太田述正コラム#6062(2013.3.3)
<フォーリン・アフェアーズ抄(その21)>(2013.6.18公開)
・スティーブン・G・ブルックス G・ジョン・アイケンベリー ウィリアム・C・ウォールフォース「米軍撤退論にメリットはない–アメリカの対外エンゲージメントを維持せよ」
 「Stephen G. Brook<は>ダートマス・カレッジ准教授(政治学)<であり、>G. John Ikenberry<は>プリンストン大学教授(政治学、国際関係論)<で>米国務省顧問、国務省政策企画部での実務経験もあ<り、>William C. Wohlforth<は>ダートマス・カレッジ教授(政治学、国際関係論)<です。>」(43)
 「<米国の>後退戦略(retrenchment)を支持する専門家は、「グローバルな関与政策は、豊かな同盟国の国防を支えることで、アメリカの資金を浪費しているし、米軍のプレゼンスは諸外国の民衆と政府の怒りと反感を買っている」と言う。・・・
 とはいえ、対外関与の後退を求める専門家のなかでも、・・・全面的な撤退と削減を支持する者はほとんどいない。むしろ、多くの専門家が求めているのは、より抑制的な戦略、つまり、(地域同盟国により多くを委ねる)「オフショア・バランシング」、あるいは、(水平線の彼方へと戦力を再配備する)「オーバーザホライズン」的な軍事態勢だ。・・・
 <しかし、>仮に、後退戦略が外国の基地に駐留する米軍部隊を国内へと撤退させることを意味するだけだとすれば、米軍を受け入れている諸国が基地コストの多くを負担している以上、大した予算の節約にはならない。・・・<しかも、>主要な遠征軍を維持するのであれば、外国への戦力展開に必要になる高価な兵器システムと装備コストが必要になる・・・
 <また、オフショア・バランシングが実現すれば、米国は軍事支出の削減はできるだろうが、>インペリアル・オーバーストレッチ(帝国による過剰関与)を戒めた(ポール・ケネディの)警告の最大の問題は、<大きな軍事支出を伴いつつ>グローバルなリーダーシップを模索したからといって、経済成長が犠牲になると考える根拠が存在しないことだ。
 エコノミストの研究の多くは、軍事支出と経済的衰退の間に明確な因果関係は存在しないとしている。もちろん、崩壊前のソビエトのように、GDPの25%を国防費に投入するような極端な行動をとれば、アメリカの経済成長と競争力が犠牲にされるだろう。だが、アフガニスタンでの戦争とテロとの戦いを展開していた2012年の時点でさえ、アメリカはGDPの4.5%を軍事予算に投入していたにすぎない。・・・
 <そもそも、>1人当たりGDPでみれば、アメリカは、この20年にわたって、防衛支出を抑えられる立場にあったヨーロッパの同盟諸国や日本を上回る水準を維持してきた。一方、これらの同盟諸国が軍の近代化を怠った結果、アメリカの支配的優位はさらに強化された。・・・
 <更にまた、後退戦略を支持する専門家>は「安全保障を提供することで、同盟国は大胆になってリスクを冒すようになり、超大国をコストのかかる紛争に引きずり込む」と主張し、「これでは典型的なモラルハザードだ」と批判している。・・・
 <しかし、>同盟関係にある小国が、気乗りのしない大国を戦争へと引きずり込んだ明確なケースを特定するのは、ほぼ不可能だ。」(32~33、35~36)
→ここまでは、その通りです。
 しかし、米国に関しては、インペリアル・オーバーストレッチは、経済力や軍事力といったハード面より先に、ソフト面において立ち現われてきているところ、そのことから筆者達は目を逸らせています。
 米国では、このところ、中位一人当たり所得が停滞し、貧富の差が拡大し、階層間移動性が低下し、平均寿命は先進諸国中最下位近くを動かず、初等中等教育の達成度においても先進諸国中の下位を低迷し、インフラの劣化が顕著化する、といった情けない状態に陥っており、もはや、米国以外の人々が憧れる国ではなくなりつつあります。
 その端的な証拠が、米国への移民の純増数が年々減少し続けていて、このままでは近い将来純減に転じかねない状況になっている
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36801?page=2
ことです。
 つまり、米国は、その力を軍事に集中しており、そのおかげで革新的技術を次々に生み出していて、これがITや宇宙航空等の先端産業の維持発展を牽引してきたものの、これら産業があげた利益を中産階級以下にまで均霑(trickle down)するメカニズムを構築する余力がなく、その結果、上記のような情けない状態に陥ってしまった、ということです。
 ですから、米国は、軍事を米国以外の自由民主主義諸国に分担させることによって、米国の知的資源を、もっと軍事以外に振り向けることが喫緊の課題である、と私は考えています。(太田)
 「これまで長い間、第一次世界大戦は、複雑に絡み合う同盟関係が大国を戦争へと巻き込んだ典型的な例だと考えられてきた。だが、新たな歴史研究によってこの解釈は覆され、戦争は、同盟諸国が紛争に引きずり込まれたというよりも、むしろ、ドイツがヨーロッパを支配しようと試みた結果だったといまでは考えられている。
 同盟関係に何らかの作用があるとすれば、それは、むしろ紛争に巻き込まれるリスクを低下させることだろう。第二次世界大戦後に、アメリカが東アジアで構築した地域安全保障合意は、政治学者ビクター・チャの表現を借りれば、「この地域の反共同盟諸国の行動を牽制すること」が狙いだった、「反共同盟諸国が共産主義国家を攻撃すれば、アメリカはの望まない戦争へと引きずり込まれる恐れがあったから」。」(36)
→第一次世界大戦についての「新たな歴史研究」のくだりは初耳です。
 これには典拠が付されていないこともあり、到底首肯できません。
 また、後段にについては、米台が外交関係を(タテマエ上)断絶するまでの米台関係という特殊な事例だけをもって一般論を導き出そうとしていて、ここも説得力がありません。(太田)
 「前方展開戦略が国益概念を歪めてしまうとする認識の最大の問題は、それがイラクというたった一つのケースを論拠としていることだ。イラク戦争は、それが要したコスト面でも、アメリカがほぼ単独で戦闘を引き受けたという面でも例外的な戦争だった。」(37)
→先進自由民主主義諸国は、協力して、非自由民主主義諸国から、軍事的/地理的に相対的に脆弱な自由民主主義諸国を守らなければならず、そのためにはこれら脆弱な自由民主主義諸国に先進自由民主主義諸国は軍事力を展開するか軍事力を展開する基盤を確保しなければならないのであって、これが、戦前の日本が東アジアにおいて推進し、戦後は米国がその衣鉢を継いで世界において推進ところの、前方展開戦略なのです。
 この戦略は、戦前の日本の国益を結果として歪めてしまいましたし、戦後の米国の国益も歪めているとの批判を受けるのは、どちらも、単独で(unilateralに)推進されたからです。
 いささか遅きに失したとはいえ、今こそ、先進自由民主主義諸国が力を合わせて(multilateralに)推進する態勢を構築しなければならず、そのイニシアティヴは、米国と日本が、それぞれ別の意味でとらなければならない、と私は考えています。(太田)
 「ワシントンが東アジアから撤退すれば、日本と韓国は軍事予算を増やし、核武装化に踏み切る可能性が高く、これに対する中国の反応によって地域秩序が不安定化する。冷戦期に、韓国と台湾が核兵器を入手しようと試みたことを思い出すべきだ。これを止めさせたのはワシントンだった。核獲得の誘惑を抑え込むために、ワシントンはアメリカの安全保障コミットメントを用いて韓国と台湾を説得した。
 同時に、アメリカが中東から撤退すれば、現在、ワシントンが支援しているイスラエル、エジプト、サウジアラビアは、この地域の安全保障のジレンマを高める行動をとるかもしれない。」(38~39)
→冷戦期の欧州における自由民主主義陣営の、在来兵力の劣勢を補ったのは、そしてまた、核抑止力の信頼性を高めたのは、英仏の核であり、前方展開されて西独等にも使用権限を与えたところの米国の戦術核であり、更には、パーシングIIとGLCMという地域核ミサイルであったことを思い起こさえば、いまだ、冷戦が続いているとも言える東アジアにおいても、同じことを試みない方がおかしいのです。
 独裁政権下にあった台湾と韓国に核武装を許さなかったのは正解でしたが、今では両国とも自由民主主義が確立しています。
 なお、中東においてイスラエルが既に核武装していることや、東アジアにおける日本の核武装の可能性についてはかなり前から米国が事実上容認していることに筆者達が触れていないのは理解に苦しみます。(太田)
 「グローバルな役割を果たせば、アメリカが自国の利益に合致するようにグローバル経済の構造を形作ることもできる。冷戦期のアメリカは対外コミットメントをツールに、自らが好ましいとみなす経済政策を同盟諸国にとらせてきた。実際、ドイツは1960年代に準備通貨としてのドルを支えるために、かなりのコストを伴う政策を導入している。現在でも、安全保障合意は同じような機能をもっている。」(40)
→冷戦期のドイツは、ソ連圏に接する最前線に位置し、しかも、自国軍の指揮権を(NATO、すなわち米国に預ける形で)奪われており、しかも、核武装は認められていなかったのですから、経済面でも米国の言うことを聞いたのは当たり前です。
 冷戦が終わってからは、ドイツは経済的にも軍事的にも自由に動いています。
 他方、日本は、冷戦期も現在も、一貫して(自ら)米国の属国であり続けました。
 従って、少なくともドイツ(や日本)の事例を一般化することはできません。(太田)
(第7部完)