太田述正コラム#6042(2013.2.21)
<湾岸諸国はどうなる?(その6)>(2013.6.8公開)
「アルジャジーラ・・その意味は、アラビア語で「島」を意味する・・のアラビア語プログラムは1996年に気高き目標をもって開始された。
厳しい検閲の世界の中にあって客観的メディアとして奉仕するというのだ。・・・
しかし、アラブの春以来、多くの元反体制派達がアラブ地域全体において権力を掌握したが、これらの生まれたばかりの指導者達は、民主主義の諸原則に対して、しばしば、敬意を殆んど示さない。
アルジャジーラは、しかし、恥知らずにも、新しい統治者達に媚を売っている。・・・
<また、>、大衆抗議運動が隣国のバーレーン・・<カタールの>族長の緊密な同盟者・・の体制に対して行われた時、アルジャジーラはほとんど完全にその状況を報じなかった。
他方、シリアでは、カタールは、大統領のバシャール・アサドに対する、イスラム主義的傾向のある反対者達にカネ、武器を支援しており、アルジャジーラの記者たちは、叛乱者達と極めて緊密な関係にある。・・・
<その結果、>アルジャジーラは明確な政治的立場(agenda)を掲げるに至ったとして、このところ、その売れっ子の記者達の辞職が続いている。」
http://www.spiegel.de/international/world/al-jazeera-criticized-for-lack-of-independence-after-arab-spring-a-883343.html
(2月17日アクセス)
→要するに、カタールは、「穏健な」イスラム教スンニ派原理主義の普及を推進してきたし、今後とも推進して行くことが明確になって来た、というわけです。
ただし、前にも記したように、それは、現在の民意に即しているという意味では民主主義的ではあるけれど、非自由主義的ないし反自由主義的な立場に他なりません。
(「生まれたばかりの指導者達は、民主主義の諸原則に対して・・・敬意を・・・示さない」と書いたシュピーゲルの記者は言葉の選択を誤っています。「反自由主義の諸原則に」でなければならなかったのです。)
そんなカタールで、アルジャジーラに報道の「自由」が認められるはずがない、ということです。
このことを思い知らされつつあるところの、アラブ諸国の自由主義者達・・彼らこそ、アルジャジーラの視聴者の上澄みであり、最有力の支持者だった・・の同局離れを引き起こすことは必定であり、遅かれ早かれ、アルジャジーラ、ひいてはカタール、の中東アラブ世界における先達的地位からの「転落」は避けられないものと思われます。(太田)
4 サウディアラビア
「サウディアラビア政府<の職位>は、全て国王・・彼は首相でもある・・によって任命される。
唯一の選挙といったら、地方自治体議会(municipal council)群の半分の議席に関するものだが、同議会は殆んど権限を持っていない。
次回の同議会群の選挙にあたっては、女性は選挙権と被選挙権を与えられる、とアブドラ国王は2011年に言明した。」
http://www.guardian.co.uk/world/2013/feb/19/saudi-king-shura-council-female-members
(2月20日アクセス。以下同じ)
「<その>サウディアラビアに改革が訪れているものの、その歩みはゆっくりとしたものだ。
1月30日に諮問集会(Majlis al-Shura)の評議員に30人の女性が任命されたが、この評議会は、法案の作成権限を持つところの、150人の評議員からなる諮問議会だ。・・・
この任命は、初めて女性の選手がオリンピックで競い合えるようになってから6か月も経過していない時期に行われたものだ。・・・
<他方、>伝統的な統治構造は、同王国の多くの場所で依然として健在だ。
毎日の集会に出て自分の管轄下にある人々の抱える問題や需要に対処するという、地方知事(provincial governor)の役割は、今でも、人々と統治エリート達との紐帯を維持する観点から極めて重要だ。
例えば、普通の市民が前の大統領のホスニ・ムバラクに、或いは現在の大統領のモハメド・モルシにさえ、直接請願を行う権利を与えられたりすることはおよそ考えられないが、これぞ、エジプトにおける、市民達と統治階級との間の押し付けられた官僚制的距離を示すものだ。
しかし、サウディアラビアではそうではないのだ。」
http://www.foreignpolicy.com/articles/2013/02/19/the_kingdom_of_no_surprises_saudi_arabia?page=full
5 終わりに
湾岸諸国は、国によってそれぞれ微妙な違いがあるとはいえ、特定の国において、現在の独裁体制が近い将来に仮に倒れることがあり、民主主義化したとしても、その国は、「穏健な」イスラム教スンニ派原理主義体制という非(ないし反)自由主義体制に変わるだけである可能性が高い、と思われます。
従って、さしあたりは世俗化を進め、原理主義的風潮を後退させていくことが望ましい、と考えます。
そのことは、スンニ派とシーア派の間の対立意識・対立構造の克服・解消にも資するはずであり、こうして自由主義的なものの考え方が大衆レベルにまで普及してから民主主義化しても遅くはありますまい。
その鍵となるのが、高等教育の普及と女性の地位向上でしょう。
湾岸の盟主とも言うべき、サウディアラビアが、石油/天然ガスから得られるカネをこれらの目的等のために適切に使うとともに、王族におけるネポティズムや顕示的消費の漸次的解消を図り、かつ外国人労働者の地位向上に努めれば、同国を中心として、湾岸諸国の自由民主主義化が実現する可能性があります。
中共と違って、湾岸諸国には、英米との関係を始め、安全保障面や経済面での独立フェティシズム的なものがないことも、好材料でしょう。
私見では、要するに、以上は、湾岸諸国において、世俗化の推進ができるかどうかにかかっています。
本来的に困難であるところの、イスラム社会の世俗化ができるかどうかに・・。
(完)
湾岸諸国はどうなる?(その6)
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