太田述正コラム#6006(2013.2.3)
<米国前史(その8)>(2013.5.21公開)
 (5)ベイリン批判
  ア 全般
 「何十年にもわたって、<何人もの>歴史家達が、植民地時代の北米について、・・・アラン・テイラー(Alan Taylor)が今年書いたところの、植民地時代の北米は「アフリカ人、欧州人、そしてインディアンの三つの文化の前例のない混淆物」だった、或いは、・・・ゲアリー・B・ナッシュ(Gary B. Nash)・・・がその本・・・の中で書いたところの、「アフリカ人達と欧州人達は新世界を一緒につくった」、的な主張をしてきた。
 ところが、ベイリンはこの種のことをそれほど明確には記していない。」(D)
  イ 黒人
 「<ニューアムステルダムのくだりで、既にベイリンの黒人の取り上げ方が不十分であるという批判を紹介したところだ(太田)が、その>べイリンは、アフリカの人々が最初にジェームスタウンに到着したとされる1619年に<北米での>奴隷制が始まったとするところ、そのように考えるのはナイーヴなのだ。
 この地には黒人はもっと前からいたからだ。
 奴隷制は、肌が黒かったり茶色かったりする者は欧州人種よりも劣っている、とする社会的・人種的諸確信に基づいて、生まれ、かつその複雑さが形成されて行ったものなのだ。」(K)
 「1675年より前において、英領北米のアフリカ人達の数が少なかったのは事実だが、彼らは、フィンランド人やスウェーデン人達よりははるかに多かったし、恐らくはオランダ人達よりも多かったことだろう。
 だから、ベイリン氏が北米に集住したアフリカ人達の背景と移民について語ることのかくも少ないことには驚かざるをえない。」(B)
 「ベイリンは、デラウェ川沿いに落ち着いた、200人内外のフィンランド人に魅惑的な一章の多くを割く。
 彼は、(面白く、ただし余り根拠らしいものなしに、)彼らが「辺境(frontier)」的生活様式を始め、それがその後何世代にもわたって、北米大陸の境界諸地の全域に普及した、とさえ言う。
 確かに、古典的なるダニエル・ブーン(Daniel Boone)<(注13)>は、実に、フィンランド人的に見える<(注14)>。
 (注13)1734~1820年。「<米>国の開拓者、探検家。<米>西部における初期の開拓者としてケンタッキーを探検し、狩猟活動を行った。ブーンの勇敢な冒険談は小説にも書かれ、アメリカのみならず世界的にその名を広めた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%B3
 (注14)ノーマン・ロックウェル(Norman Rockwell。1894~1978年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AB
によるブーンの肖像画参照。↓
http://www.wikipaintings.org/en/norman-rockwell/and-daniel-boone-comes-to-life-on-the-underwood-portable-1923
 ところが、ベイリンは、数の上でも歴史的重要性においても、それよりずっと顕著な移民であるところの、1675年までに約5,000人到着していたアフリカ人達、に殆んど注意を払っていない。
 アフリカ人達の起源、動機、そして活動に比して、会衆派教会信者(Coingregationalist)<(注15)>達と長老派教会の人(Presbyterian)<(注16)>達との諍い<(注17)>群により多くのスペースを割くところの、米社会の諸起源に関する本に遭遇する、というのは奇妙な感じがする。
 (注15)「プロテスタントの一教派・・・会衆制・・・を採ることが特徴で、各個教会の独立自治を極めて重視する。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9A%E8%A1%86%E6%B4%BE%E6%95%99%E4%BC%9A
 (注16)カルヴァン派(改革派教会)は長老制をとったが、この派の信仰は「ジョン・ノックスによってスコットランドに伝えられ、この地で発展し、・・・「長老派」(プレスビテリアン[Presbyterian])を名乗るようにな<り、>・・・1567年にスコットランドの国教とな<った。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%80%81%E6%B4%BE%E6%95%99%E4%BC%9A
 (注17)「監督制<(Episcopacy)>は中央集権的官僚制、・・・会衆制は直接制民主主義、・・・長老制は議会制民主主義に準える事ができる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%80%81%E5%88%B6 (<>内は直下典拠)
 「<英国教、>正教会、カトリック教会、聖公会、ルター派、メソジスト、救世軍などがこの制度を採用している。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E5%88%B6
 会衆派教会、長老教会等のプロテスタントにおける系譜的位置づけについては下図参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Protestantbranches_ja.svg
 (恐らくこれは、黒人がらみの余りにも多くの史料がスペイン語、ポルトガル語、そしてオランダ語で書かれているというのに、ベイリンの脚注のほぼ全てが英語の典拠からとられていることによるものだろう。)」(D)
 「ベイリンは、アフリカ人奴隷交易は、1660年代より前においては盛んでなかったと主張する。
 彼は、1670年より前にチェサピーク地域に住んでいたところの、中南米やカリブ海の植民地(creole)由来の黒人達の重要性を認めない。
 その数が少なすぎるしその影響は誇張されているから、というのだが、この解釈は、イラ・バーリン(Ira Berlin)の<指摘>・・・に反する。
 もっとも、ベイリンは、彼の最近の小論集の ‘Atlantic History: Concepts and Contours’(2005年)の中ではもっと奴隷制について言及している。」(I)
(続く)