。
 欧米での生活でも同じことだ。
 小さな出来事からのリスクは積み上がるし、忘れてはならないのは、シャワーを浴びている時、或いは歩道で、足が滑れば、腰の骨を折るかもしれないということだ。
 私くらいの年だと、それでもって生涯を終えたり永久に歩けなくなったりしかねない。
 同様、車の事故は深刻な危険を<我々に>突き付けているのだ。」(B)
 「相対的により大きな諸リスクを孕んでいるところの伝統的生活様式(lifeways)は、「建設的妄想症」、すなわち、可能性のある諸危険に対する絶え間なき警戒、を育むが、これを、現代の人々が自動車やアルコールに対して適用することは役に立つかもしれない。」(I)
→要するに、狩猟採集社会の人々の方がリスク感覚がより正常である、とダイアモンドは指摘しているわけです。
 しかし、リスク感覚に関しては、現在の日本人と欧米人とで余り違いはなさそうです。
 本件については、もう少し考えてみたいと思います。(太田)
 –言語–
 「伝統的諸社会においては、個々の部族が独自の言語を有するかもしれず、(典型的には近接する部族から妻を迎えるところの、)通婚の諸システムは、全員が少なくとも二つの言語を習得することになることを意味するだろう。
 現代の神経学の諸研究は、二か国語併用があなたにとって良いことを示している。
 二つ以上の言語で考える生活を送ってきた人々は、アルツハイマーの発症が顕著に遅くなる。」(F)
 「多国語併用・・・はしょっちゅうルールが変わる状況下で任務を遂行する能力を向上させうる持ち味なのだが、これは容赦なき革新が行われる我々の世界において、羨望されるスキルなのだ。」(I)
→これもまた、基本的にはニューギニアのようなタコツボ的な狩猟採集社会だけにあてはまる話でしょうね。
 ただ、方言にも「他国語」的な側面があることからすれば、ほとんど標準語一色になってしまった現在の日本人は、昔の日本人に比べて劣化したと言えるのかもしれません。
 いずれにせよ、日本では英語教育にもっと力を入れなくちゃいけません。(太田)
 –食餌–
 「世界の大部分が飢餓に直面し、飢饉によって人類全体が細分化された時に、自然淘汰が生み出した諸適応は、飢饉が豊作へと転じた時には反生産的なものに化した。
 ・・・ダイアモンドは、欧州では、2~3世紀前に、(世界で)初めて肥満と糖尿病に悩まされることになり、JS・バッハはその犠牲者の一人であった可能性が高い、と想像を逞しくする。」(H)
 「伝統的諸食餌は、現代の産業社会のそれに比べて、塩、砂糖、そして「悪しき」脂肪をはるかに少量しか使わない。
 伝統的<諸社会の>人々の間では、この書評の読者の大部分がかかるところの、卒中、糖尿病、心臓疾患、そして癌は、事実上存在しない。」(I)
→日本人は、現在、先進的環境下に生活しつつ、狩猟採集時代的な食餌を依然維持しているおかげで、世界有数の平均余命を謳歌している、ということです。(太田)
 –病気–
 「ダイアモンドによる、(例えば欧米における)農業に携わる大人数の人々におけるものと、狩猟採集に携わる少人数の人々における特徴的諸疾病の違いについての説明はよくできている。
 農業に携わる人々は、個人的免疫をつくる(はしかのような)急性疾病で苦しむ傾向がある。
 これらの疾病は、大人数の人々の間でしか生まれ(develop)えないので、狩猟採集者は罹ったことがない。
 彼らは、その代わり、(らい病やイチゴ腫(yaws)<(注21)>のような)慢性疾病や脚気や壊血病のような<特定栄養素>不足に起因する疾病に罹る傾向がある。
 (注21)「フランベジア(framboesia・・・)、森林梅毒とも言う・・・正確な感染経路は不明であるが、皮膚と粘膜からの直接的な接触による感染と考えられ、風土病として幼児からの早期の感染が疑われている。・・・高温多湿の地域(森林や沿岸)で衛生状態が劣悪なところに見られる。・・・ラテンアメリカ、アフリカ、アジア、オセアニアに1,000万人のフランベジア患者がいると推定<され>ている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%99%E3%82%B8%E3%82%A2
 そして、彼らは個人的免疫をつくらない。
 これが、1492年の旧世界と新世界との運命的衝突の後の欧米人と狩猟採集者との接触が<後者にとって>あれほど大災厄的なものとなった理由だ。」(H)
 –生き様–
 「<人々が>長期間の社会的諸関係の網の目にからまっていることから、伝統的諸社会は、「勝者が全部をとる」訴訟<的なこと>よりも、瞑想や相互満足(mutual satisfaction)をより大きく強調する。」(I)
→この点では、(というよりもこの点でも、)日本社会は、現在でも、基本的に狩猟採集社会のままである、と言えそうですね。(太田)
(続く)